(19)もう一人の行方不明者

 シソクは動けずに居た。

 目の前で、親しい人たちが命のやり取りをしているというのに、体が言うことを聞かず立ち尽くしてしまっていた。


 レージョが振るった出刃包丁を、ナジーがかわす。

 今度は、レージョも殺意が高めだ。すぐに振り向き、大振りに出刃包丁を振るった。

 ナジーは後ろによろけ──間一髪かんいっぱつのところで、刃を避ける。


──ピクッ!


 シソクは、首を傾げた。

 そんな緊迫した状況で──視界の隅で何かが動いたような気がした。二人に注目がいっていたので、その正体に気が付くことは出来なかった。


「ご機嫌よう」

 尻餅しりもちをついたナジーの前に、レージョが立つ。

 別れの挨拶をしたレージョは、出刃包丁を振り上げた。


 シソクの目に、出刃包丁を振り上げるレージョの姿が写る。

──そして、その背後で誰かがのっそりと立ち上がった。

 レージョに殺されたはずのおじいさんだ。

 仰向けに倒れていたはずのおじいさんが、ここに来てよみがえりでもしたのだろうか──ところが、そこに見えた顔はおじいさんとは別人のものであった。


──猟師だ。


 おじいさんの血濡ちぬれた衣服に身を包んで倒れていた猟師が立ち上がったのである。その手には──レージョが彼から奪って投げ捨てた猟銃が握られていた。

 弾切れを起こしていたが──当然、持ち主である猟師は装填そうてんし直したことだろう。


「いったい、何が……?」

 何が起こっているのか、シソクの思考は追い付かなかった。


 猟師のおじさんは──そもそも見掛けていない。レージョが猟銃を奪っていたことから、どこかで襲われたのだろう。ただ、息の根までは止められていなかったらしい。

 亭主のおじいさんの死体は──見当たらなかった。

 近所のおじさんの死体は相変わらず地面に転がっていたが、見える範囲にはない。おじさんの死体がそこにあったからこそ──血塗れの衣服に身を包んだ猟師を、勝手におじいさんだと決め付けてしまっていた。


 レージョとて同様である。完全に、死体のことなど意識の外にあった。

 まさか、自分の背後でおじいさんの死体に化けた猟師が立ち上がったなどとは思ってもいないだろう。

「地獄に落ちると良いですわっ!」

 雄叫おたけびを上げ、レージョはナジーに向かって出刃包丁を振り下ろした。

 その瞬間である──。


──パァァァンッ!


 当然の如く、猟師の猟銃が炸裂さくれつした。


「なぁっ!?」

 驚きの声を上げるレージョは、り返りながら背後を見遣った。そして、そこに立っている猟師の姿に気が付いた。


「……獣が。獲物を狩る時は、きちんと相手の息の根を止めるべきだぜ……」

「そん……な……!」

 レージョはよろけながらも向きを変え、今度は猟師に出刃包丁を向けた。


「……チッ!」

 猟師は舌打ちをすると、狙いを定めて再び引き金を引いた。


──バァアアアンッ!


 銃弾がレージョの胸元をつらぬいた。

 レージョは衝撃で後ろに吹っ飛んだ。出刃包丁も手から離れ、同時に地面へと落下した。


「あ……あぁ……」

 地面に大の字に倒れたレージョは、血に塗れたその手をシソクへと伸ばした。

「……釣り、楽しかった……ですわ。次は、お弁当を持って一緒に……」

 最後までその言葉を口にするまでもなく、レージョは息絶えた。伸ばした手も重力のまま落下し、血溜まりの中に落ちてしまう。


 シソクとナジーを殺せず志半ばで絶命したレージョであったが──その表情は柔らかで、幸せそうに笑みが浮かんでいた。

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