第二章 スワンプマンはそれでもはしゃぐ 1

「じゃあ私はここまでだから」


 山の麓。後ろで手を組んだシアがそう言った。


「ありがとうございました」


 付いて来てはくれないらしい。当然だろう。ここはフレイアが軍の任務で調査するような危険地帯。何が潜んでいるかもわからない。特別な理由でもない限り立ち入らないのが賢明だ。


「行ってきます」


 手を振って別れの挨拶をする。魔物に襲われた山の中へと再び足を踏み入れた。


「ここで、結界の外で待っててあげる!」


 朝陽の背後でシアが声を張り上げる。


「大丈夫! キミは帰って来れるよ、朝陽くん!」


 振り向いて頷く。激励なのだろう。心強く思いながら背の高い雑草を分け入る。

 P‐ユニットで視界を調整する。赤外線の可視領域を拡張して熱を持つ物体が赤に近くなるように設定した。サーモグラフィーのように世界が塗り替わる。これで生物を遠目に見つけやすくなったはずだ。猛獣に先に気付かれて襲われたら次こそひとたまりもない。

 乱雑に伸びた枝葉が時折道を塞ぐ。乾いた落ち葉と枯れ枝を沈み込む柔らかな腐葉土と一緒に靴を無くした右足で踏み割り前方の植物を両手で払う。

 顔にかかるしつこく纏わりつく蜘蛛の巣を袖で拭う。さっき下った山の斜面を登っていく。 


(牡丹……)


 朝陽の牡丹への執着は、恋慕とは似ても似つかない感情だった。

 兄弟愛に近い。幼馴染なんてそんなものだろう。

 健やかであって欲しいとは思っていたし、喜ばせたいとも思っていた。しかし幸せにしたいではなかったし、幸せに出来るとも思えなかった。

 昔、牡丹の誕生日。贈り物としてバイオリンで『カルミナ・ブラーナ』を演奏した時の事だ。

 手作りした物や精神的な贈り物をするのがいいと聞いた事があった朝陽は、同じ音楽教室に通っているという共通点からプレゼントとして演奏を選んだのだが、朝陽が曲を弾き終わったあと牡丹は呆れ顔をした。


「エゴい」


 そう言って矢継ぎ早に捲し立てる。


「なんで誕プレにそんな魔王が軍団引き連れて攻めて来そうな曲をチョイスしたのか全然理解できないし、ここは座敷で、今日は昔の日本風な雰囲気に仕立ててあるって言っておいたのになんで西洋の音楽を持ち出してくるのか分からない。和洋折衷とか求めてない。センスない」

「この曲、カッコイイと思って……」

「もっと相手の気持ちを考えた方がいい」


 恥ずかしかったしムカついた。苦い記憶。

 噛み合わないのだ。根本的に。

 朝陽は手に持っている牡丹のP‐ユニットを顔の前に持ってくる。それをじっと見つめて逡巡し……アクセスし、とあるプログラムを起動する。


「…………っ! …………? ……あれ、朝陽くん? 怪物は……? それになんか、身体軽い……?」


 現実と重ね合わせになった仮想空間内に、朝陽にしか知覚できない牡丹の姿が現れる。牡丹のP‐ユニットに記録されているデータから生成された幽霊アバター


『話せば長くなるから、記憶を共有しよう』

「……ん、わかった」


 声を出したくないので意識で話しかけながら牡丹の顔色を窺いつつ朝陽は歩みを進める。それに連動して牡丹の身体も朝陽の隣を滑るように付いて来る。


「……そっか、私死んじゃったんだぁ」


 着物姿の牡丹は身体を浮かせると頭の上に天使の輪っかを出現させる。背中にはデフォルメされた天使の羽。死人とは思えない呑気な顔をしている。

 つーかそれは和洋折衷じゃねーのかぶっ飛ばすぞと朝陽は内心キレ散らかした。


『なんだそれ』

「ご臨終モード」

『……この状況でよくそんな冗談言ってられるな。メンタル強くない……?』

「ま、落ち込んだって良い事があるわけでもないし?」

『そりゃそうだろうけど……』

「あと、冗談ていうか名称プレートにそう書いてあるし」

『えぇ……オプション名かよ。それの制作者、お茶目さ不謹慎過ぎるだろ……』

「死んだからって暗くなってても仕方ないってことなんじゃない?」

『割り切り方エグイな。世界終末アポカリプス系の作品に登場する人類管理AIみたいな合理的思考。人の心失ってるってもはや』

「ユーモアがあっていいと思うけどなー」

『まぁ、牡丹がいいならなんでもいいけど』


 プログラムを使っている当事者が気にしていないのなら横からとやかく言うものではないだろう。


「にしてもさ、ほんとに異世界だったんだね!」


 羽をぱたぱた動かしながら牡丹は浮かれたように朝陽の周りを飛び回る。どう見ても牡丹はこの状況を楽しんでいた。


「こんな状態じゃなかったら満喫できるんだけどなー!」

『いやあの、自分の死に直面した人間のテンションか……?』

「そうは言ってもこうやってここに居て会話とかしてるわけだし? 今のところはだけどあんまり死んじゃった実感ってないんだよねぇ。ゲームとかでアバターになる事も良くあるし。それに朝陽くん的にはまだ私は死んでないんでしょ?」


 能天気に牡丹が言う。それと反比例するように朝陽は罪悪感から後ろめたい気分になった。


『……ごめん、守れなくて。ぜったい地球に持ち帰って生き返すから』

「朝陽くんてさ、寂しがり屋だよね。何もこんなタイミングでコレすることないのに」


 シリアスな雰囲気に反応する気はないようで、気遣うように明るくそう言う牡丹が困ったように微笑みながら朝陽の頭を撫でてくる。

 髪への干渉はないが、感触はあった。錯覚でしかない虚構の温もり。


「朝陽くんは頑張ってくれたよ。私の方こそ足手纏いでごめんね。持って貰っちゃったりして」

『そんなの気にしなくていい。見捨てられるわけなかった……元を質せば俺のせいなのに』

「んー……それはそうだね」


 牡丹は肩を竦めて悪戯っぽくニッと笑う。


「でもさ、朝陽くんって結構頭悪いよね」

『はぁ? なんだよいきなり』


 突然喧嘩を売られる。


「どんな理由があるにせよこんな危ないことするなって言ってるの。さっさと引き返して、考え無し」

『……嫌だ。これは俺がやるって決めたんだ。牡丹の指図は受けない』

「はぁーあ、ほんと頑固。そもそもねぇ、衝動で行動すると後悔するからやめとけって言ったのにそうやって意地張って可愛い部長に釣られて神話研究部なんて変な部活に入ったりするからこんなことに――」

『…………! 牡丹、黙って!』


 木々の合間、視界の先に熱源を捉える。赤い。動いていた。体温を持った動物だ。全身が総毛立つ。咄嗟に付近の木の幹に隠れた。

 緊張して口がカラカラに乾く。喘ぐように、なるべく無音で呼吸をする。寄り添うささくれ立った木の表面に身を寄せて体重を預ける。

 サーモグラフィ状態から視覚を元に戻して、少し顔を出して盗み見る。

 狼だろうか。魔法生物といった特別な存在には見えない。灰色で、お座りのポーズで立ち止まっている。それほど大きくない。

 相手の姿だけ確認して覗くのをやめる。


「ど、どうしよう朝陽くん!? 朝陽くんが死んだら私もここに置き去りになっちゃう! 二回も死ぬなんて嫌なんだけど!」


 やかましいもっと緊張感持ってくれ自分の心配かよ。そう思いながら朝陽は答える。


『まだこっちには気付いてないはず。見つからないようにやり過ごす。物音とか聞き逃したくないから静かにしてて』

「わ、わかった……!」


 牡丹は両手で口を覆う。気を抜いたらすぐに喋り出してしまう自覚があるのだろう。ホラー映画や絶叫マシンで叫ぶタイプだ。

 牡丹にも狼は見えていた。観測器官は当然朝陽にしかないが、牡丹はきちんと一人称視点で世界を捉えている。朝陽と同一ではないものの、似たような景色が見えているし視界の共有もされている。

 元より人間は本物の世界なんて見ていない。五感から入力された情報を脳が処理した、誤解された世界を体感しているだけだ。外界の認識方法を限界のある人間の肉体に依存する限りは現実リアル仮想バーチャルも似たようなものだろう。


(頼むからさっさとどっかに行ってくれ……!)


 そう祈っていると、不意に風を感じた。狼のいる方からだった。

 安堵する。狼に対して風上に立っていたら匂いで気付かれたかもしれない。

 また風が吹いた。今度は横合いから。気まぐれな風だが逆風にはならないだろう。

 今度は先程の反対側から風が吹く。嫌な予感がした。

 向かい風が吹いた。ぞわりと鳥肌が立つ。

 確信めいた発想が頭に浮かぶ。


(最悪……! あいつ風を操って全方位の風下になりやがった……!)


 リスクと弁えつつも顔を覗かせてもう一度狼の様子を見る。ただの考えすぎや思い過ごしであって欲しかった。

 願い叶わず、狼と目が合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る