プロローグ 魂の感触 1
ようやく準備が整って、いよいよ儀式が始まる。
もうすぐ文化祭。
朝陽と深海ルカ、部員二人の神話研究部は『神話時代の空気を体験!』という催し物を企画した。イルカは至極真剣なものにしたがっていたが、朝陽は強く反発して遊園地のアトラクションのようなエンターテイメント風仕立てにした。
準備は着々と進み、概ね完成している。そこで一度、予行演習を行う事になった。
床に魔方陣を描いて蝋燭を並べて、オカルトという言葉から連想できる小道具や方法を駆使してそれっぽくしている。
儀式の参加者は五人。
それぞれが魔法陣に描かれた五芒星の頂点に立つ。
『これより儀式を始めます! この儀式は人の心の奥底に眠っている願望を叶える為のものです! さぁ皆さん! 貴方が望むものを強く思い描いてください! 貴方が資格と強い想い、両方を兼ね備えているのなら、神様は必ず力を貸してくれるでしょう!』
深海ルカが高らかにそう言い放つ。まばらに拍手が鳴った。
それ受けて、深海ルカが魔法少女みたいに軽快な呪文を唱え始めた。
この後、蝋燭にバーチャルの火が灯り、光る蝶が飛んだり小さな妖精が現れて何処かへと導かれ、幻想世界の景色に迷い込んで棒立ちで楽しめる冒険が始まるのだ。
そう。
そのはずだった。
けれどそうなる前に突然、朝陽の足が床に沈み込んだ。
「――――え?」
下に目を向けると、足元が黒い水溜まりみたいになっていた。そうなっているのは朝陽のところだけで、他の参加者の床にはない。
ずぶずぶと、体が黒い水溜まりに飲み込まれていく。
「朝陽くん……!!」
予行演習に付き合ってくれていた幼馴染が必死の形相で手を伸ばしてくれたからそれを掴み――
そのまま諸共、黒い水溜まりに引きずり込まれた。
※
気が付くと、朝陽は仰向けに倒れていた。
体を起こす。背中に張り付いた落ち葉がはらはらと落ちた。
森の中、だろうか。周囲には密集するように木々がある。
「えーっと……?」
とりあえず位置情報を確認しようとインターネットへの接続を試みる。だが、繋がりが切れていた。地球上であればどこであっても通信途絶なんてしないはずなのだが……。
隣を見る。朝陽と手を繋いだ状態で、幼馴染の
心配になって、朝陽は牡丹の肩に手を添えて揺り起こす。
「おーい、牡丹、起きてっ」
小さな声で呼びかける。声のボリュームを下げたのは、知らない森の中で恐かったからだ。
「ううん……?」
牡丹が呻いて目を覚ます。それを見た朝陽は安堵でほっと息を吐いた。
牡丹が手をついてむくりと起き上がる。その姿はいつも通りの和装。紫陽花色の着物を着ていた。
年齢は十八。朝陽より一つ上の学年で、大和撫子な顔立ちと雰囲気でありながら中身は天真爛漫。朝陽の事を壊していいオモチャとしか見ていないようなひん曲がった性格をしているが、憎たらしい事に容姿は優れていると言わざるを得ない。可愛いというよりは美人といった感じだ。
「ここ、どこ……?」
「それはこっちが聞きたいよ……」
ぼんやりした牡丹の呟きに、朝陽は嘆息を返す。
さて、と朝陽は考える。
さっきまで学校に居たはずである。それがどうしてこんな場所にいるのだろう。
わけがわからな過ぎて逆に冷静になっていた。
現実じゃない……なんてことはないだろう。意識は明瞭としている。妙なプログラムの干渉もない。時間に連続性もある。なんらかの手段で昏倒させられて、その間にここまで運ばれたというのは考えにくい。
「どうなってるの……?」
この状況に困惑している様子の牡丹をちらりと見て、朝陽は口を開いた。
「どうして俺達はここに居るんだろう……?」
「そんなの、私にはわかんないよ」
「そうじゃなくて」
どうやら発言の意図が正しく伝わっていないらしい。朝陽は言い方を考える。
「普通さ……いや、こんな現象に普通なんてないのかもだけど、とにかく、なんで俺達は生きてるんだろう?」
「はぁ……? やめてよ朝陽くん。正気を失ってるとか、そういうのじゃないよね? 急に哲学? こわいよ……」
「違うって! よく考えてみて欲しいんだけど、知らない場所に一瞬で移動して、なんで無事なんだ?」
「どういうこと?」
言いたいことが纏まらず、朝陽は少し黙って考える。
「わかった。指定先。それがないんだ」
「わかるように言って貰える?」
「なんでここに居るのかがわからないんだ。落ちたら死ぬような高度でもなく、深海でもなく、地中でもなく、宇宙空間でもない。無作為にどこかへ飛ばされたって言うんなら、かなり高い確率で生きてはいられないはず」
「あー……そういうこと?」
やっと牡丹の顔に理解が広がる。
それを確認して、朝陽は状況の整理を進める。
「そうなると、これには何者かの意図が介在している……? 俺達は死なないように調整されて呼ばれたか送られた……? これはすくなくとも偶発的な事故ではない……?」
牡丹と一緒に考えようと思って、わざと思い付いた事を口に出していく。
「ちょ、ちょっと待ってよ朝陽くん! そもそもここがどこかを調べる方が先でしょ!?」
「……! 言われてみれば……」
優先順位が間違っていた。まずは身の安全を確保するのが最優先だ。
牡丹の言葉で朝陽は思考の沼から抜け出す。
「もう、しっかりしてよね。どうする? とりあえず散策してみる?」
「……そうだね。そうしてみよう」
遭難した場合は救助を待ってその場を動かない方がいいと聞いた事があった。けれど『気付いたら迷い込んでいた』となれば話は別だろう。
きょろきょろと周囲を見回す。「こっちに行こう」と適当に方向を決めて、朝陽は歩き始めた。
いくら迷ったところでどうせ正解なんてわからない。
「ねぇ、ここ、どこだと思う?」
牡丹が言った。
「異世界って言っちゃうのが、正直一番しっくりきちゃうけど……」
そう朝陽が返すと、牡丹はむず痒そうに体ごと首を傾げて辺りを見渡す。
「異世界って言われても……普通の森か山の中に見えるなぁ」
「そう……だね。呼吸も出来るし、重力にも違和感はなくて、太陽もあるみたいだ」
上を仰ぐ。折り重なった枝葉の隙間から木漏れ日があった。
湿った空気。緑の匂い。風でざわめく木々。靴底から伝わる柔らかな土の感触。
五感から伝わる世界の気配は、知っているものとどこにも相違はないように思える。
ふぃーと牡丹が息を吐く。どうやら歩き疲れてきたようだ。
「着物って歩くの疲れるんだよねぇ」
「下駄だしね。無理そうだったら遠慮なく言って。休憩するから」
「でもさ、ほんとにここが異世界だったらちょっと楽しそうかもね! 未知との遭遇っていうの? そうだったらちょっとわくわくしちゃうかも」
「そんな呑気なこと言ってられる状況かなぁ。死と隣り合わせとか、そういうやばい感じだったらどうするの?」
「あのねぇ、元気づけてあげようとしてるこっちの意図を汲み取って欲しいんですけどぉ」
「そういうの今必要ないだろ。ていうか声出して会話するのまずい気がするから、意識共有で会話しようよ」
『わかった。猛獣とかいるかもだしね』
『うん』
そうしてしばらく歩き回り、どうやらここは山であると判明した。
『ここが山なら、とりあえず山頂に向かおう』
先導するように歩いていた朝陽は背後の牡丹を振り返ってそう提案する。疑問符を顔に浮かべる牡丹に理由を説明する。
『山は下るのは簡単だけど登るのは難しい。素人が下手に下ると自力で抜け出せない場所に嵌っちゃう事があるみたい』
『へー、そんなのよく知ってるね』
『神話研究部の心霊スポット巡りで知った』
『うわー……よくやるなぁ』
高い所から景色を眺めれば、人里だとか何かしら見えるかもしれない。
そんな希望を抱きながら山の斜面を登っていくと。
前方に見えたその巨体に、ぞわりと肌が総毛だった。
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