(02)人間という種の異変

 人間が暮らす人間界とは別に、天界という世界があった。そこには所謂『神』たちが暮らしており、そこですべての生物の管理や監視を行っていた。

 何億──何兆──何系と存在する数多あまたの生物たちの繁栄を見守り、生じた軋轢あつれきを解決するのもまた神々の役目でもあった。


 天界のとあるオフィスで、一人の女神が自身のデスクで怪訝けげんな表情を浮かべていた。彼女の手には鏡があり、視線はそちらに向けられていた。鏡面きょうめんには、様々な人間たちの様相ようそうが写し出されていた。

「妙だわ……」

 女神は呟くと、鏡面から目を離した。

 鏡をデスクに伏せ、積まれている書類の束から一枚を手に取って見詰めた。

「人が人を殺める行為が明らかに増えている。しかも……動機が不可解なものばかりだわ。こんなこと、これまでにはなかったはずなのに……」

 女神は眉間みけんしわを寄せた。

 考えただけで、ソワソワして落ち着かない。何とか自制しようと指を噛んだものだが──どうにも我慢出来なかった。

 女神は勢い良く立ち上がると、オフィスフロアーの隅っこにあるデスクへと向かった。


「ボス!」

 言いながら、デスクを叩いた。

「な、なんだね……」

 デスクに居た中年男性の神は、女神の圧にオロオロとしてしまう。眼鏡を掛け、スーツを着た彼は──この女神の上司であった。

「人間たちの様子が変です! 何か、異変が起こっているに違いありません! 私に、調査させて下さい!」

 熱く、強い口調で言った。

 それ程に、女神の正義感は強いのだろう。違和感がして、いても立っても居られなくなったのである。上司に直談判をした。


 異変が起こっているというのなら、当然調査しなければならない。当たり前に許可が下りるものと、女神も思っていた。


 ところが──。


 上司はデスクの上で手を組んで尖塔せんとうのポーズを取る。上司の眼鏡が怪しく光を放った。

「人間なんて、昔から殺し合う生き物だろうに。他人を殺すことなんて昔からあったことじゃ。何も変わりはせんよ」

「し、しかし……!」

 なおも食い下がる女神に対して、上司は深く息を吐いた。

「生物は数多といるのだぞ。贔屓ひいきして、一つの生物なんぞにかまけてはいれんわ。それよりも、自分の担当の方をしっかり監督したらどうじゃ?」

「で、ですが……、どう考えてもおかしいんですよこれ……」

 モゴモゴと言って、女神は証拠の書類を取りに戻ろうとした。


「いい加減にしたまえ」

 低い声で上司に言われ、女神は肩を強張らせた。

 眼鏡の奥にある上司の眼光は鋭かった。


「それ以上、無駄口を叩くようなら担当部署を変えさせてもらうよ。君は……今、君の目の前にある仕事をしたまえ。余計なことに首を突っ込むんじゃない」

 上司の圧に押され、立場が逆転してしまう。

 喉から出掛かった反論を飲み込み、女神は上司をにらんだ。

──何を言っても、この頑固者は首を縦に振ってくれないであろう。


「分かりましたよ!」

 女神は怒鳴ると、デスクを叩いた。

 そして、上司にプイッとソッポを向いて自身のデスクへと戻って行った。


 形式上の敗北──しかし、女神に大人しく引き下がる気はない。


「……負けないんだから……」


 上司からの圧力に屈しないことを心に誓い、書類を手に取り目を向けたのであった。

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