29話 あなたの纏う楽園に

「フレイアに聞かれてないなら、私としては次の話をこの状態で続けたいんだけどいいかな。その方が助かるっていうか、そうじゃないと朝陽くんが気になってる話はしたくないの」


 シアにそう言われては断るわけにもいかず、朝陽は首肯する。


「わかりました。光の大精霊さん……も、大丈夫そう?」

「かまいません。あと少しくらいなら大きな支障はないはずなので」


 朝陽の意思確認に白い髪のフレイアが頷いて同意する。


「判断が早くて助かるけど、どうしてか訊かないんだ?」


 朝陽に向かってシアがそう訊いてくる。


「シアさんは僕が知らないことを沢山知ってるだろうし、あなたがそうしたいのであればそれが一番いいんだろうなって思っているので」

「そう、ありがたい話ね。じゃあ朝陽くんの提示した三つ目の議題、『勇者の末裔であるフレイアを取り巻く一切』についてなんだけど……これについて、朝陽くんは私に訊きたい事があるんだよね」

「はい。フリーデンベルグさんから聞いたんですけど、あなたはフレイア様にかなり壮絶な修行をつけていたんですよね? どうしてですか?」

「私は昔、勇者に随伴して魔王と戦い、討伐した」

「知ってます。それもフリーデンベルグさんから聞いたので」

「うん。でもそれはウソなの」

「…………えっ?」


 朝陽は心底驚く。疑っていなかったからだ。他人の言葉を全て鵜呑みにしてきたつもりはない。けれどフリーデンベルグがその点を偽る事にメリットがあるとは思わなかった。少し確認すればすぐに嘘だとバレる事だ。だからそんな根本的な部分に大嘘が混じっているなんて発想が朝陽にはなかった。

 いや、それともそれをウソだと訂正するシアが嘘をついているなんてことも……と、思考が堂々巡りに空転する。


「正確には『間違ってる』って言った方がいいかな。十八年前、私はウソを吐いた。この国の偉い人達に、魔王と戦い討ち滅ぼしましたって。だからフリーデンベルグさんに虚言のつもりはないの。情報が誤っていただけで」

「じゃあ、真実は……?」

「私は確かに勇者一行として魔王と対峙し、戦った。これは本当。そして見事、討伐せしめた……と、思っていた」

「…………」

「でも違ってた。あの人……勇者さまの放った聖剣による最後の攻撃によって魔王は跡形も残らずに消し飛んだ……ように見えたんだけれど、魔王はしぶとくも生き残っていたの」

「じゃあ……」

「ええ、そう。十八年前に私達勇者一行が討伐したとされている魔王は今も健在している」


 だいぶ話が見えてきた。それでもまだ不明瞭だ。

 だから朝陽は気になったところに突っ込んでみる。


「生き延びた魔王がどうなったのか、シアさんは知っているんですか?」

「知っている事と、知らない事がある。だから私の見てきたものと、分かる範囲だけ教える」


 朝陽は頷く。


「魔王の討伐。その栄光を手に、私達は『魔界』から『世界の盾』アトギストという大国へと凱旋した。『魔界』っていうのは、ここからずっと西にある人類が未踏破の土地ね。凶悪な生物や魔物の巣窟で、とても開拓できない闇の大地。アトギストは魔界からやってくる脅威を撥ね退ける為に各国から援助を受けている軍事力最強の国家。それ故に『世界の盾』と呼ばれているわ。そして、魔王を討伐したと思っていた私達勇者一行はアトギストに華々しく帰還して後始末を済ませる予定だった」


 そこでシアは一度喋るのを止めて目線を落とす。顔色が悪い。いったい何があったというのだろうか。


「肉体が滅んでも生き延びていた魔王の魂は、アトギストに憑りついていた。激戦を終えて気が緩んでいた私達が帰ってくる頃には、アトギストの人々は既に魔王の魂に汚染されてしまっていたの。戦いで消耗していたことと、相手が人間で全力を出せなかった事が災いして、精神を魔王に侵食されたアトギストの人々に勇者さまが聖剣を手放した隙を衝かれて私達はあっさり拘束された。そして力を封じられて、投獄されて…………魔王の企みに利用された」

「…………企み?」


 うかされたように言葉を紡ぐシアに、朝陽はオウム返しで続きを促す。


「そこから先は、地獄だった。魔王は人間を使い、異種交配の研究の真似事を始めた。当然のように私達も、その実験の材料にされた」

「…………!!」


 ゾッとする。まさかと白い髪のフレイアを見る。

 シアがフレイアに聞かせたくなかった理由が朝陽には分かった。

 それは、あまりに……


「フレイアは、私と勇者さまを使って魔王に作らされた子供なの……」

「そんな……」


 そんなことを本人が知れば、どれほど深く傷つくのか想像できない。

 知れば「自分は愛されて生まれてきたのではない」なんて、そう考えてもおかしくない。


「でもね」


 シアが苦みの籠った瞳をする。


「これだけは信じて欲しい。私は勇者さまを愛してた」


 それを聞いて、少しだけ救われた気持ちになる。

 当事者ではない朝陽でこれなのだ。フレイアが聞いたら、その衝撃はこんなものとは比較にならないだろう。


「そこから、どうやって脱したんですか?」


 朝陽は問う。どういうわけかシアは今ここにいるわけで、その状況から抜け出してきているのだ。


「それはね、仲間の一人が助けてくれたの。拘束を気合だけで打ち破って、私のところに来てくれた。それで、お前だけでも逃げろって、私の拘束も無理やり解除して孤軍奮闘してくれて……。そう言われて、私は逃げた。怖くて、仲間達を見捨てて自分だけ逃げ出した」


 そう語るシアのその声には、深い罪悪感と後悔が宿っていた。

 朝陽は目を眇める。シアの行動に憤りを覚えたから、ではない。

 魔王が付けた拘束を気合で打ち破ったその仲間も、逃げる事しか思い浮かばなかったかのようなシアも、勇者と聖剣の『運命』に判断や行動を後押しされていたのではないだろうか。

 そうであれば、シアを責めるのは筋違いというものだろう。


(……もしかしたら、シアさんの『性格』や『弱さ』も加味した上での運命なのかもだけど……)


 だから『運命』に責任を押し付けたところで、シアの慚愧を払拭できるとも思えなかった。

 長い時間苦悩を抱えてきて、シアがそこに思い至っていないとも考えにくい。

 何もかも承知の上で、それでも自分が許せないのだろう。


「……逃げている途中で、聖剣を見つけた。たまたまだった。私はそれを持って、着る物一つないままアトギストから逃亡した。追手に捕まらないように息を殺して姿を隠して、東の果てであるアデイルまでなんとか逃げ延びて……森の中で一人、フレイアを産んだ」

「…………っ」

「なるべく人と関わらなかった……。居場所がばれるんじゃないかって、魔力を使う事も躊躇ってた。でもその頃にはもう精魂尽き果てていた私は、この国の王に接触して泣きついた。あらいざらい全部話して、助けてって懇願した。王は私の話を信じて匿ってくれた」


 シアの表情が少しだけ和らぐ。

 だが、すぐにまた沈んだ面持ちになった。


「まともな生活ができるようになって、私は仲間達の助けに向かいたいと思うようになった。当時の私にとって、その手段として最も重要だったのが、フレイア」


 手段。まるでフレイアを物みたいに表現しているが、当時のシアのメンタルでの話だろう。

 朝陽は口を挟まずに先を待つ。


「勇者であるフレイアと、聖剣はこちらにある。なら後は時間の問題。できるだけ早くみんなを救出する為には、フレイアに早く強くなってもらう必要があった。だから私はフレイアに過酷な修行を強要した」

「待って下さい。勇者と聖剣があれば必ず勝てますよね。修行って必要あります?」

「あるよ。聖剣は確かに敵を打ち負かす能力を持ってる。でもね、勇者の強さや行動がそれを達成するまでの時間に影響するの。聖剣にことごとくを思い通りにする程の万能性はないの」

「なるほど……」


 聖剣に願えるのは大雑把な結果だけに過ぎず、瞬発性もなければ、過程を詳細に強制するほどではないのだろう。


「もう過去の事ですし、今更かもしれませんけど……だからといってシアさんの修行はやりすぎだったんじゃないですか?」


 子供だったフレイアの全身を満遍なく傷と火傷が埋め尽くすほどの修行だったと朝陽はフリーデンベルグから聞かされた。

 言っても栓無いことだが、それでも朝陽は不服を訴えずにはいられなかった。


「わかってる。ごめんなさい……あの頃は不安だったの。さっきも言った通り魔王は異種交配の研究もどきをしていた。それはある一つの可能性を示している」

「…………ッ!?」


 朝陽は理解して、思わず顔を顰める。


「フレイア様以外にも勇者の子供は沢山存在している……?」

「ええ、おそらくは」


 だいぶ、エグイ話になってきた。


「危機感が欲しくて、私はその仮定の存在を『勇者の軍勢』って呼んでる」


 勇者の軍勢。確かに敵に回したらやばそうに聞こえる。


「だから、フレイアを強くする必要があった。『勇者の軍勢』よりも早く、強く。勇者の子供が複数いた場合、どうやって勇者が選出されるのか私にはわからなかった。だから少しでも確実に近づけなければと焦った。逃走経路で聖剣を偶然見つけた時点でほぼフレイアが勇者なんだろうとは思ってた。だけど、もしもに怯えてしまった。気を抜いて一度大きな失敗を犯しているからって。フレイアが本当に勇者ならどれほど痛めつけても死ぬはずがないし、どれほど痛めつけても死なない事に安心してた。言い訳でしかないけど、あの時の私は正気ではなかった」


 そこでシアは白い髪のフレイアに目を向けた。


「もう意味のない質問でしかないけど、勇者がどうやって選ばれるのか教えてもらえる?」


 その質問に、白い髪のフレイアが痛ましそうに瞼を閉じる。


「……勇者の資格が受け継がれるのは、勇者の一人目の子供です」

「…………そう、なのね」

「はい……その、すごく言いにくいんですけど、一つ、あなたは大きな勘違いをしています」

「え……?」

「勇者が魔王と戦った時、既にあなたのお腹に、この子はいました」


 シアの瞼が大きく見開かれる。


「魔王を倒しきれなかったのは、彼がもう、勇者ではなかったからです」


 悄然と、シアが項垂れる。


「ごめんなさい……」


 ポツリと、きっとここにはいない誰かに向けて、シアが呟く。

 涙声で謝罪するシアになんと声をかけていいかわからず、朝陽は黙り込むしかなかった。


「では、わたしはそろそろこの子の中に戻ります。さすがに、これ以上は身体への負担が大きいでしょうから……」

「ああ、わかった」


 フレイアの髪が発光を止め、元の赤色に戻る。

 ふらっと頭を揺らし、フレイアが気だるげに目を細めた。

 それから、全員が自分に注目していることに気が付いて所在なさげに身を捩った。


「……少し眩暈がしただけ。気にしないで」

「……はい、わかりました。最後に、『フレイア様を取り巻く一切』についてですが」


 話の渦中に置かれたからかフレイアが身を固くする。なるべく柔らかい口調と表現を心がけて朝陽は言葉を紡ぐ。


「聖剣は失われましたが、勇者による世界終焉の予言を知っているフリーデンベルグさんのような人がこれからも現れるかもしれません。その場合に備えて、もう解決済みだって伝える準備をしておいた方がいいでしょう。聖剣は折れている、と。具体的には、発言力の強い人への根回しですね」


 朝陽の示した方針に、フレイアは不安そうな表情ながらも頷いた。


「……わかった。異論はないよ」

「はい、ではこれでいきましょう」


 フレイアの了承を得て、次に朝陽はシアの方を向く。


「それからシアさんにお聞きしたいんですけど、前にここで話した時、僕がフレイア様と行動を共にするように誘導していたような気がするんですけど、あれは……?」


 シアは牡丹の死因が朝陽の過失である可能性を示唆し、さらに蘇生させられているパターンがあると吹き込んできた。結果的にではあるが、それで朝陽はフレイアと行動を共にする決意を固めたし、シアはそれを喜んでいたように思う。飲食店で「私にも都合がある」とも言っていた。


「……聖剣は六人にまで【不死の加護】を付与できるの。だから勇者一行は、毎回七人。って思って、運命に導かれたフレイアの魔王討伐は既に始まっているって思った。フレイアがキミを傍に置くと決めた事から『イレギュラーではあるけれど朝陽くんはフレイアの一人目の仲間なんだ』って思い込んでた。だからアシストするつもりで色々吹き込んだの。もう全部白状するけど、ルインハイドの指輪を手配したのもそういった思惑からだよ」

「……そういう目論見だったんですね」


 『今回の魔王の復活が早いのかもと思っていた』というシアの嘘を、フレイアに真実に気付かせたくないというシアの意思を読み取ってフレイアの手前受け流し、朝陽は納得したように頷いた。魔王が健在であるという話をすればフレイアの出生にも話が及んで行きかねない。

 これでもう何も引っかかってることはないなと、朝陽はすっきりして黙った。

 話が一段落して全員が沈黙したタイミングを見計らったのだろう、フレイアが口を開く。


「……話はこれで終わりなんだよね?」

「はい」

「なら、私からも伝えておきたいことがあるの」


 なんだろうと、朝陽はフレイアの言葉に耳を傾ける。


「今回の件に対する朝陽の貢献に、王が褒美を与えると仰ってた。謁見までに考えておくように、だって」

「なんと……報酬を頂けるのですね」

「朝陽はそれだけの成果を上げたから……友達として誇らしいよ」

「フレイア様…………!」


 フレイアを喜ばせられた事に、だらしない顔になりそうだった。


「えー! じゃあ王都にお店作って貰おうよ!」


 一国の王からの報酬と聞いて、意外と業突く張りだったらしい霊体牡丹が口を挟んでくる。地球ではなんでも手に入ったので、人の物を奪う必要はなかったからこういう口出しは見かける事すらまずなかった。

 朝陽の行動動機は牡丹が中心だったので無関係とは言えないし、まぁいいかと霊体牡丹の介入を素直に受け入れる。


「料理店とかいいんじゃない? 朝陽くんお肉食べられないみたいだし、自分の食べられる食事は自分で作ろうよ!」

『あー……うん、それはありかも』

「でしょ? こうなってくるとやっぱり体が恋しくなってくるなー!」


 霊体牡丹がそう言って天を仰ぐ。


『じゃあやっぱり統合しちゃう? 繋げるだけだし、その気になれば今すぐにでも出来ちゃうけど……』


 実体牡丹の今の人格も完全に消えるわけではなく、意識の中には残るはずだ。最初は二人の牡丹は人格の乖離を感じるだろうが、時間が経てば馴染んでいくはずだと朝陽は楽観的に考える。


「えっとさ、その事なんだけどね」


 霊体牡丹がいつか見たような、真面目くさった顔をしてそう切り出す。


「そうだなぁ……あの子に悪いとは思うけど、一分だけでいいからさ、元に戻して貰える? 朝陽くんにちょっと言いたい事があって。……本物の水守牡丹として」

『一分だけ……? 言いたい事って? 今の状態じゃ言えないの?』

「うだうだ言ってねーでさっさとやれや」

『な、なんだよいきなり……わかった、やってみる』


 牡丹の体に装着されている外脳。

 風太郎の首に取り付けたままになっている、牡丹から排出された人工物の魂であるP‐ユニット。

 朝陽はそれら二つを接続する。

 黙ってぼんやりと話を聞いていただけの実体牡丹が、一見何も変わらないように見えるものの、すっと別の法則に切り替わったように受ける感じを変化させた。

 そして、切れ長の瞳でいつもの牡丹が朝陽を見る。


「朝陽くん。これは、ホントはやっちゃいけないことかもしれない死者からの遺言」


 死者からの……? 何を言っているんだろうと朝陽は思う。


「私は……水守牡丹はね、死んだの」

「ちょ、ちょっと待ってよ牡丹! 何を言って……ッ!」

「待たないよ」

「…………っ」

「もういいよ。朝陽くんはもう、私の為に十分がんばってくれた。……だから、これからはちゃんと、自分の人生を生きて」

「そ、そんなこと……」

「ばいばい。生まれ変わったら、また友達になろうね」


 そう言い残して。

 水守牡丹はこの世のどこにも居なくなる。

 それを悟って、朝陽の頬を涙が伝う。


「朝陽……! 大丈夫……?」


 友達を喪い悲しむ朝陽に、席を立って駆け寄って来てくれたフレイアが背中に手を当てて慰撫してくれる。


「フレイア様……っ」


 その温もりに縋りつくように、朝陽はフレイアに身を寄せた。


 朝陽が生きたいように生きる。

 それを牡丹が望んだというのなら。

 そうしてみようと、朝陽は思う。


「私は、これからもフレイア様にお仕えしたいです……!」


 震える声で、朝陽はフレイアに訴える。


「これからもずっと、おそばに居させてください……っ!」

「うん……朝陽、ずっと傍に居てね」


 優しい声のフレイアが朝陽の頭を胸に抱き寄せて、ゆっくり髪を撫でてくれる。


「あーあー、ほーんと朝陽くんは泣き虫だなぁ!」


 その光景を俯瞰するように、呑気な幽霊が上から無粋な野次を飛ばしてくる。

 そちらを朝陽が睨みつけると、霊体牡丹はにっと笑った。



 念願だった理想のご主人様と巡り会えた竜胆朝陽は。

 地球に帰る方法なんて、もう、探さない。

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