(32)警察官の事情聴取

 無関係に普通の生活をしたかったものだが、ある日こんな噂がシソクの耳に飛び込んできた。


──町で失踪事件が続いているらしい。

 そして、また一人、姿を消した者がいたそうだ。


 シソクは顔を顰めた。

 村であったことが重なった。

 愛する者を殺さないために自ら命を断っていく若者──。

 しかし、ここには村のように身を投げる崖や人目のつかない場所などない。

 異変があればすぐに誰かに知らされ、対処されることであろう。


 村とはまるっきり状況は違うのだ。それでも人々が消えていくというのは事実であるから、どこも同じようなものであるらしい。


 この日も、レストランバーで食事をしていたシソクは、声を掛けられた。

 噂話の失踪事件の聞き込みをしている警察官らしかった。

「あの、私、こういう者なのですが……」

 警察官手帳を掲げてきた彼女はウトネと言うらしい。

 次いで彼女は、一枚の写真を見せてきた。

「この人に見覚えはありませんか?」

 そう言って見せてきたのは、シソクよりも年上に見える女性の写真であった。

 シソクは見覚えがないか脳内を探ったが、記憶になった。

「いいえ。見たことないですね」

「そうですか……」

 シソクが首を横に振るうと、ウトネは残念そうに俯いたものである。

「些細なことでもいいんですけど、何か思い当たったことなどありませんかね?」

 警察の方でも手を焼いているらしく、無関係なシソクにまで情報を求めてきた。


「そう言われても……」

 本当に何も知らないので、シソクは困ったものである。

 腕を組み、考え込んでいると──ふと、思ったことがあった。

「そう言えば……。この件とは無関係かもしれませんが……」

 そう言って、シソクは出稼ぎに来たという少女──キンコの姿が見えなくなったことを伝えた。


 軽くあしらわれてしまうかとも思ったが──ウトネは怪訝な表情になって「またですか……」とうんざりしたように返した。

「まったく……。他所に行くなら、きちんと伝えてから行ってもらいたいものですよ。こうなってしまうと、こちらとしては失踪案件として処理しなければならないんですから……」

 ブツクサと、ウトネが文句を言い始める。

 新たな仕事が増えたことを、余り歓迎していないようだ。

──それはそうだ。人の生き死にがかかっているかもしれないのである。

 別にウトネもやる気がないというわけではないらしい。警察手帳を開いて、シソクに聞き込みをしてきた。

「行方不明になったその少女のこと、何かご存じですか?」

「いえ、何も……」

 改めて問われると、実際には名前と家庭の事情があるということくらいしか知らない。

「仕事を探して、しばらくこの町に滞在するとは本人も言っていたんですが、それを最後に誰も見掛けなくなったようで……」

「ほうほう」と、ウトネは相槌を打ちながら頷いた。

 そこまで話を聞いたところで──ふと、ウトネは手を止めた。

 何事かを思い出したかのように目を瞬かせた。

 そして、ジーッとシソクを見詰めたものである。

「ところで、貴方この町の人間ではないようですが……」

 本来であれば最初にしなければならないような身元確認をしていなかったことに、今更ながらに気が付いたらしい。

 ウトネは警察官という厳格な役職にありながら、少しうっかり者であるらしかった。


「この町に何をしに来られたんですか?」

「いえ、何って言われても……」

 それはシソク自身にも分からなかった。村から逃げるように出て来て、自然と足を運んでしまったのがたまたまここだっただけである。それに理由などない。


「何か、怪しい人ですね……」

 ウトネは目を細め、疑うような視線をシソクへと向けた。

「身分証はお持ちですか?」

 村の出なので、そんなものは持っていない。

 シソクが首を左右に振るうと、ウトネはさらに問い詰めてきた。

「身元を保証できる人は?」

 すぐにでも、手錠を掛けてきそうな勢いである。


──この質問には答えようがあった。


「保証かどうかはわかりませんけど……」

 シソクは窓の外を指差してみた。

「あそこが僕の父さんの家です。疑うなら、そこに聞いてみてくださいよ」


 すると、ウトネの表情が変わった。

「おおっ! 会長のご子息の方でしたか! それは失礼致しました」


 背筋を伸ばし、途端に態度が変える。

「これはこれは……お時間を取らせて誠に申し訳ありません! 何か予定などありませんでしたか?」

「あ、いえ……」

 態度が一変したウトネに、シソクは困惑してしまったものである。


 父親はこの町で、いったいどんな存在なのだろうか──?


「家に行って、父さんに会ってみようかと思っています」

 少し、興味が湧いてきたものである。


 事情を知らないウトネに取っては不自然な文脈であったが、揉み手をしだした彼女の耳には届いていないようだ。

「そうですか、そうですか。行ってらっしゃい。お気を付けて」


「あ、はぁ……ありがとうございます。これを食べたら行ってみようと思います」

 そう言って、シソクは目の前の皿を指した。

 まだ食べ始めたばかりなので量は全然減っていない。ウトネの相手をしていたので少し冷めてしまっていたが、それに関して思うことはない。


「お邪魔致しました。ごゆっくりどうぞ。失礼しました」

 ウトネは愛想笑いを浮かべ、ペコペコと頭を下げながら離れて行った。


 ウトネが去ってから思ったが──もしや危ない状況であったのかもしれない。手錠を掛けられる寸前までいっていたが、父親の存在がそんな状況から救ってくれた。


 ヒヤヒヤしながらも、これ以上食事が冷めないようにとシソクは手と口を動かしたのであった。

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