第三章 男は女を売り捌く 2
「ああ。異種交配の研究は禁止されている。魔物が量産されて大きな被害を生む可能性があるからな」
この国の法を知らない朝陽に気を回したフレイアが先んじて補足してくれる。
「あの山でそんな事が……」
薄ら寒さを感じてそう言いながら、ふと思う。
「でもどうしてわざわざそんなことしているんでしょう? 異種交配で生み出した生物を何かに利用する為ですよね? 何の目的があってそんな違法行為に手を染めて……?」
「大方、力で成り上がりたいとか他者を支配したいとか欲望を源泉とした碌でもない動機だろう。あるいは未知の探求や究極への到達なども考えられるが、好奇心という妄執にとり憑かれてそこまで悪逆無道になった時点で許容すべき存在ではない」
「他にも何かあるとしたら……?」
一応朝陽も思慮を巡らせる。未成熟な社会で何故と思われる問題が起こった場合、多くは利益を求めてというのが鉄板の理由だろう。利益とはすなわち金だ。新種の生き物達を売り捌いて金にする為の異種交配の研究。それくらいしか思いつかなかった。
「他に、か?」
フレイアは考える素振りをする。
「賊側にも言い分があるようなケースを想定するとしたら……テロの為、だろうな。現体制に不満を抱いた反社会的な発想を持った集団か、研究を主導する首魁が反社思想に耽溺しているとか」
テロリストや革命者。力を持たない者が国の中心で何を叫ぼうが誰にも届かないが、力さえあれば例え世界の裏側に居ても声を響かせられるだろう。
「だがここで可能性を論う事に意味はない。私は政には疎い。会話と推理で犯人やその目的を割り出す能力はない」
それはこちらも同じだった。半端な知識ではどうせ真偽の検証なんてできないだろう。
「それよりも憂慮すべきは研究がどれほどの成果を上げているかだろうな。その程度によって事態はかなり深刻化するかもしれない。……あの翼の人は、強かった」
フレイアが緊迫した面持ちで呟く。
(あの人か……)
窮地から救ってくれた、血に塗れた翼の男の姿を思い出す。
賊の一味である可能性もなくはないが、おそらくは人間の身勝手で産み落とされていいように利用されている被害者。
魔物から助けてくれたあの行動にどんな意味があったのかは知らない。魔物を生命の共通の敵として殺処分しただけなのかもしれない。
それでも翼の男は命の恩人だった。
そんな人への暴虐は看過したくない。出来る事なら、助け出してあげたい。
「フレイア様は今後、それにどう対処されるのでしょうか?」
「異種交配の研究は早急に停止に追い込む。既に軍本部に報告はした。大規模な討伐軍を編成して明後日には出陣、三日の行軍を経てもう一度あの山、ソイル山脈に乗り込む算段になっている」
「それに私は同行しても?」
あそこまで歩くと三日もかかるのかと驚きながら訊く。
同行を望む朝陽のその要求にフレイアは難しい顔を返す。
「私達の戦闘に魔力の無いお前ではついて来れない。生き物は例外なく魔力を扱える。狼を操るにせよ、お前自身が魔法を使えるわけではないんだろう?」
「そうですね……」
魔法は一部の生き物が行使できる特異な力というわけでないらしい。そうなってくると何処も彼処も危険地帯なので行動範囲が狭まってしまう。フレイアに危ない事はするなと命じられてしまったので、朝陽に出来る事は少なそうだった。
「行軍に帯同させられないわけではないが、危険が大きい。薦められない」
厳しく諫められる。強く否定するのはこちらの身を案じてくれているからだろう。
だからといって引くわけにはいかなかった。牡丹の為に地球へ帰る。その一点においてはフレイアに従うわけにはいかない時もある。
「あの翼の人は明らかに人間が混じっていますよね? ということは、異種交配の研究に牡丹が使われてしまうかもしれないんです! それなのに黙っていられません!」
「……! いやしかし――」
フレイアは何かを言おうとするが、
「お願いしますフレイア様!」
「…………わかった」
思い詰めたように真摯にフレイアを見つめて懇願する朝陽の気持ちを渋々ながらも認めてくれたようで、フレイアは説得を諦めたように肩を落とす。
「仕方ない。希望通り手配しよう」
「ありがとうございます! 私の気持ちを汲み取って頂けて……」
「お前が頑固で扱いにくいのは十分に理解した」
そう言われてしまう。
「ご、ごめんなさい……口答えをしてしまって……」
「許そう。事情はわかる。気持ちもな。……というか、こんな場所でする話ではなかったな」
しまったといった様子でフレイアは周りを見渡した。軍の情報や計画を大勢の耳がある場所で軍とは無関係の朝陽にべらべら喋っていた。意外と抜けているのかもしれない。
「普段人と話さないもんね。慣れないことをすると勢い余ってそういうこともあるよねぇ」
横合いから茶化すようにシアが言う。
目を向けると、なにやらニコつきながらこっちを見ていた。嬉しそうで、楽しそうだ。
「……なんですか?」
「いえいえ、順調に仲を深めていっているみたいでいい感じだなって」
「そういうんじゃなくないです? これ。変な目で見ないで欲しいんですけど」
色恋的な目線で見られてそうで嫌な感じだった。娘の近くにいる男を警戒しないのだろうか。
「私にも都合ってのがあるからね。たぶん朝陽くんが思っているようなものじゃないよ」
「じゃあいいですけど」
どうやら勘違いだったみたいだ。
シアはあまり自分の事を語りたがらない人のようだった。年上に根掘り葉掘り質問するような
「これからもフレイアと仲良くしてあげてね」
「ちょっと、そういうのいいから!」
「はいはい」
そんな微笑ましいよくある親子の会話を眺めていると、ようやく料理が運ばれてきた。
「申し訳ございません! 大変お待たせしました!」
「ああ、全然気にしないでください」
朝陽は忙しなく料理を並べ始めた給仕を気遣って声をかける。
やはり誰とでも言葉は通じている。普通の日本語に聞こえたし、唇の動きも音と同期しているように見えた。創世神の恩恵とやらには幻覚的な作用もあるのだろうか。魔法の力は不思議だ。
シアから聞いた話によると、創世神とはこの世界を管理している神様で、この世界で意思を込めて声を出せば相手の中でそれが形になるようにこの世界を創造してくれたらしい。言語を習得しているかどうかも関係ないという話だ。
すごくふわっとしているが、これはもう『物質には引力がある』とかそういうレベルの話なのだろう。もしかしたら解析が進めば違う真実が暴かれたりするかもしれないが、現時点でのこの世界の人々の理解はこれらしい。
その創世神に頼めば地球に帰れるのでは? そう思った朝陽はシアに創世神の居場所を尋ねてみたがどこにいるか全くわからないとのことだった。神様の存在なんてそんなものだろう。
「ごゆっくりどうぞ!」
恐縮していた給仕は朝陽の声掛けに安心した表情を浮かべて会釈した。
朝陽は目の前に置かれた温かそうな乳白色のスープを見る。途端、かつてない空腹に襲われる。口内で唾液が溢れ、喉を鳴らして飲み込んだ。
食欲が湧く。鉄製のスプーンを手に取り、スープを一掬いして口に運ぼうとし――
「…………!?」
その事実に気がついた。
茫然としてスプーンが湛えている乳白色の液体と、その中心に転がっている調理された肉の破片を凝視する。
「――――ぇえ?」
歯の隙間からおよそ自分のものとは思えないほど間抜けな音が漏れる。
そう。それは『肉』だった。
そして『肉』とはどこから来るものか。
その答えに思い至るやいなや、くわんと視界が揺れる。全身から力が抜けてスプーンを取り落とすとバランスを崩して盛大に後ろへひっくり返った。
「え――どうした!?」
フレイアが叫ぶのを、焦点が定まらない頭で認識する。
――地球では、
食糧となる動物の一部だけを複製する事をそう呼ぶ。食料としての肉を作る際、動物を殺して加工するのではなく、その粒子構造を丸ごとスキャンして部分的に複製する。そうする事で人類は他種族の命を奪う必要性からすら脱却した。地球の人間が口にする肉は知性のない細胞の塊でしかなく、最初から食料としてこの世に生まれた、ただの有機物にすぎなかった。
だから朝陽は命を奪った事がない。
自ら手を汚した事がないというわけではない。
真の意味で、清廉潔白だった。
再度湧き上がる疑問。
この『肉』は、いったいどこからやってきたものか?
「…………ッ」
喉の奥から何かが込み上げてくる。掌で口を覆い隠した。顔から血の気が引くのが分かる。
――えーそんなわけで、
昔、教師がそう言っていた。
だが楽園という表現が好きになれなかった。食料にしているけれど命を奪ってないんだからいいよね? という、だから自分達は綺麗だと主張したいような言い方が、薄汚い性根を隠し通そうとするかのような姿勢が、朝陽の感性にはひどく醜く映った。
同じ想いを、教育課程を考案した大人達も抱いていたのかもしれない。
後日こんな授業があった。
人間を――自分自身をスキャンして
そしてその肉を種族保存施設で飼育されている動物に本人達が手ずから食べさせた。
恐がって泣く子供もいたが、その時に朝陽が覚えた感慨は不快でも嫌悪感でもなかった。
ただひたすら、許された気がした。
こういった経験があったからこそ、切り落とすのは別にしても、狼に自分の腕を食わせる事に関してはそれほど抵抗がなかったのだ。
「…………ッ。…………ッ!!」
朦朧とした意識。そのぼやけたピントを料理へと合わせる。
テーブルの上に置かれたスープの入った皿。そこに沈む肉片は、口にしてしまったら取り返しがつかなくなる程の毒物に見えた。
朝陽にとってそれは、受け入れられない罪の塊だった。
「おい……急にどうしたんだ?」
心配した顔のフレイアが背中を擦ってくれる。
「…………」
支えられて立ち上がる。
けれどもう、何かを口にする気力は失せていた。
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