第7話 人間界へ
ようやく夜に帰ってきたイルマは、つかつかと僕のそばにきて、後ろ手にしていた花束を差し出した。
イルマの不在中、僕は不貞腐れて、服は着たもののベッドでゴロゴロしていたが、イルマの行動に驚いて起き上がった。
「勝手なこと言ってゴメン。俺が琉綺の同意も得ずに番にしたのに、無責任だった」
「イルマは、僕を助けるために、番にしたんだろ?僕の事好きなの?」恐る恐る尋ねた。
「好きだ。一緒に旅して、余計好きになった」
僕は両の手を伸ばして花束を受け取った。花の色は濃い紫やピンクばかりだったけど、綺麗だった。
「僕もイルマを好きだ。でも番になった気持ちなんて、いまいち、よくわかんないんだ。これから、2人で作っていけば良いと思う。イルマは、確かに衝動的な行動が多いけど、無責任じゃ無い。助けてくれて、番にしてくれてありがとう」
僕達はいつもより熱いキスをかわし、服を脱いでベッドで抱き合った。イルマとイルマの魔力に包まれる心地良さは魔人で番になったからこそわかる。
前の世界で、いつも一人で孤独だった僕が、この安心感を与えられることは、結局無かった。番として絶対離れられない、その強制も安心感として、イルマに余計縋ってしまうのかもしれない。
人間界と魔界の境界には人間側が張った結界がある。まだ未熟な僕では通れないだろうが、一応念のため試すか、と軽い気持ちで散歩がてら行ってみた。
「俺は叩いて壊す一択だけど、目立つから薄めて穴を開けるというやり方もある」
「薄めるかあ。やってみるよ」
とは言ったものの、やり方はわからん。
手のひらに魔力を送り、壁を削るイメージでやってみた。
ガラス製の壁みたいな結界を一心に擦っていると、そばで見ていたイルマが「薄くなってる!」と驚いた。
「もう少し薄くなったら、俺が消せるから頑張れ」
背中に手を当てられ、イルマの魔力が流れ込んできた。
それをそのまま通す感じでより一層擦ってみた。
「おし、代われ!後は俺がやる」
イルマは両手を広げて薄くなったところに当てた。
「消えろ!」
ふうっと風が通った。見るとぽっかり穴が空いている。
「今のうちだ、通るぞ」「え、行くの⁈」
「すぐ塞がるかもしんねえ、急げ!」
僕はイルマに押されて穴の中に上半身を突っ込んだ。そんな大きな穴じゃないからね。
そのまま足を持ち上げられて押し込まれた。
「わわっ、ちょっと待って――」
勢いよく地面に落ちたよ。イテテ。
地面を見ると、緑の草が生えてる。あ、人間界だからか。
立ち上がって確かめると森の外れのようだった。
水っぽい木の香りが漂ってくる。思わず深呼吸した。
森と反対側は足首くらいまでの雑草が所々生え、舗装されてない道へ続いていく。
『人間界に落ちれば、僕は人間のままいられたのに』
ふと、ある想いが込み上げた。ずっと考えないようにしていた。
己の不運か幸運かわからない。
できれば人間のままが良かった。
勿論イルマは、僕を助けるために魔人にしたから、彼は悪くない。
イルマを好きだし、ずっと一緒にいたいと思うようになった。
『こっちに落ちれば、僕は人間でいられた』
でも、どうしても考えてしまうのは、仕方無い。僕は人間だったから。
「飛んで行きたいけど、目立つし、こっちでは魔力が早く切れるから、歩いて行く。遥か向こうに街が見える。琉綺?聞いてる?」
入って来たイルマに声を掛けられて、やっと思考が止まった。
「どうしたの?」
「ううん、森の中じゃ無くてよかったなと」
ふーん、と思わせぶりな相槌を打ったイルマの手を繋いだ。
「できればベッドで寝たいな。急ごう!」
「ちょっと走るか!馬車が通ればいいな」
「馬車⁈自動車は無いの?」
「じどうしゃ?何それ」
「そっか、無いのか」
僕のいた所より遅れてると知るとがっかりした。
異世界転移って、未来に行くことはないのかな?
道に出て、イルマに手を引っ張られて走った。全速力なのになぜか息苦しくならない。
途中で馬車には会わなかったので、街の入り口が見えるまで走り続けた。
ようやく止まると、途端に汗が吹き出し、足がガクガクし始めた。喉もカラカラだ。
え、何故?とイルマを見ると平然としている。
「琉綺に身体強化の魔法かけたんだけど、何故そんなしんどそうなの?」
と首を傾げている。
「強化しても、もともと体力無いからでは?」
「成程、まだ人間に近いからか」
僕はイルマに肩を借り、よたる足を何とか動かして街中に入った。魔界に一番近い大きい街で、その次が王都だ。
二つの町はお互い馬車で1週間近くかかるそうだ。
「ここで、まず探してみて、駄目なら次は王都へ行くしかない」
その日は僕がヘロヘロに疲れたので、宿をとって留まり、イルマだけ、次の日から僕も、お兄さんの消息を求めて、宿屋や市場の人への聞き込みを開始した。
その過程で、この世界にはギルドがあって、冒険者(求職者、金融)、商業、医療、薬局、建築土木、魔道具作成、貴金属製作従事者など組合を作ってそれぞれの支店で、依頼を受けるシステムを知った。
取り敢えず僕は物珍しさで、イルマが冒険者ギルドへ行く時に着いて行った。
扉は開きっぱなしで、正面にカウンターが有り、壁面に沿ってカウンターが取り付けられ、壁には依頼書が貼られていた。
まず、冒険者として登録し、口座を作った。
お兄さん求む!と依頼書を作ってもらい、壁に貼り付ける。
ついでに他の依頼書を見てみると、意外に僕でもできそうな案件もあった。
例えば、引越し手伝い、庭の草むしり、畑の収穫手伝い。
「そんなのやらなくていいからな!」イルマが少し怖い顔で言った。
「僕が魔獣狩った方が手っ取り早いし、収入もいい」
僕は気晴らしに丁度いいから、と説得しつつ、その日は何も受けずに、お兄さん探しに戻った。
それから2週間位、探し続けて、ある宿屋でお兄さんを泊めたと言う情報を得られた。
「ずいぶん昔の話よ?あなたに似た、金髪で赤い目の男前の人よね。結構腕のいい冒険者で、最初に一月分の宿賃払ってくれて、依頼を受けてた。時々鹿や猪の肉までくれて、いい男だったよ。王都へ行くって言って出てったけど」
そんなにはっきり覚えていた人はいなかったので、大いに参考になった。
「王都は広いから、更に時間かかると思う。でも、ある程度近付いたら気配がわかるから」
「お兄さんに、僕も会いたい。でも、王都行く時は…」
「辻馬車で行こう。走るの嫌なんだろう?」
「ソノトオリデス、スミマセン」
飲み食いする必要は無いが、一応食料(パン、肉、果物、お菓子)、毛布とクッションを適当に買い込み、辻馬車に乗り込んだ。
王都までの道のりは平坦で、パラパラと住居や店が点在している石畳の道を、馬車で進んで行く。
乗り心地は地面の振動が伝わり、クッションを敷いていても、お尻が痛くなる。
僕達は僕達以外聞こえないような小声で喋っていた。
「依頼書では余り期待できない?」
「そうだな、情報提供でも謝礼有りって書いたからちょっとでもあれば良いね」
「もし、お兄さんが見つからなければ、本当に結婚式はしないの?」
「んな事ねえよ。一応兄も招待しましたが、欠席です、と言う体裁が欲しいんだろ。新郎新婦も探しました、で終わりさ。ただ」
そこでイルマは口篭った。
「ただ?」
「琉綺が、魔界じゃなくて人間界に落ちてりゃ、こんな事せずに済んだ。どっかの町で誰かに普通に人間として世話になってた。俺なんかに、魔人にさせられて無理矢理番にならなくて済んだ」
イルマも僕と同じことを考えていたんだ。
僕は胸を痛めながらも、はっきりとした意思を尋ねた。
「イルマ、君に言われたら、僕はどうしたら良いんだ?イルマは僕を選んでくれたんだろう?それとも、誰でも良かったの?」
イルマは僕を抱きしめた。
「それはない!俺はお前の血とお前自身が気に入ったから生かしたんだ」
改めて聞くと『血』って重要?吸血鬼だから、大切なんだろうな。吸血鬼を癒す血だし。
ガタン、と馬車が跳ねた。
抱き合っていた僕が我に帰ると、馬車の同乗者の生暖かい視線が、とても恥ずかしかった。
3日ほど車中泊をして、ポツンと三階建の建物が現れた。何台か馬車が止まっていて、大勢が泊まれるホテルだった。
街の宿屋より高いんだけど、設備は良く、共同風呂もあった。風呂付きは珍しいそうだ。
食事はビュッフェ方式で、何種類もおかずがあった。
せっかくなので頂いた。塩味がちょっと濃かったが、まあまあ美味しかった。離宮の料理と比べたら駄目だよね…
何日かぶりのふかふかの布団に、早速裸になって潜り込む。イルマも同様にした。
キスしながら抱きしめ合うと、イルマの魔力が口から流れ込む。身体も包み込まれて僕はうっとりと享受する。
「魔人にも、人間にも渡さねえ。琉綺は俺のだ」
首筋に噛みつかれて血を吸われる。前触れがなかったので文句を言おうと口を開けたら
「ああん」と色っぽい声が出てしまった。
噛みつかれたまま、ふふっと笑われた。
僕は顔を赤くして耐えるしかなかった。
次の日、柔らかな感触を惜しみながらベッドから出た。今日の晩からはまた、硬い床の車中泊だ。
食堂に行くと、冒険者の護衛と引率する御者が何か揉めていた。
「どうした?何があった?」
イルマが近くの同乗者に尋ねた。
「護衛をここで交代する予定が、相手が来ねえって。でも予定通りここで護衛は辞めるって言われて、それは困るからって交渉中さ」
「続けてやってくれそう?」
「向こうも元の街で仕事があるって言ってて」
「じゃ、護衛無しで行くのか?」
「護衛代込みで払ってんだし、それは困る。強盗とか出たらどうすんだよ」
イルマは僕の方を見てニッコリ笑った。
「冒険者としての初受注する?」
「え?何?」
「護衛なら引き受けようか?」
イルマは二人の前に立った。二人はイルマを見てバカにしたかのように笑った。
「小っちゃい兄ちゃん、また今度な」
「よし、表に出ろ!引き継いだる」
イルマは二人の襟首を捕まえて、そのまま持ち上げた。
「何すんだ、おい、え?」「わああああ」
イルマの伸ばした細腕に大の男が二人ぶら下がったまま、開いた扉から外に出て、無造作に地面に放り投げた。
「銀の剣、出よ!」右腕を突き出すと、銀色の長剣が不意に現れた。さっと握ると3、4回軽々振り回した。
「よし、力比べだ!かかって来い!」
呆然としていた護衛は立ち上がると剣を構えた。
「大丈夫、だよな?」
やっぱり160センチ位しか無いし、細いし、絶世の美少年だし、気後れするよね。
「いつでも来い!魔法は使わない」
「よし、行くぞ!」
さすが護衛を引き受けただけあって剣筋が綺麗で重くて迫力があった。
しかし、相手は弱く見えても魔人。軽く打ち返すとあっという間に懐に入って剣を胸に突きつけた。僅か5秒位。
「参った!」
「何でそんなに強いんだよ⁈」御者は殆ど叫んでいた。
「つい数日前に冒険者登録したが、子供の頃からずっと、田舎で盗賊や魔獣狩りしてたから、慣れてるのさ」
「イルマ凄いね」田舎は魔界のことかな?
「ふふっ、もっと褒めていいよ」
僕はイルマの頭を撫で撫でした。年はかなり離れてるのに、得意げな顔が可愛い。
「ただの人間が,俺に勝てるわけ無いだろ。こっちはオヤジとやり合ってきたんだからな」
ぼそっと言われて、背筋に冷たいものが走ったのはしょうがない。
僕と最初に出会った時、空から落ちてきたのは、いつも通り憎まれ口を叩いたイルマを、魔王様が怒って投げ飛ばしたからだった。
城からあの場所は結構離れていた。魔王様は勿論だが、喧嘩を売るイルマも大概だ。
外見は全く違うが、似た者親子と言えよう。
イルマは有無を言わさず護衛の引き継ぎを終え、馬を借りて華麗に飛び乗った。
馬はイルマの正体に気付いたのか、嫌がっていたようだが、威圧を受けて大人しくなった。逆らっちゃ駄目だよ、お馬君。
僕は元気の無くなった馬の首を撫でて慰めてやった。
僕は引き続き馬車移動だ。全くの初心者なので馬に乗るのは次回で。
トラブルはあったが、少し遅れて出発した。これから3日は車中泊だと思うと憂鬱だ。
その日と次の日も賊や魔獣などは現れず、夜は僕も見張りに就いたが、異常は無かった。
これまでも何ともなかったし、この道は比較的安全だと聞いていたので、バイアスにかかっていたかもしれない。
「琉綺、魔獣が現れた。ちょっと行ってくる」
外で並走しているイルマからはっきり声が聞こえてきた。
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