第三章 男は女を売り捌く 4
心細い気持ちを押し殺し、宿の扉を開けて一歩踏み出す。緊張で心臓が高鳴った。
夜の帳が下りる町の外気は生温い。季節は春を過ぎたくらいなのだろうか。寒くないのは幸いだが、いっそ刺すような冷気でも浴びたかった。
煉瓦造りの建物が立ち並ぶ西洋風な街並みを眺めながら石畳の上を歩いていく。
目指す場所は概ね決めていた。歓楽街、酒場の周辺、それからスラム街のような治安の悪い場所だ。おおよその位置は調べてある。
明かりの漏れる窓の脇を通り過ぎる。人々の営みの光だ。目に映るその一つ一つがこの街を育んできた欠片なのだろう。朝陽は仲間外れだった。
マッチ売りの少女にでもなったみたいだ。
雪も降っていなければ、売り物はマッチではないが。
楽しそうな笑い声が聞こえて、いっそう惨めな気持ちになる。
狼は宿に置いてきている。警戒させてしまうだろうし、単独行動をしても町中なら獣に襲われる心配もない。
それに、暴力でどうにかしようとは思わなかった。あくまで穏便に済ませたい。お尋ね者になるような事があったら、振り出しに戻るどころかマイナスだ。
標的を見繕いながら人通りが多い酒場周辺を徘徊していると、酔っぱらった若者の集団が向かいから現れた。男達は愉快そうに談笑している。
複数人に声をかけるのは躊躇われた。フードを被り、目を合わせないでやり過ごそうとする。
「あっ…………」
前を見ていなかった為に、すれ違う直前、砕けた石畳に躓いてしまった。一瞬、よろめく。
「おっと」
背の高い男の腕に抱きとめられた。
「危ないぜ、嬢ちゃん。足元もそうだが、こんな夜に一人で出歩くなんてよ」
その様子に他の男達が囃し立てる。
「ひゅー! カッコイイじゃんラスティ!」
ラスティと呼ばれた青年は鼻を掻きながら「まぁな」と得意げになった。
「そのままものにしちまえよ!」
男達は降って湧いたイベントに盛り上がって笑い合っている。
これはチャンスなのかもしれない。
「あの……っ」
朝陽は普段より可憐な声を出した。P‐ユニットでそういう力みになるように設定していた。自然に喋れば、喉から零れる音はか弱い女の響きだ。
「その……もしよろしければ、私を買って頂けないでしょうか」
言った。間違いなく、人生で一番鼓動が激しくなった。
悪い事をしようとしている。いけない事をしようとしている。
騙そうとしている。嘘をついている。偽っている。人を欺く人間に成り下がろうとしている。
緊張と罪悪感で目が潤み、声も指先も震えてしまっていた。
「あん?」
ラスティが真顔になる。男達も静まり返った。
どうやら楽しい空気に水を差してしまったようだ。
「私はっ……か、片腕が無くて……。身寄りも仕事もなくて……」
コートの下からちょっとだけ残っている包帯の巻かれた左腕を出して、しどろもどろに弁明する。顔が熱くなる。逃げ出して、何もかもなかった事にしてしまいたかった。
「あー、……なるほどな」
そう呟き、ラスティは友人達の方を向く。
「悪いけどちょっと外すわ。嬢ちゃん、ちょっとこっちに来な」
背中に手を回されて押される。なすがままに従った。
しばらく歩いて、路地裏に連れ込まれる。
「あのな、こんなことしてても先はないぜ?」
説教された。
「何があったか知らねぇが、その様子じゃあ生きていくのも大変だってのはまぁわかる。けどな、自分の事はもっと大切にした方がいい。そうじゃねぇと天国で親御さんも泣くってもんだ」
まともな事を言われる。いい人なのだろう。
「だがまぁ、その様子じゃあ今日食う飯にも困ってるってところか」
いや少なくとも化粧をする余裕くらいあるのは見てわかるだろうし新調コーデなのだが。
「しゃあねぇ……いくらだ?」
やることはやるらしい。いい人なのだろうか。どう評価していいかわからなくなる。
たぶん薄幸な少女に手を出すに当たって、今日を凌ぐのも困難だろうから金銭を恵んでやるついで、という名目が欲しいのだろう。だから訂正しないでおいた。
「私、こういう事をするのは初めてで……いくらくらいにするものなんでしょうか……?」
「初めてって、売りが? 行為が?」
「売り……も、行為もです」
「ほーん」
ラスティは鼻の下を伸ばした。所詮酔っ払いだったようだ。
「なら、相場の平均を出そう。初めてなら倍だな。嬢ちゃん若くてすげぇ可愛いし、それくらい惜しくないぜ」
「よろしく……お願いします」
交渉が成立してしまった。
どういった段取りで事を進めたらいいのかわからずに立ち尽くしていると、腰に手を回されて抱き寄せられた。アルコールを含んだ男の息が顔にかかる。
「…………っ」
身体が拒否反応を起こして勝手に身を固くする。
「そう怯えんなって。力抜いてな? 痛くないようにほぐしてやるから」
あ、と思う間に唇が重なった。
「ん……! んぅ……っ」
男の舌が唇を割って入って来ようとする。意を決して、それを受け入れる。
湿っているざらついた生物が口の中を這うような不快感。
さっき初めて出会った相手とこんな行為をしている。ファーストキスがどうだとか、そんなロマンチストな感性は持ち合わせていないつもりだったが、これには流石に泣きたくなった。
「ぐす……ん……」
涙が滲む。相手が男だから嫌だ、ということではない。
ジェンダーレスな文化の社会で生まれ、育った。男女分け隔てなく恋愛対象にする感覚は持ち合わせている。だからこれは、身持ちの固い貞操観念からの落涙だった。
牡丹の為と言い聞かせてこちらからも積極的に舌を絡めに行き、男の唾液を飲み込んだ。
酸素を求めて口を離す。唾液が糸を引いた。荒い息を吐く。頭の芯がぼーっとした。
「私のも、飲んでください……」
熱に浮かされたように上目遣いで媚びた声を出す。今度は自分から男の唇を求めに行く。
喉元過ぎれば熱さは忘れる物らしい。一度始めてしまえば勢いで繰り返すのは容易かった。
「いいな、お前。センスあるよ」
頭を撫でられて褒められる。嬉しくなって夢中になった。男の大きく骨張った手が朝陽の髪を梳いて耳を愛撫してくる。優しい手つきが気持ちよくて、目を細めて縋りつくように身を預けた。男子の情欲を煽るような追い詰められた女の呻きを無意識に漏らしながら、男の口腔に唾液腺から排出したP‐ユニットの一部を忍ばせる。上手い事、飲み込んでくれたようだった。
男がこちらの口を吸いながら、上着の裾から服の中に手を入れて胸元をまさぐってくる。下着で守られていたはずの敏感な部分を直に撫でられ摘ままれて、刺激で身体が跳ねた。初めての、他者から与えられる快楽。受け止めきれず、それに肢体と感情が弄ばれる。切羽詰まったような震える吐息を零し、腰が引けて内股を擦り合わせてしまう。
もはや力での抵抗は出来ない。相手は朝陽が絶対に敵わない、魔力を持った異世界の人間。
未知の感覚に翻弄されて高揚するこちらの気分とはうらはらに、男の表情が若干白けた。胸の手応えがあまりなかったからだろう。申し訳なくなる。男は気を取り直すように、今度は朝陽の下半身へと手を伸ばして行く。捲り難いようにと選んだロングスカートに手をかけられる。
そこで男の手を止めた。
(掌握……完了)
体内に侵入させたP‐ユニットが脳に到達した。これでもうこの男は意のままだ。
手の甲で唇を拭う。だいぶ激しかった。化粧が崩れてしまっているだろう。
どれだけ息を吸っても酸素が足りる気がしない。拍動が狂っていて、うるさい。
男の体内に侵入させたP‐ユニットに指令を送ってその場を後にする。
下した命令は二つ。
『増えろ』
『広がれ』
友人の多そうなあの男なら飲み物や料理の中に忍ばせて他の人間にもP‐ユニットを移していってくれるだろう。
(見切り発車が過ぎた。一度帰って化粧道具を持ってこよう)
冷静じゃなかった。この程度も想像できなかったなんて。
(いや…………)
そうではないのかもしれない。
偶然躓かなければ本当にやるつもりなど、実はなかったのかもしれなかった。
心の片隅では全て断られてしまえと、失敗してしまえばいいと、そう願っていたのだから。
知らないフリをしていた下半身に抗いようなく視線と意識を向ける。
(うぅ……めっちゃ勃ってる――……)
目も当てられないほどスカートの生地が押し上げられている。自分の中で何かが変わってしまった気がした。
P‐ユニットで操作して鎮める。しばらくは大きくならないようにしておく。
ここまで来たら、もう後戻りは出来ない。
地球に居た時はやりたい事がないなんて言っていたのに、この世界に来てからはやりたい事ややらなければいけない事が山のように積み重なっていく。
これが生きるという事なら、生を受けるというのはなんて苦しい事なのだろう。
宿に戻って化粧を直し、その後もこんな事を繰り返した。
何度かしくじって、謝って、逃げた。運が良かったのか酷い事にはならなかった。
誘惑に成功した男達に唇を求められる度、悲痛で心地良い安心感を覚えてしまった事を、生涯誰にも言わないと心に誓う。
ずっと誰かに見られていた気がしたのは、きっと後ろめたい気持ちがあったからだろう。
次の更新予定
あなたが望んだメイドさん 軽本かく @kentin3228
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