第一章 学生と軍人、あるいは主人と従者 2

「ここはどんなところなの?」

「少なくとも泰平の世とは程遠いです」


 そう言ってフレイアはあっさりと不満そうな顔を引っ込めた。


「ということは、あなたは偶然地球という異世界からあの場に転移して居合わせただけで、私の任務とは無関係なんですね?」

「うん」

「では、私はこれで失礼します」


 会話に興味を無くしたようにフレイアは立ち上がった。


「え――?」


 朝陽は急な事に戸惑う。


「私はこれでも任務中の身です。あなたの置かれている境遇には同情しますが、個人的な感情を優先して私用に割いて良い時間は皆無です。申し訳ないとは思いますが、自国の治安維持を疎かにするわけにはいきませんので」


 フレイアが冷淡にそう告げる。


「じゃあ、その用事が終わって帰って来てから話を……」


 食い下がるが、フレイアは首を横に振った。


「それも約束できません。あなたはこの国の人間ではありません。あなたに割く時間と労力があるのであれば、一つでも多くの任務を熟して国益の為に従事したい。あなたを憐れんでいられる余裕はないんです。実益のない話に関心も湧きません」

「そ、そんな……」


 一方的な通告だが正当な主張だった。二の句が告げずに黙り込む。

 冷や水をかけられるような言葉。それで朝陽はようやく気付いた。

 ここは困っていたら誰もが味方になってくれる親切なところではない。

 あちらを立てればこちらが立たないような満たされていない環境なのだ。

 これまで生きてきた優しくて温かい世界ではない。


(この世界では利害や損得が優先される。おそらく今の地球みたいに義理や人情を最上位の価値にはしていない。だから――)


 善意が美徳とは限らず、他人を手助けする事に義務感を伴わない。

 このままフレイアが無関心を決め込めば朝陽は誰の協力も得られずにおろおろするしかなくなってしまうだろう。

 これまでどこか楽観視していた。この状態が相当まずいのはわかる。けれど色んな人の手を借りれば何とかなると思っていた。帰る方法を見つけられないにしても、探し続けるくらいの事は容易にできる気分でいた。当然助けられて然るべきだと思い込んでいた。逆の立場ならなんとか力になってあげようと思うはずだから。

 でもそれは、とんだ思い違いだった。危機感が足りていなかった。

 想像していたよりもずっと、朝陽は危うくて弱い立場なのだ。

 フレイアに己の分際を弁えさせられてしまった朝陽は項垂れる。


(この子の協力が得られないとなるとこれからどうしたらいいんだ? 俺には頼れる人が誰もいない。行く当てもない。そうだ、シアさんは――)


 シアを見る。目を合わせず両手で頬杖を突いて何食わぬ顔。我関せずといったところだ。


(――誰かの助けを期待するのはやめた方がいいのか……? 自力で解決するとなると今後はどう行動するべきだ? まずは周辺の調査をして安全を確保するところから始めるとして、食糧や寝床も確保しないといけなくて、着替えは……後回しだな。水源を探して今着ているのを洗って使い回すしかない。それから人里の発見と進展させていって……)


 そこで思考を中断する。自らの未来を見通してその途方もなさに辟易した。


(人として最低限の生活を送れるまでにどれだけ時間がかかるんだ……?)


 それでも諦めるわけにはいかなかった。

 牡丹の魂を地球に持ち帰らなければならない。もう一度やり直すために。

 あの時牡丹は朝陽を助ける為に怪物に立ち向かって致命傷を受けた。それに報いるためならなんだってやってもいい。


(この子が求めているのが利益ってやつなら、俺に提供出来るものは――)


 そんなものはたった一つしかなかった。


「実益の無い話に関心がないと言うのであれば、こういうのはどうでしょうか」


 言葉遣いを相応のものに変えて朝陽はおもむろに立ち上がり、手に持っていたP‐ユニットと髪飾りを机の上に置くと胸元に手を添える。


「私にあるのはこの身体一つだけです。なので地球に帰るまでの間、この身をフレイア様に差し出します。今この瞬間より私はフレイア様の所有物。どのように扱って頂いても構いませんし、命令されればどんな事でも致します」


 突き放されてはいるが、フレイアが冷たいばかりの人間でないのは明らかだった。朝陽がここで落ち着いていられるのはフレイアが助けてくれて配慮してくれたおかげだからだ。

 フレイアの人の良さに付け入るように恭しく頭を垂れる。


「ですからどうか、情けをかけて使用人にして頂けないでしょうか」


 軍の任務で、おそらくは単独で敵地に斥候していたのであろうフレイア。

 これまで見せられた戦闘能力や魔法。

 この少女はそれなりの地位や役職を持っていそうだった。

 仕えるには贅沢過ぎる相手なのではないだろうか。


「なっ――何を急に……あなたは自分にそれだけの価値があると思っているんですか……!?」

「いいえ、私に価値があるかお決めになるのはフレイア様です」

「…………っ」

「いかがでしょうか」


 これは最後の手段であり賭けだった。拒否されてしまえば朝陽は路頭に迷うしかなくなる。

 朝陽は顔を上げてフレイアを真っすぐに見つめた。こちらの方が背が高いせいで見下ろす形になってしまっている。跪いた方が良かったなと自分の至らなさに反省しながら反応を窺う。

 動揺を露わにしながらも、フレイアは値踏みするような眼差しをこちらに向けてくる。

 メイド服姿の朝陽の全身を上から下まで眺めた。その後瞳が思案するように外されて、


「――いいでしょう」


 フレイアが言った。


「私はあなたに何をしてもいいし、あなたは私が命じれば何でもする。その条件であなたを雇います」

「――――! 本当ですか!?」

「同じ事を二度言うのは好きではありません」

「も、申し訳ありません。あと、その……」

「なんですか?」

「差し出がましいようで恐縮なのですが、私と話す時に敬語は必要ないかと。呼ぶ時もあなたではなく朝陽と呼び捨てにして頂ければと思うのですが……主従関係なわけですし……」

「確かにそうですね……いや、確かにそうか。ならこれからはそうする」

「はい!」

「なんにせよ一端軍務に戻る。詳しい事は後ほど話し合おう。それと、これを返しておきたいのだが……」


 フレイアがその首に装着したままになっている外脳を示す。


「それはそのまま持っていても構いません。使いこなせば便利なものだと思いますし」


 P‐ユニットは外脳の性能を兼ねている。外脳はP‐ユニットの前身だった。現在の外脳の役割とは、記憶データを保管して貰う為に定期的に提出する用だ。P‐ユニットごと消失するような事故があった場合の保険であり、こうなってしまっては朝陽が持っている理由もあまりない。


「いや、周囲に無用の疑いを与えかねないから外していく」

「わかりました」


 提案を突っぱねられて外脳へ解除信号を飛ばす。液状コンピュータがフレイアの皮膚から分離する。朝陽は外れた外脳を受け取って自分の首に巻き付けた。


「お仕事中なのにお時間を頂いてしまい申し訳ありませんでした」

「気にしなくていい。この程度は想定の範囲内だ。じゃあ行ってくる」


 そう言い残して立ち去ろうとするフレイアの背中に声をかける。


「あの、そういえば言い忘れていたのですが……!」

「……?」


 フレイアが振り返る。


「その……ありがとうございました。いろいろと、助けて頂いたこと」


 感謝の言葉を述べるとフレイアはむず痒そうにそっぽを向いた。


「別に、善意のみで助けたんじゃない。お前の存在が任務達成の手がかりになるかもしれないという打算もあった」

「はい。ですが救われた事に変わりありませんので」


 真面目に礼を口にする機会なんてそうそうない。だから気恥ずかしさはあった。でもこういう時は羞恥心など捨て置いて全力で謝意を表明すべきだろう。


「なので、重ねてお礼を言わせてください。ありがとうございます。嬉しかったです」


 丁寧に頭を下げて朝陽がそう言うと、フレイアの頬がほんのり朱色に染まった。

 顔ごと大きく目を逸らしてあさっての方向を向きながら、


「……ど、どういたしまして」


 どもりつつぎりぎりこちらに届くくらいの声量でそう言った。

 フレイアはぎこちなく踵を返してどこかへ走り去っていく。木々に紛れて、すぐに見えなくなった。

 すごくいい子に拾って貰えたなと思う。そこに関しては運が良かった。


「はえ~。やりとりが若い若い。おばさんにはちょっと刺激が強いわ~」


 手で顔を扇ぎながらシアが机に突っ伏した。


「おばさんって……シアさんって何歳なんですか?」

「三十五歳だけど。ついでにフレイアは十七歳ね」


 十七歳。フレイアは朝陽と同い年だった。しかし十七歳の割にはフレイアの外見は幼かったような気がした。単に小柄で童顔なのだろうか。一年の周期が違うなんて事もありそうだ。


「三十五歳って事は、フレイアのお母さんなんですか?」

「そうだね。すねかじりだけど」

「娘のですか……?」

「うん」


 酷い話もあったものだ。そういえばこの人、最初はかなり引きこもり体質っぽかったなと思い出す。


(それにしても……)


 朝陽はシアの年齢を聞いても違和感を覚えなかった。


(でもそれっておかしいよな……)


 違和感がないという違和感。シアの外見はフレイアと姉妹だと言われた方がしっくりくるくらい若い。それは朝陽の親も同じだった。P‐ユニットによって若さを維持されていて見た目が本来の年齢より瑞々しいのだ。しかしシアはP‐ユニットを寄生させてはいないだろう。にもかかわらず年頃の娘といった風体であるのはやはり魔法が関係しているのだろうか。


「シアさん、もしよければこの世界について教えて貰えませんか? 訊きたいことが山ほどあるんですが……」

「いいよ」


 簡単に了承される。ありがたい話だがフレイアとは一悶着あったので拍子抜けしてしまう。


「ま、私は初めからキミに興味持ってたからね。面白そうだし、暇潰しで付き合ってあげる」


 でも、と続ける。


「その前に、朝陽くんの見落としについて教えておきたいわ」

「見落とし……?」


 一体何を、と思いながら繰り返す。


「あのね、この世界では異種交配で新種の生物が誕生するの」

「異種……交配?」


 不意打ちで聞かされた不穏なワードに面食らう。


「そう。例えば犬と猫、あるいは猿と鳥。そういった組み合わせでも子供が生まれるのよ」

「そんな事が……?」


 シアは頷いた。


「理解して貰うにはちょっと説明が長くなっちゃうんだけど、異種交配はどんな生物が掛け合わされても簡単に両方の長所や特性を複合、あるいは昇華した子供が生まれてくるような単純な分野ではなくて、相応のリスクを伴うの。異種交配で生まれる生命の殆どは軟体の汚泥みたいな見るに堪えない姿形をした生き物。これを『魔物』と呼ぶわ」

「魔物……それって、あの山にいた怪物の事ですか?」

「うん。魔物に理性や知性はほぼ無いわ。感知した生物をひたすら食らって、気ままに異種交配を繰り返して増えるの。とても危険な存在だから発見次第早期排除が常識ね。異種交配で誕生した生物は特別な力を持ってる場合が多いんだけど、魔物だった場合は空気中から魔力を吸収して膨れ上がって生まれた直後から強力な戦闘力を獲得する傾向が強い」

「アレ、そんな危険な奴だったんですか……」


 水場の近辺がとりわけ危険地帯だろう。

 魚類が行う体外受精は異種交配の温床になっていてもおかしくはない。魔物がいくらでも湧いてきそうだ。そうして生まれた魔物が他の生物を襲って繁殖を繰り返せば……考えるだけで恐ろしい。


(思ってたより混沌としてるんだな、この世界は……)


 ダークファンタジーという用語が頭に浮かぶ。半ば分かっていた事ではあるが明るく楽しい異世界生活とはいかなそうだ。


「で、ここまで聞いて朝陽くんは何を見落としてるか気付いたかしら?」

「え? ああ、そういう話でしたっけ。見落としって……?」

「いい? 大事な忠告をするからきちんと耳を傾けてね? 魔物の特性は暴食と繁殖。あの山で君を襲った魔物は君が転んだ時、一気に喰らいつかずに足を止めた。つまり目的は捕食ではなく交配で、あの魔物は雌だったんじゃないかな。まぁ君の性別を取り違えていた可能性はあるんだけど。朝陽くんが牡丹って子を抱えずに見捨ててしまえば、逆にその子は見逃して貰えていたかもしれない。また同じ事があった時、次は判断を間違えないように覚えておいて」

「…………!?」

「一応補足してくと、魔物がどうやって雌雄を見分けているかはわかってない。でも、魔物が子を成せる相手を見定められるっていうのは有名な通説よ」


 シアの言葉に朝陽は強く拳を握る。


(あいつの目的が捕食じゃなかった……!?)


 自らの誤認識で牡丹を死に追いやってしまったかもしれない事に、悔やみ切れずにくずおれてしまいたい程の激しい後悔があった。しかし自分は牡丹の為に最善を尽くした。その自負が朝陽の嘆きを押し止めた。

 それにね、と更にシアは言い募る。


「もし、もしだよ? 科学の力で牡丹って子を生き返らせられたとして、もしこの世界でも牡丹って子が何らかの魔法で蘇生させられたりしてたら、それでも朝陽くんはいいの? 自分達の世界でみんな笑ってれば、仮に蘇生された牡丹ちゃんがこの世界で酷い扱いを受けているなんて構図があったとしても、それでも朝陽くんは満足なの? これはフレイアの落ち度でもあるけど、死体はちゃんと供養した方がいいよ。万一があるから」


 それは思ってもいなかった見地からの問いかけ。見落としていた、魔法で死者を蘇生できる可能性。


(もう一度、あそこに行かないと……)


 頭の中にそんな想いが降って沸いた。

 今更ながらに、牡丹の体を放置してきた事に罪悪感が生まれる。

 平常心を失っていたとはいえ、親しい人にやっていい仕打ちじゃない。

 シアの提示した仮定がもし本当にあったとしたら、朝陽が抜け殻と定義して捨ててきてしまったあの体こそ本物の牡丹だ。

 牡丹の遺体を回収する。必ず……必ず持ち帰ってしっかりと供養してあげなければならない。

 このまま放置してしまえば、これからの人生ずっと「もしかしたら」に後ろ髪を引かれながら過ごしていかなければいかなくなる。

 あるいは、それこそ魔法で死体を保存するなどして死者蘇生の機会を待ってみるか。


「取りに行くなら連れてってあげるよ」


 シアが言う。


「転移術なら私も使えるし、場所はフレイアの記憶見たからわかってる」


 朝陽は一も二もなく頷いた。

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