14話 ご主人様が膝枕をご所望です

 王政国家アデイルの南部と中央の直線経路を隔てるように聳えるソイル山脈。

 そこで行われていると推測される異種交配の研究を阻止すべく編制されたアデイル軍の部隊。そこに同行している朝陽は、なだらかな丘陵の平原を移動する馬車の中でフレイアと肩を並べて長椅子に座っていた。兵数が千を越える大部隊の発する煩わしい足音と砂塵は、密閉空間となっているここまでは届かない。


 行軍日数は計三日の予定だ。本日の昼前に王都リュクセイヌを出立した軍は、明後日の日没までにはソイル山脈の麓に到着する予定だ。

 転移魔法で一気に行かないのには理由がある。『転移術』は修得難度の高い魔法なので行使できるのは極少数の人であり魔力消費量も多いのだとか。

 それから転移術は結界で阻む事が出来る。だから人里の周辺には結界が敷いてある。そうでないと敵対する勢力の軍勢が町の中心に突如として現れるなどの事態に陥るからだ。強制転移も出来なくはないし騎士などは転移が可能となる権限を授与されている場合もあるが、その権限を行使するのはかなりの緊急時だけのようだった。


 異世界の知識を、朝陽はだんだん身に付けてきている。

 例えばフレイアやシアの外見が年齢相応に見えないのは二人が『せん』という存在だからだ。

 この世界には『神仙しんせん』と囁かれる者達がいる。ある一定以上の魔力保有量に至り『権能』を得た生物がそう呼ばれる。『権能』には必ず【不老】が含まれるらしいが、予測できない特殊な能力が発現する事もあるらしい。そこに至った者はまず『せん』と尊ばれ、その力を以て輝かしい功績を上げた者は『しん』と崇められる。『神仙しんせん』に到達する個体はとても稀有だという。


 フレイアやシアが【不老】……不死ではないらしいが永遠の命を持っているなんて朝陽には受け入れにくかったが、地球の人類もP‐ユニットによって平均寿命は大きく伸びているし、神話ではそういった生き物や命を長らえるアイテムはありふれているのでここはそういうすごく神話的な世界なのかもしれない。


「そういえば、フレイア様のお父様はどうなさっているのでしょう?」


 朝陽は暇なので雑談に興じようとフレイアに話しかける。

 騎士専用の屋根付きの馬車。王から騎士に下賜された馬車の荷台には寝転がれるくらい広々したスペースがあった。大型トラックのトランクを人が寛げる部屋に手直ししたイメージ。窓がないのは会議や密談などを行う為に機密性を重視したからだろうか。

 牽いている馬は一頭だけだった。魔力のおかげで地球の馬とは馬力が違うのだろう。

 移動中はフレイアと共にここに居るようにと言いつけられていた。魔力を持たない朝陽は世界最弱と言ってもいいくらい著しくか弱い。危険がないようになるべく傍に控えていろと過保護にして貰っていた。まるで客分待遇だ。


「私の父親か」

「はい」

「知らないな。聞かされた事がない。どこにいるのかも、生きているのかもわからない」


 どうやら地雷を踏んでしまったようだ。


「すみません踏み入った事を訊いてしまい……不躾な質問でした」


 気が乗らない話題だったのだろう、薄い反応しか返ってこないので早々に話を打ち切る。

 他にも気になっている事があったので話題を変える。


「フレイア様はどうして人里離れた場所に居を構えていらっしゃるのでしょうか? ご不便では……?」


 朝陽は町中で宿泊させて貰っているがフレイアはだいたい城壁の外にある実家に帰っている。どうしてあんな辺鄙なところに住んでいるのかもわからないし毎日帰っているのも奇異だった。あの森の家から王都リュクセイヌにはそれが一番早いという理由から走って行っているらしい。


「物心ついた時からあの家で暮らしていたし、気付いたらそうなっていた。母親の面倒も見ないといけないしな。それ以上の理由はない」


 王との面識があるようなこの国の騎士であるフレイアなら母親の世話を召使いに任せられそうなものだがそうしていないのは何故なのだろうか。


「私以外に召使いは居ないのですか?」


 朝陽はフレイアに仕える他の従者を見た事がなかった。


「いないわけではない。軍務を補助して貰うだけに留めているがな。私生活には不要だ」

「そうなのですね」

「ああ」

「では、どうして私はこうしてお側に置いて頂けているのでしょうか……?」

「それは…………」


 フレイアは言い淀んだ。


「出会いと、お前の境遇が特殊だったからだな。実家関連と同じだ。成り行きで、気付いたらそうなっていた。それに、お前の提示した条件がこちらに都合がいい破格の内容だったからな。本当は使い倒すつもりだったが、思っていたより我が強くて御し難い。難儀している」

「な、なるほど……見限られてしまわないように身の程を弁えます」

「そうしてくれ」


 フレイアの苦言に対して朝陽は焦った。

 やはりフレイアは朝陽に愛想を尽かしかけているのではないだろうか。

 自己主張があまりなく口数が多くないフレイアとは会話をしようとするとどうしても朝陽が質問攻めする形になってしまっている。それも良くない気がした。

 もしもの時の為の手は打っている。昨夜P‐ユニットをばら撒いた。

 けれど、あれはあくまで保険のつもりだった。叶うならまっとうな手段で生きて行きたい。フレイアの庇護を失えば、朝陽は悪事に手を染め続けなければ生きていけなくなってしまうかもしれない。それは嫌だった。


「…………っ」


 朝陽は長椅子から勢いよく立ち上がるとフレイアの前に移動。床に膝を付けて座り込んだ。


「フレイア様、お願いがございます」


 怪訝な顔でフレイアが見下ろしてくる。


「私はもっとフレイア様に気に入って頂きたい……価値を感じて頂きたいのです!」

「な、なんだ? どうした、急に」

「これまで私は、フレイア様から施しを受けるばかり、身勝手に協力して貰っているばかりです! 何か恩返しをしなければ申し訳が立ちません! 心苦しいのです!」

「そ、そうか」

「我儘で恐縮ですが、もっと私に要求して欲しい……! フレイア様のお言葉通り、使い倒して下さる事を望んでいます……!」


 決意を露わにして挑むようにそう訴える朝陽に、フレイアはただ困惑を返すばかりだった。


「不出来な私を、どうかフレイア様の好みに調教してください!!」


 高らかにそう言い放った朝陽は右手をついて頭を下げると額を床に押し付けた。


「な、あ……?」


 戸惑い過ぎて遂に言葉を失ったのかフレイアはまごついていた。

 フレイアからの下知があるまで朝陽は土下座をし続ける。


「…………なら」


 やがてフレイアが静かに言った。


「膝枕でもして貰おうかな……いや、この場でお前に要求できることなんてそれくらいしか思いつかなかったからな。ここですぐに己の価値を示したいんだろう? 私は軍の仕事で常に働き詰めで疲れているんだ。たまには癒しが欲しいと思ったりする時もあってだな……」


「…………! はい! お任せください!」


 膝枕。それくらいなら容易い。ようやくしてくれたご主人様フレイアの自己開示と、求められた事に舞い上がる気持ちで朝陽は立ち上がった。


「お隣、失礼してもよろしいでしょうか?」

「さっきも座っていたのだからいちいち確認する必要はない。覚えておけ」

「かしこまりました」


 指示を受けて嬉しくなりつつ長椅子に再び腰かける。


「それではどうぞ」


 太ももをフレイアへ差し出すように背筋を伸ばして手を退ける。

 しかしフレイアは自分が言い出したにも関わらず躊躇っているようだった。

 おそらく恥ずかしがっているのだろう。ここは従者としての腕の見せ所だと、朝陽は気合を入れた。


「主人であるフレイア様の前では、私には自我も感情もないものとお考え下さい。この身体は全てフレイア様専用です。是非存分にご堪能なさってくださいませ。フレイア様が何をなさろうと、私をどのように扱おうと、それで私がフレイア様を悪く思うことは決してありません」


 自分という従者の存在に気兼ねをする事なく安らぎの時を過ごして貰えるように働きかける。


「ああ……そういうことなら、わかった」


 こてんと、フレイアが太ももに頭を乗せてくる。

 フレイアの柔らかな頬がハイソックスとミニスカートの間に露出した肌に触れる。普段はストッキングを履いていたのだが、怪物に襲われて転んだ時に破れてしまったので、こちらの世界でハイソックスとガーターベルトを購入していた。

 互いの肌が接触しただけなのに、心の距離まで近づいたように感じた。


「いかがでしょうか……?」

「ん……思っていたより具合のいいものではないが、心地は悪くない」

「でしたら、よかったです」


 ほっとする。少なくともがっかりはされなかったようだ。

 図々しいかもしれないと不安に思いながらも、全力で役目を果たそうと朝陽はフレイアの頭を撫でてみる。さらりとした艶のある細い赤髪が、太ももに触れてくすぐったい。


「…………一つ、お前に謝っておきたいことがある」


 フレイアが口を開く。


「私は最初、お前を見捨てようとした。もちろん町まで案内するくらいはしていただろうが、それでも無神経な態度を取った。一応弁明をしておきたいのだが、そういった判断をしたのには理由がある」


 その真剣な様子に朝陽は黙って話を聞く。


「この世界には、生まれてからずっと、とても貧しい暮らしの人達が居る。その人達は、今日を生きる糧を得る事すら困難な生活を送っている。彼らがお前の過去を眺める事が出来たとしたら、きっとすごく羨むだろう。なんて幸せな人生を送ってきた人なんだろうと」


 絞り出すようなフレイアの声は乾き切っていた。いったい何を見てきたのか、朝陽には想像も出来なかった。


「だから私は、あそこでお前を優先したら不公平だと思ったし、どちらかを選べる状況で、今まで贅沢なんてした事もない人ではなくお前に手を差し伸べたら不平等だと感じた。出来る事なら助力をしてあげたいと、全てを救いたいと思ってはいたが、それが不可能である以上物事には優先順位がある。お前の人間性に責任があるわけではないが、私の中でお前の優先度は最底辺に近かった。任務に関係ないのであれば積極的に関わろうという気にはなれないくらい」


 朝陽は何も言えなかった。もしあの場でこれを聞かされていたら、ぐうの音も出ない正論に打ちのめされていただろう。


「そしてなにより、私自身がお前に嫉妬した。地球のような平和な世界があると知って、見せつけられた気分になった。私もお前のように生きたかったと……そう思った」


 そんな風に思うなんて事、全く考えていなかった。


「それで必要以上に突き放そうとしてしまった。人助けは私の義務なのに。だから、その……」


 すまなかった。フレイアはそう謝る。

 謝罪なんて不要だった。むしろ謝らなければいけないのは機微に疎い朝陽の方だ。


「いいえ、フレイア様。あれは私にとって、フレイア様に現実を教えて頂いた大切な記憶です。ですからそれよりも……」


 フレイアの言葉は尤もだった。

 そんなに貧しい人達がいるとしたら。

 自分より圧倒的に恵まれない人々がいるとしたら。

 優先的に幸福を享受する事に引け目を感じてしまい遠慮がちになってしまう。もうこの恵まれた瞬間を手放しで喜べなくなってしまった。

 こうして助けてられているのは渡りに船だ。けれど安易にそれにしがみついていていいのだろうか。

 一人で登る蜘蛛の糸。いずれ地獄に落ちそうだ。


「私にも何か、軍でのお仕事を与えては頂けないでしょうか? 戦闘行為は難しいですが、雑用くらいなら出来るのではないかと……」


 もう、フレイアの厚意に甘えてばかりではいられない。


「それは……どうだろうな。軍隊は男所帯だ。お前は……すごくかわいい」

「え……かわいい、ですか……?」


 褒められて、声が上ずる。


「ああ……一目見た時からそう思っていた。つい、家に持ち帰ってしまったくらいだ。思えばあれは、一目惚れのようなものだったのかもしれん。お前は自分の価値に懐疑的なようだが、私は十分重宝するつもりだ。観賞用の愛玩動物としてだが」


 気を許してくれたのか、フレイアは冗談めかして言う。


「だから女で無力のお前が、軍で男達に紛れて働くのはどうかと――」

「…………? あの、フレイア様?」

「なんだ?」

「私の事を、その……女だと思っていらっしゃるのですか?」

「そうだが…………?」


 何がおかしい? フレイアが態勢を変えて、そう問うような透き通る青い目を向けてくる。


「私は男なのですが……」

「はぁ……??? いやちょっと待て。確かお前、初めてあった時自分の事を俺と言っていたな?」

「はい、そうだったかと。フレイア様がなぜか反応していたような覚えはありますが……」

「単に一人称で遊んでいたのではないのか……!?」


 フレイアががばっと起き上がる。


「あの状況でそんな遊び致しませんが……」

「やり過ぎて既に染み付いていたのだろうと流していたのが……?」

「いえ、普通に男なので俺と……」


 こんな微妙なニュアンスまで伝わっているなんて創造神の恩恵ってすごいなーとか、この世界の言語体系ってどうなってるんだろーとか、P‐ユニットでホルモンバランス調整できるのを知らなければそういう誤解もあるかーうっかりしてたーとか考えて。

 あれー? なんかこれ色々違ってこないか? と朝陽は内心首を捻った。


「いやだがどう見ても女じゃ、胸だって……、ないな」


 それは気にしているからなるべく言わないで欲しかった。

 P‐ユニットで最大値に設定しているが遺伝子的にこれが限界なのだ。


「信じられん……証明する方法はあるのか?」

「えっと、お見せすれば一目瞭然かとは……」

「見せるって何をだ?」

「何をって……直接的な表現をご所望なのですか……?」


 もしかしてこれはそういうプレイか何かなのだろうか。言わせるのが好きなのかもしれない。


「シア様に確認すれば証言してくれるかと。記憶を見て私が男である事を知っていましたので」


 さすがに淫語を口にするのは朝陽の流儀に反しているのでどうにか別の解決策を探す。


「そうなのか……しかし、何があればそうなる?」


 シアの存在を持ち出して、フレイアはようやく信じる気になってくれたようだった。


「P‐ユニットで調整しています。私の感覚では珍しい事ではありません。地球では外見から性別の見分けがつかないのはよくある事なんです。性別を重要視する風潮自体が希薄になってきていますし……まだ根強く残ってはいますけど」

「…………嘘、ではないんだろうな」

「私がフレイア様に嘘をつくことは――」


 ございませんと言おうとして、後ろ暗い気分になる。

 自分の思い描く理想の従者。その像を再現しようと勢いで口を開いていた朝陽は、その発言が理想の従者からは程遠いという事実に気が付いてしまった。

 訊かれても言いたくない隠し事や気持ちを、幾つも思いついたからだ。

 牡丹の事。昨夜の事。雇用主であるフレイアに、心の底から忠誠を誓えていない事。

 ご主人様の為に誠心誠意真心で忠義を尽くす。それがまだ、出来そうになかった。

 そういった理由から言葉に詰まってしまった朝陽を、しかしフレイアは気にした素振りはなく。


「……わかった。男と言うのであれば、なにかしらの仕事を与えよう」


 そう言うフレイアは、まだだいぶ混乱した顔をしていた。

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