(33)親子水入らず

「あぁ、よく来たな」

 事前に知らせもなく突然の訪問となったが、父親はこころよくシソクを迎え入れてくれた。

 広いお屋敷の中には父親以外に人の気配はなかった。

「こんな広いところで……寂しくないの?」

 不躾ぶしつけな質問であったが、実の息子からの直球な質問に父親が気分を害した様子はない。

「寂しくなんてないさ」と、肩を竦めながら答えてくれた。

「むしろ、俺の方がここを選んで建てたんだから。ここは俺の希望通りの場所さ。色々と動きやすいしね」

「確かに、そうかもね」

 父親の言葉にシソクも頷いた。

 言葉通り、一等地に建ったこのお屋敷は交通の便でも立地が良く、以前のアパートとは比べ物にならないくらい住みやすい場所であった。


 広い敷地ばかりでなく、中にある家具も高価なものであった。

 アンティークのテーブルにフカフカの絨毯じゅうたん──天井からはシャンデリアがぶら下がっていた。

「凄いね」

 シソクは部屋を見回しながら感心したものである。

「お前たちが出て行ってから色々と事業を起こしてね。上手くそれが軌道に乗ってくれたお陰で、今はこんな感じさ」

 父親は苦笑しながら棚からボトルを取った。


「まぁ、適当に座ってくれ。久し振りの再会なんだ。ゆっくり話でもしよう」

 父親に促され、シソクはソファーに腰掛けた。

 柔らかく、体が沈んでいくのを感じて慌てて体を起こした。

 初めは違和感しかなかったが、体型に合わせてソファーの形状が変わっているのだと理解して身を任せた。

 高価な代物だけあって、性能も優れているようだ。


 父親はグラスに液体を注ぐと、ボトルにふたをして棚に戻した。

 そして、さらに別のボトル瓶を取り出す。

 グラスはシソクの前に置き、ボトル瓶を持ちながら父親は椅子に足を組んで座った。

「まぁ……俺のことは良いんだ」

 父親はボトル瓶の蓋を力任せに開けた。

「それよりも、聞かせて欲しい。……何があったんだ?」

 真っ直ぐな目で、父親はシソクを見詰めたものである。

──それはそうだろう。

 長らく音信不通であった息子が、突如として姿を現したのだ。肉親として、何かがあったのだと知りたいのは当然だ。


「……それは……」

 前回同様に、シソクは言い出すことは出来なかった。

 しばらく時間はあったが、気持ちを整理出来たわけではない。

 どうしても口に出せなかった。


 口篭っていると、不意に父親は笑った。

「……フッ……」

 そして、父親はボトル瓶に口を付けて傾けた。中の液体をグビグビと飲む。

「まだ言えんというのなら、構わんさ。お前が来てくれただけで嬉しいからな」

 深く追及されないのは、シソクとしても有難いことであった。


 気分を変えるようにシソクは言った。

「それ、お酒?」

「そうだ」と、父親は返した。

「最近の楽しみでな。酒を飲むと色々なことから目を背けられるって気が付いたんだよ。お前もどうだ?」

 そう言ってボトル瓶を差し出して来たが、シソクは首を左右に振るった。

 代わりにシソクは、前に置かれたグラスに口を付けた。果汁のジュースだ。柑橘系だろう。甘味が強いが、ほんのりと酸味を感じた。


「戻って来る気はないのか?」

 唐突に、父親はそんなことを言い出す。

 シソクが顔を上げると、父親の真っ直ぐな視線と目が合った。

「金をたんまり稼いだから、お前にも苦労はさせないさ。お前は大事な一人息子だからな」

「……ごめん」

 シソクは俯き、謝った。

 考える間もなく、シソクの思いは決まっていた。家を出て、村に移り住んでから彼は父親と別の道を進み出したのである。

 今更戻って、面倒を見て貰おうなどと思わなかった。


「そうか……」

 父親はボトル瓶の酒を、さらに飲んだ。

「……ぐふっ!」

 ボトル瓶から口を離した父親は、袖口で口元を拭う。

「大切なお前がどう生きていこうと、俺に止める権限はないってわけだな……」

 どこか物悲しく、父親は言ったものである。

 シソクは申し訳なく思ったが、だからといって考えを改めるつもりもなかった。


 これ以上、長居をしていると逆に父親を苦しめてしまうかもしれない──。

 シソクは立ち上がった。

 父親もシソクの気持ちを察したらしく、動かなかった。


「そうだ……」

 部屋を出て行こうとしたところで、シソクは父親に呼び止められた。


「折角、ウチに来たんだ。最後に、最近の俺の趣味を見て行かないか?」

「しゅ、趣味……?」

 去り際に何を言い出すのだと、シソクは目を丸くしたものである。でも、それも寂しさの現れなのだろうと解釈した。

 息子と一緒に居る時間を引き延ばそうとしているように感じられた。

「実はな。屋敷に地下室があってな。そこに宝物をしまっているんだよ。それだけでも見ていってくれないか?」

 一人でこのお屋敷に住んでいると言っていたから寂しさもあるのだろう。いくら豪華な趣味のものを取り揃えても、それを見せる相手も居ないのならば寂しいものである。


「分かったよ」

 父親の最後のお願いと、シソクはそれを受けることにした。

 別に決別しようというわけでもないのだが、父親が不憫に思えてならなかった。

 急がずとも少しくらいは付き合おうと、シソクは優しさを見せたのであった。


「おお、そうか! それじゃあ、こっちに来てくれ」

 父親は嬉しそうに立ち上がるとボトル瓶を持ちながら、案内するように先立って歩き出した。

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