(31)パパの近況
何度かレストランバーに足を運んだが、キンコの姿を見付けることは出来なかった。
「あの……、先日来た、女の子見てないですか?」
シソクは心配になって、カウンターに居たバーテンダーに尋ねてみた。お店の人であればお客の情報にも詳しいだろう。
バーテンダーは眉を潜めたが、すぐに思い立ったようで「あぁ」と頷いた。
「あの身なりの貧しい子ですかい? 店の品格が落ちるから迷惑に思っていたけど……そういやぁここのところ、見てないですね。仕事を探してるって言ってたから、他の町にでも移ったんじゃないでしょうか? あれじゃあ、見付かりそうもありませんし」
仕事が見付かりそうにないというのはバーテンダーに同意だが、他の町に移ったというのは同意しかねた。
キンコ本人がしばらくこの町に滞在すると言っていたのだ。それにも関わらず、翌日から行方を晦ましてしまうというのは変だ。
まだ数日も経っていないので、他へ移り住むにしても早すぎる。
シソクは疑念を抱いたが──だからといって、何をしてやれるわけでもなかった。
バーテンの言う通り──単に仕事先が見つかっただけなのかもしれない。あるいは、寝床を他に変えたのだろう。このホテルに泊まるだけのお金を持ち合わせているようには見えなかった。
何にせよ、いくら望んだところで居ないものは居ないのである。
また会えたらいいな、くらいに考えて、シソクは食事を取るために席についた。
椅子に座って、メニューを手に取る。
「やっぱりお前だったか……」
そうして注文を考えていると、不意に男性に声を掛けられた。
顔を上げたシソクは──思わず目を見開いたものである。
「……父さん……!」
幼い頃の記憶を頼りに、眼鏡を掛けた茶色いストライプのスーツを纏ったその中年の紳士が父親であることが分かった。年を取り、白髪混じりの頭が年月の経過を思わせた。
転居してしまっていたのでもう二度と会えないとも思っていたが──すごい偶然である。
「どうしてお前がここに居る。何をしているんだ?」
父親の方も、シソクを見付けたことに驚きを隠せないようだ。
さすがは親であるだけあって、成長したシソクのことがすぐに分かったようである。
「それはこっちの台詞だよ。家に行ったら売り地になっていて、父さんの姿が見えないんだもん。もう会えないかと思ったよ」
「そりゃあ、すまんかったな。色々と手狭になったものだから、広いところに越したんだよ」
父親は申し訳なさそうな顔をして言った。
「そうなんだ……。まぁ、元気そうなら良かったよ」
シソクは頷き返した。
父親にも色々と事情があるのだろう。別にそのことを咎めるつもりもない。
「それで……」と、父親は話題を変えるように言った。
「俺の質問に答えて貰っていないが……何をしている? 理由もなく、わざわざこんな町に来たりはしないだろう?」
「それは……」
改めて問われて、シソクは口篭った。
まさに、その通りである。さすがは父親だ。
シソクの内心を見透かしたようである。
しかし──村であったことを思い出すこと事態、シソクにとっては辛いことであった。
気が重くなり、シソクは俯いた。
黙っているシソクを見て、父親の方が理解を示してくれた。
「お前の方も色々あったようだな。まぁ、無理に話さなくても良いさ。俺も仕事中だから、余りゆっくりもしていられないんだ」
父親はそう言って、肩を竦めた。手には確かに、ビジネスバッグを持っていた。身なりをしっかりさせていることからも、これから何かの商談でもあることが伺えた。
「ごめん。忙しい時に」
「いや、構わないさ。俺の方から話し掛けたんだからな」
そう言って、父親は歩き出そうとして──ふと何事かを思い立って足を止めた。そして、シソクの方に顔を向ける。
「お前さえよければ、力になるよ。今、俺はあそこに住んでいるんだ」
そう言って父親は窓の外を指差した。
シソクも視線をそちらに向けた。
示した先にあるものを見て、目を丸くした。
父親が指したのは一等地に建った豪華なお屋敷であった。
「何か困ったことがあったら、頼って来るといい。……お前は俺の大事な息子だからな」
そんな照れてしまうような当然の台詞を父親が口に出した瞬間──。
──何故だろう?
本来、そんな感覚を抱くはずがなかった。
それなのに──ゾゾゾッと、シソクは血の気が引くのを感じた。
村でのことが思い返された──。
──愛情。
──好意。
そんなものを抱かれた末には──次に向けられるのは殺意。自ら命を断ったナジーの死に様が脳裏に浮かび、シソクは思わず警戒してしまった。
「……フッ」と、父親は笑みを漏らす。
「協力するさ。……だから、何かあったら来るんだぞ。遠慮なんていらんからな」
父親はシソクの肩に手を置いてきた。
それが余りにも大きく、優しく感じられた。
シソクの警戒心も一瞬で和らいだ。
父親はシソクに背を向けると歩き出し、背中越しに手を振りながらホテルの奥へと消えて行った。
父親の背中が見えなくなると、シソクはフーッと息を吐いてテーブルに突っ伏した。
そして、自責の念にかられたものである。
──親切に言ってくれたのに、僕はどうしてあんな風に思ってしまったんだろう。
自分が非道な人間にしか思えず、シソクは落胆した。
ふと、我に返り──周囲の視線に気付く。奇異なものでも見るような目がシソクに集まっていた。
シソクは慌てて席を立つと、逃げるように外へと飛び出して行ったのであった。
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