第2話 俺が美少女になるんだよ!?

 祖母の葬儀が終わり、すぐの休みの日。

 俺は彼女の遺言を確かめるべく、山梨県は大月市に降り立った。


 祖母の家の片付けが行われる前に、魔導書? とやらを回収しておかなければ。

 だが、正直俺は彼女の言葉を信じられてはいなかった。

 今際の床についた祖母が、幼い俺を喜ばせるためについていた嘘を、再び口にした。

 そう考えた方が納得できる。


 季節は秋に差し掛かる頃合い。

 紅葉を見るためか、観光客はそれなりに多い。


 俺は彼らに紛れてバスに乗った。


「ここでもタクシーを使うことになっていたら、痛い出費だった……」


 俺は一人呟く。

 今の会社の給料では、頻繁にタクシーを使うことなどできやしない。

 転職するかなあ……。


 そんな事を考える。

 さて、バスに揺られる時間がしばらくあるから、アワチューブでも見て時間を潰すとしよう。


 かつてはアニメなどを見ていたが、仕事のストレスから新しい物語を頭に詰め込む余裕がなくなっている。

 その点、アワチューバーたちの配信はいい。

 テレビのバラエティ番組が面白かった時代を、今に蘇らせているようだ。


 その中でも、根強い人気を誇るコンテンツが……。

 現実に出現したダンジョンを攻略し、消滅させる冒険配信だ。


 今まさに、配信がスタートするところだった。

 ハロウィン配信だ。

 そうか、もうそんな季節か……。


『こんきらー!』


 ワイヤレスイヤホンに、配信者の元気な挨拶が飛び込んでくる。


 仕事をしていると、暑さ寒さでしか季節がわからなくなる。

 独身で家と職場の行き来しかしない日々なら、なおさらだ。


「町中がダンジョンになってるのか? 渋谷……? 大変だなこれは……」


 画面の中では、きら星はづきという配信者の女の子が、面白おかしいトークとともに配信を行っていた。

 途中途中で、ハロウィンの仮装をした人間がそのまま怪物になり、襲いかかってくる。


 ショッキングな映像だ。

 だが、それはこの世界ではありふれたものであり、そいつらと配信者が戦う姿を見て、俺たちはスーパーチャット……いわゆる投げ銭、スパチャとも呼ばれる……を投げたりコメントを書き込んだりして楽しむのだ。


 誰だろうな、こんな悪趣味な仕組みを考えついたのは。

 しかし……凄いスパチャだな。

 冒険配信、儲かるんじゃないのか……?


 配信がいいところで、バスが目的地近くの停車場に到着した。

 降りると、辺りには懐かしい景色が広がっている。


 幼い頃と何も変わらない、祖母が持つ山の風景……だったのだが。

 一歩踏み込んだら風景が変わった。


「焼畑農業でもやってたのか?」


 山の中腹が焼き尽くされている。

 草木の一本も生えていない。


 異常な光景だった。

 一部だけを狙ったように焼き尽くす。

 人にできる所業か?


 祖母の遺言を思い出した。

 大魔導書を奪っていった連中がいるんだよな。

 それを俺にどうしろと言うのだ。


 焼畑状態の地区を抜けていくと、祖母の家があった。

 家を囲んでいた、門のように組み合わさった木々はへし折られ、花畑は根こそぎ引き抜かれ、泉は枯れていた。


 ここでも何かがあった事が察せられる。

 だが、祖母の家は無事だった。


「嫌な予感がする。取り返しがつかない状況に、まるで誘い込まれているような……。いや、おばあちゃんがそんな事を俺にするはずがない……」


 自分に言い聞かせるように呟きながら、俺は合鍵を取り出した。

 扉を開ける。


 見慣れた祖母の家だ。

 屋内は全く荒れていない。

 外の異常な状況が嘘のようだ。


「魔導書、魔導書……。本だよな、つまり」


 家の一番奥には、祖母の書庫があった。

 幼い俺が大好きだった絵本や、マンガ、小説なんかもあって……。


「確か、鍵の掛かった本棚があったよな」


 思い出す。

 書庫の広さは八畳間くらい。

 そのさらに奥まった場所に、それはあったはずだ。


 書庫は、ホコリくさかった。

 随分長いこと、換気がされてないらしい。


 真っ暗だが、カーテンの隙間から外の光が漏れてきていた。

 明かりを点けて、奥へ向かう。


 みしっ、みしっ、と床が音を立てた。

 不気味な雰囲気。

 よく知っている場所のはずなのに、妙に緊張する。


 鍵の掛かった本棚、鍵の掛かった本棚……。

 あった。

 青く光っているから分かりやすいね。


 近くに置かれた鏡に反射して、光を強く感じる。


 ……青く?

 光って!?


 あきらかにそこだけが異常だった。


「おいおいおい」


 近づきたくねえー。

 何から何までアンティークな作りの、祖母の家だ。

 照明を仕込んでいるはずがない。

 

 だが、本棚は光っていた。

 くそー、遺言で託されたしなあ……。


 俺は深呼吸をし、自分の両頬を叩いた。


 行くか!


 意を決して足を進め、本棚に手を掛ける。

 俺の手も、照明に照らされて青く輝く。


『正しき魔女の血を確認しました。ようこそ、新たなる主よ!』


 突然そんな声が響き渡る。

 甲高い、女性とも子供とも取れる声だ。


「なんだ!? なんだなんだなんだ!?」


 鍵の掛かっていたはずの本棚が、ひとりでに開いていく。

 そこには一冊だけ、水色の表紙をした本があった。


 見たことのない文字で、書名が刻まれている。


「浮遊の力、フロータ……」


 読めた。

 なぜか、読めてしまった。


『はい、フロータと申します! 新たなる魔女と私の契約が結ばれました。どうぞ、よろしくお願いしますね。では、魔女としての名を私にお伝え下さい。それがあなたがこれより、魔女として生きていく上での魔法名となります』


 俺は混乱している!

 いきなりとんでもない方向に話が進んで……いやいや、そもそも、本が喋っているじゃないか。

 そして照明の正体は本そのものが光り輝いていることだ。


 どこかにマイクが仕込まれている?

 本にLEDが?


 ない。


『お名前をどうぞ!』


 急かされて、俺は思わず「ショウゴだ」と名乗った。


『それは人としてのお名前ですよね。あ、そうか! 主様は今、魔法を使うための姿をしていないから! なーるほど、フロータ、納得しちゃいました』


「おい待て。勝手に納得して勝手に話を進めるんじゃない!」


 ろくでもない事になりそうな気がする!


『安心してください! フロータは浮遊の力しか使えませんが、魔の断章がしおり代わりに挟み込まれていますから……。変容……メタモルフォーゼの断章です! さあ主様』


「俺に何をしろと言うんだ……!」


『こちらの断章をどうぞ!』


 ふわりと浮かび上がった魔導書、フロータ。

 そのページが猛烈な勢いでめくれていき、挟まっていた紙片がポーンっとはじき出されてきた。


 俺は思わずそれを受け取る。


『魔法名を』


 手にした紙片が、俺の脳内にそう呟いた気がした。

 魔法名?

 そんなもの、ありはしない。


 一介の会社員で、物流部門の係長補佐で、忙しさのあまり好きだったゲームもアニメも全然触れられていない、オタクの外見のまま中身が虚無になった俺に、何を求めていると言うんだ。


『現在ではなく過去に』


 紙片が俺の過去の記憶へと手を伸ばすのが分かる。

 ショウゴという名前をひっくり返して、俺は幼い頃、コショウと呼ばれていた。

 ある時、友人たちと泥だらけになって遊んで、祖母の家に帰ると……。


『真っ黒になったショウゴは、まるで黒コショウだねえ。私の大事なスパイスちゃん』


 なんて歌うみたいに言われながら、汚れを拭いてもらった。

 そんな記憶がはっきりと蘇る。


『魔法名を確認しました。先代より名付けられた新たなる魔女の名……スパイス……!』


 次の瞬間。

 俺の視界がぐるりと回転する。


「う、お、お、お、お、おおおおおおおおおおおおおお!?」


 極彩色の奔流が、脳内に溢れ出した。

 くすんで見えていた世界の姿が、鮮やかに色づいていく。


 見たことがない色が、そこここにある。


『世界は魔力……マナに満ちています! 主様、ご自身の肉体から漏れ出るオドにお気づきになりましたか? 見えます? よろしい。主様は間違いなく、才能がおありです! それにほら。魔法を使うためのお姿にも変わられました!』


 魔導書フロータが、ご機嫌な口調で告げる。


『とってもお可愛いですよ!』


「可愛い……? 俺が……!?」


 思わず呟いた声色が、明らかに男のものではなかった。

 甲高くて、なんとも可愛らしく甘い響きのある……女、というか少女の声。


 横にあった鏡を、見た。


 そこに映っているのは、黒髪をツインテールにした少女の姿だ。

 身につけていたジャケットは、ゴスロリめいたエプロンドレスに変わっていた。


「な、な、な、なんじゃこりゃー!? お、俺が美少女にーっ!!」


 運命が動き出してしまった。


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