第一章 学生と軍人、あるいは主人と従者 1
山を下ると、広大な平原が広がっていた。
見渡す限り草の絨毯が敷き詰められ、なだらかな丘陵が描く曲線が地平線の彼方まで続いている。煽られ傾ぐ草花が朝陽の瞳に風を映す。
「【アデイルの精霊】よ、【武器庫】へ、次いで【宝物庫】へ道を接続せよ」
隣に立っているフレイアが何事かを囁く。内容は無骨だが、それはまるで祈りや呪文の詠唱だった。
「連結を確認。【武装解除】」
フレイアがそう唱えると彼女が手に持っている大剣が光に包まれ――消滅。
「王の忠臣、騎士フレイアの権限を以て指定するモノを【森の家】へ転移せよ」
フレイアがこちらの胸元に手を翳してくる。朝陽の体を淡い輝きが包む。
何が起きているのかわからず答えを求めてフレイアへ視線を投げる。
「結界から出たので安全地帯まで送還します。先に行ってて下さい。私もすぐに行きます」
「――ちょ、ま、何す――!」
るんだ。手を伸ばしてそう言いかけて……言葉を失う。
景色が変わっているのだ。
目の前には木造建築の一軒家。再び周りを木々に囲まれていた。
傾斜がないので山ではなく森や林の中なのだろうか。視界の中を身体から剥がれるようにして飛び散った光の粒が漂い空気に溶けて消えていく。
そこは開けた場所だった。この辺り一帯だけは開拓したのか元からそうだったのか閑散としている。おそらく庭だろう。自然の素材をそのままぶつ切りにしたような木製の机と椅子が設置されており、周辺の景色とピッタリと符合して和やかな空気を演出していた。
はっとして手元を見る。P‐ユニットも髪飾りもなくなっていないのを確認して胸を撫で下ろす。
牡丹は古風な価値観を持っていて物を大事にする性格だった。だからお気に入りだと言っていた髪飾りを持って来ておいてあげていた。
傍で柔らかな光が差す。見れば白い光の粒が集積している。小柄な人型のシルエットで、光の粒が剥がれ落ちて霧消すると中からフレイアが現れる。
「今のは……?」
非日常な光景に驚きながらも何とかそれだけ搾り出す。
「……転移術ですが」
フレイアが抑揚の乏しい口調で簡素な返答を口にする。これで十分と言うように。
魔法はある。そう考える事にした。
(ここどこだ……? この子の家……? 軍人なら軍の施設に連行したりするんじゃ……なんで民家?)
気分はだいぶ落ち着いている。
P‐ユニットに搭載された体調管理機能は精神面の安定状態を左右する脳内物質の分泌量にも作用して調節される。一時的に不安定になってもすぐに正常値に戻って安定するのだ。
(まずは何から手をつけるべきだろう……)
そのおかげか朝陽は至極冷静だった。
(この子はどういうつもりなんだろ)
フレイアを見る。一先ず成り行きに任せた方がいいのだろうか。
「ちょっと待ってて貰えますか?」
考えに耽っていると、フレイアがこちらを見上げながら言ってくる。
「いや待って。先に君の目的を教えて欲しい。状況が一切わからない」
現状を整理して理解したかった。
「……私は軍の任務であの山へ斥候に行っていました。なので、あそこを調査して情報を集める事が目的です。これ以上は言えません」
「だったら任務の内容はいい。どうして俺をここに連れて来たの?」
「それは……」
言いにくそうにする。
「あなたの様子から、私の任務と関係なさそうだと思ったからです。無関係だった場合、変に尋問されないように配慮してこちらに連れて来ました」
「なるほど。気遣ってくれたのか。ここはどこ? 君の家?」
「そうです」
「ここで何するつもりなの?」
「無関係そうだと言っても、確定ではないのであなたを個人的に調べます。あの、もういいでしょうか?」
「わかった。質問攻めしてごめん。待ってる」
「え、ええ。そうして下さい」
フレイアはたじろぎながら背を向けて建物に入っていった。
(そういえばここは安全なのか? さっきみたいな怪物と出くわさないよな……)
警戒していると、ぴー……と近くで何かが鳴いた。驚いて身を引く。
目を向けると、小鳥が梢から飛び立って視界を横切った。
音を立てると物陰から良からぬ何かが飛び出して来る気がして息を詰めながら待機する。
(……ん? なにか聞こえる?)
家の中から言い争うような声が聞こえた。P‐ユニットで聴覚情報をリアルタイムで解析しながら耳を澄ます。
「昼間から布団に籠ってばっかりいないで早く起きて! 人を待たせてるんだから!」
「やだぁ……やだぁ……知らない人と顔合わせるなんてむーりぃぃ」
「あのねぇ、わがままばかり言わないで……!」
「ぅぅぅ……ふれいあのばかぁ……」
……などと聞き取れる。どうやら立て込んでいるようだ。
(暇だし、今の内に出来る事をやっておこう)
朝陽は自分を理解して貰う方法に考えがあった。P‐ユニットで地球の情報をまとめ始める。
その後結構な時間が経過して――
(お、遅くない……?)
P‐ユニットによる正確な体内時計は二十分以上も待たされている事実を突き付けてくる。手持ち無沙汰で突っ立ったままいつまで放置されるのか。痺れを切らした朝陽がドアをノックしようかと思っていると、ようやく女の子二人が玄関から出て来た。
「うぅ……フレイア、本当に私が居なきゃだめなの?」
「駄目じゃないけど、その方が確実なの。このくらい協力してくれたっていいでしょ」
「はぅ……他人と話すなんていつ以来だろ……吐きそう……」
「家に籠って寝てばっかいないで、たまには外に出て。まったく……」
「……やだよ、睡眠以上の娯楽なんてこの世には存在しないんだもん」
「もう……」
呆れるくらいひどい会話だった。二人の内の一人はフレイア。もう一人はフレイアによく似ている見かけは少し年上の女性だ。姉妹だろうか。女性は気分が悪そうに項垂れている。
綺麗な人だった。袖の長い清楚な白地のシャツの上にカーディガンを羽織っている。プリーツスカートから覗くしなやかなで華奢な白い足が眩しい。濡れたような光沢を放つ肩口までの赤髪や赤い瞳が輝くように、目に痛いくらい不自然に鮮やかだった。
「お待たせしました」
随分と待ちぼうけをさせられた朝陽の前に立ち、フレイアは悪びれもせずそう切り出した。
「この人を説得して人前に出せるよう支度するのに時間がかかりました。すみません」
全然すまなそうじゃなく謝られる。むしろ不機嫌そうにぶすっとしていた。
二人の会話から大まかに推移は読み取れる。家族だとしたらフレイアはこの怠惰な女性に手を焼いているのだろうと心中を察する。
「こっちの人はシア・ラズヴェルナ。今回の件の協力者です」
「こ、こんにちはっ……」
腕を引かれて半ば強引に連れて来られた女性――シアは、自分より小さな少女の背中に隠れながらおどおどと挨拶してくる。
「こんにちは。竜胆朝陽といいます」
相手が年上そうなので敬語を使う。
「リンドウ……ちゃん? よろしく……」
言って、ぺこりとお辞儀。
「め、めずらしい名前だね」
無愛想なフレイアとは違い、ぎこちないながらも耳触りの滑らかな声と柔らかな笑顔で会話を弾ませようと努力してくれる。人当たりがいいみたいだ。
「いえ、朝陽が名前です」
おそらく勘違いしているだろうなと察して間違いを訂正すると、シアは「うぅ……」と涙目になった。
「ごめんなさいっ」
慌てふためきながら今度は謝罪で腰を折る。かなり気弱な性格らしい。
「おかまいなく」
朝陽は努めて紳士に振舞う。謙虚で奥ゆかしい人と接する時限定の応対だ。
「じゃあさっそくお願い」
相互に自己紹介が終わったのを見て、フレイアがシアに話しかけた。
「この人を見て」
「ん」
フレイアに要求されてシアが小さく頷く。正面からじっと朝陽を見てくる。
シアの髪や瞳を仄かな燐光が舐めた。
おそらく魔法だろう。フレイアが炎を発生させていた時もそうだったが、どうやら魔法を使用する際には体毛や眼球に何らかの影響が及んで発光現象を伴うようだ。瞳を縁取る長い睫毛なども例外ではなく、シアの端正な顔立ちも手伝い目が釘付けにされる。
シアの眉がゆっくり上がる。瞼が見開かれて唇が戦慄いた。
「キミは……」
「あの、どうかしました……?」
異性と長時間見つめ合うのが気恥ずかしくなってしまう年頃の朝陽は我に返って顔を逸らす。女性に、しかも美人にまじまじと直視される耐性なんていつまでたってもできない。
「あなたの記憶を覗いて貰っています」
とフレイア。
「記憶を覗く? 見るだけで? 魔法云々言ったって勝手にそんな事――」
荒唐無稽に思えるフレイアの発言に戸惑って朝陽が難癖を付けようとしていると、
「地球……魔法のない、別の世界。ガラスに覆われた背の高い建物がたくさんあって……。凄いね、空には大きな鉄の塊が飛んでる。こことは違う文明で発展してるんだね。ちなみに今日の朝食はご飯と焼き魚と……濁った茶色いスープ。違う?」
朝陽の言葉を遮ってシアがそう言った。
「そんなことが……」
――出来るなんて。俄かには受け入れ難い。とはいえこちらの事をこれだけ言い当てられるのは証拠足り得るだろう。信じる他あるまい。
(……なるほど、だからここに連れて来られたのか)
朝陽は納得した。P‐ユニットでも似た事は出来る。セキュリティに撥ね退けられるので勝手に見る事は出来ないが、許可し合えば記憶の共有は可能だった。
この世界における魔法がどんなものかは想像できないが、シアは人の心を読むという妖怪の
「というか君、その見た目で……えぇ? ほんとに? わぁ……ついて……っ」
シアが赤面しながら朝陽の下半身に視線を送っていた。なんだかすごくプライバシーを侵害されているような気がして身を捩る。
「と、とりあえず腰を落ち着けよう?」
シアに促されて木製の椅子に腰掛ける。他の二人は机を挟んだ対面に座った。
「何をどう説明すればいいのかな……」
シアが難しい顔をする。驚いた事で返って頭が冷えたのか人見知りが嘘みたいに解けている。戸惑っている場合じゃないといった感じだろう。こちらも同意するところだ。
「状況を整理しましょう。その為にはまず、フレイアに朝陽くんの境遇を理解して貰うところからかな?」
「それなら、手っ取り早い方法がありますよ」
朝陽は首に巻き付いている首輪型の機械装置『
「はいこれ」
フレイアに手渡そうとするも受け取って貰えなかった。
「なんですか、これ」
いらなそうに眺めてくる。
「外脳って言って、脳機能拡張デバイスなんだけど……口で説明するより実際に使ってみる方が早いだろうから首に付けてみて」
「え……嫌ですよ。つけるわけないじゃないですか、こんな得体の知れない物。馬鹿なんですか? あなた」
罵倒と共にあからさまに嫌な顔をされた。
「大丈夫だよフレイア。危ないものじゃない……というか、朝陽くんに害意はないから。付けた方が話が早いのは本当だし、そうしないと話だけじゃなかなか信じられないと思う」
シアがフォローしてくれる。
「…………わかった。何かの便利な魔具ね?」
「そんなところ」
自分なりの解釈をしたフレイアの言葉を、シアは曖昧に肯定する。
「どうやってつければいいんですか?」
フレイアが聞いてくる。
同調圧力や押しに弱いのか、はたまたシアに対し全幅の信頼を寄せているのか、フレイアは外脳を手に取った。流されやすい性分なのだろうか。
同意を得たので席を立ってフレイアの背後に移動する。外脳の装着方法を指導した。とはいえ教える必要もないほど簡単で、首に巻き付けて肌に触れさせるだけ。そうすれば、外脳の中に内蔵された液状コンピュータが滲み出して細胞レベルで人体と融合、脳に接続する。
髪をかき上げて貰って外脳を首筋にあてがう。フレイアは体内に異物が侵入するのに違和感を覚えてか、首を竦めて振り向くと細めた目で流し見てくる。
「大丈夫? ……あ」
朝陽には慣れ親しんだ感覚だが初めてだと何か辛かったのかもしれないと思いそう訊くが……ふと、ある見落としに気付いて血の気が引く。いくら同じ人間に見えてもひょっとしたら身体構造に相違があるのでは? と。この世界の住人に外脳は適合しないなんて事も有り得る。もし人体に致命的なダメージを与えてしまったりしたら……?
「なんですか、今のあって」
「いや、ちょっと……ほんとに大丈夫? 痛かったりしない?」
フレイアの突っ込みを煙に巻きながら心配する。
「……はい。痛くはないです。けど、なんか変な感じです……」
フレイアは不安げに眉を顰めて目を伏せた。
(変な感じ……なら問題なさそう。ちゃんと適合してるみたいだし)
P‐ユニットで安全を確認して安堵の息を吐く。どうやら取り越し苦労だったようだ。
「じゃあ今から直接脳にデータを送信するから。ちょっと待ってて」
「…………?」
朝陽の言葉にきょとんとした表情を返すフレイア。身内が傍にいて気が抜けているのか、初対面の時とは打って変わってあどけない瞳だ。
「いくよ」
まだるっこしい問答は省略して実践する。
P‐ユニットでアクセスして外脳を操作。地球について概要を纏めた情報をフレイアの脳に直接流し込む。待っている間に作っておいたものだ。
「…………!?」
びくんっとフレイアの体が跳ねように仰け反る。短時間で莫大な情報量を与えられる事に慣れていないのだろう。
朝陽はさらにP‐ユニットを駆使して脳を――ひいてはフレイアの体を支配下に置く。送り込む情報に対して余計な反応を起こさないように生体信号を制御して大人しくその場へ座らせておく。精巧な人形のようにフレイアは背筋を伸ばして丁寧に制止した。
ちょっと焦った。こんな反応、いつもはされないのだ。
それでも緊急事態に即時対応できたのは日頃の学業の賜物だった。授業でこういったケースについての対処法は習っていた。
ちなみに生体信号を自在に操れるとはいえP‐ユニットや外脳にはプロテクトがかかっている。犯罪をさせる、性的に弄ぶといった邪な考えを抱くと、仕掛けた側が体を乗っ取られて更正施設へ自発的に出頭して教育される。禁則事項に抵触しない操作以外P‐ユニットは拒否するし許さない。今のような状況ではどう作用するか不明ではあるのだが。
「どう?」
しばらく様子を見てから支配を解除して訊く。
「……ええ、あなたの居た地球というものについてはだいたい理解しました。でも信じられません。こんな平和な……魔法も争いもない世界があるだなんて……」
地球は『戦争のない国』だった。
物質の分解と構成組み換え技術による資源の無限供給と、科学技術の進歩によって齎されたエネルギー問題の完全解決により戦争が死滅。資本経済が撤廃されて金銭という概念も消失した。特定個体の粒子構造をスキャンしてデータ登録しておけば、専用の装置から全く同じものをいつでも入手できる。人は資源を奪い合う必要がなくなった。
そうして恒久和平は実現された。その果てに国境が取り払われ、世界統一政府が主導する地球という一国に全世界が合併。有り余る潤いは平等に国中に分配された。
そういった情報に加えて日常における感覚データを抽出して付随させておいた。フレイアは朝陽の過ごした日々の一幕を追体験したはずだ。こうした方が自分の事を分かってもらいやすいだろう。
「……羨ましい世界ですね。地球というのは」
どこか気に入らなそうに、乾いた声でフレイアは呟いた。
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