あなたが望んだメイドさん
軽本かく
序章 時代錯誤の願い
夕暮れ時。
『神話研究部』。
そう書かれたプレートが現実と折り重なった仮想世界内に浮かぶのを見て足を止める。
高校に入学して数日。入部する部活動を決める為に校舎内を歩いていた
――どうせなら人と違うことがやりたい。
十五歳という多感な時期に朝陽がそう思っていたのはある種自然な流れであり、そんな時に一風変わったその部活に興味を引かれたのはごくごく当然の成り行きだったのかもしれない。
「なんだよ朝陽、いきなり立ち止まって……神話研究部?」
一緒に部活動見学を行っていた友人がこちらの視線を追い、書いてある文字を読み上げた。
「なに、興味あんの?」
「あー……うん、ちょっとだけ」
友人というのは意外と素直に内心を吐露できない。微妙な反応を返してお茶を濁す。
「ふーん、見てく?」
「まー、そうだね、せっかくだし見て行こうかな。ちょっとだけ。案外面白いかもだし」
正直かなり好奇心を刺激されていたがあまりその気はないような言い方をする。
「へー、物好きだな。ま、だいたい見終わってるし、こういうのを冷やかしに行くのも一興か」
「いや、俺一人で行く。それほど興味あるわけでもないし、付き合わせるのも悪いし」
神話なんて埃の被ったものに関心を持っていると思われるのがこの頃は恥ずかしくて、咄嗟にそう言う。
「んー……まぁいいや、じゃあこの辺で別れとくか」
「そうだね。じゃ、ちょっと行ってくる」
「おう、じゃあな」
友人と別れてそろそろと神話研究部とある扉の前に立つ。なんだか気まずくて自動式の扉に開閉の指令を飛ばすのを躊躇ってしまう。
『ようこそ、神話研究部へ』
意識に声が響くと同時にドアがひとりでに開いた。
『入りたまえ』
まるで御伽噺の中から聞こえてくるようなその声は、しわがれて掠れた老婆のものだ。
「…………失礼します」
誘われるまま神話研究部の部室に足を踏み入れる。
西に沈む落ち日から窓を通して染み込んだ光が幻想的な美しさで空間を彩っている。
(――まるで飴色の海の中にいるような……)
事実この部屋の主はそのような印象をさり気無く来訪者に与えるように仕切りを跨いだ人の視覚に細工が施されるように仕組んでいた。それは後に知らされる事になるのだが、この時はぼんやりとそう捉えているに過ぎなかった。
『さて、まずは君の名前から教えてもらおうかな?』
部室の奥。漆黒の外套を身に纏い目深にフードを被った人物が椅子に座っていた。その人物は芝居がかった仕草で右手を差し出し、相変わらず老婆のようなしわがれた音声で名を乞う。
『
意識共有しての会話。ここではそうするのが礼儀やしきたりなのだろうかと迎合するつもりでそうしてみたのだが。
『ふむ。竜胆くん、気を使ってくれたところ申し訳ないのだがそちらは普通に喋ってくれてかまわない。うん、君の好きにすればいい』
「あ、はい、わかりました」
『ふふ……良識や常識は厳しく教え込まれてそうだね。私はそういった秩序だったものをあまり好ましく思っていないが。
やばい、と思った。
『おっと、そんなことよりこちらの自己紹介がまだだったね。君の一つ上の二年生で、名は
「じゃあ、イルカ先輩ですか?」
『ん? いや、好きに呼べばいいさ。なんなら魔女と呼んでくれてもかまわない。こんなことを繰り返しているせいか、面白がってそう呼ぶ者も少なくない』
フードに隠れている目からバーチャルとわかるコミカルな大粒の涙が零れ落ちる。織り交ぜられる若干の不幸アピールが鬱陶しい。鬱陶しいが……
(やばいこの人、たまんない)
それを補ってあまりあるほど痛々しい言動や雰囲気がツボで、憧憬すら覚える。
時折いるのだ、こういう破天荒な人は。誰もが避けて通る場所で転げ回ってしまう人。
言動か行動、あるいはその両方。それらが常軌を逸している人間と関わるのが朝陽は大好きだった。
おそらくこの人はそういう類の人間だ。それも極上の。
『では話をしよう。まずは座りたまえ』
そう言われて魔女の前まで歩み寄り、置かれている椅子に座る。
『それでは面接といこう。君は何故我が神話研究部に足を運んだんだい?』
「足を運んだってより、たまたま見かけてちょっと立ち寄ったと言いますか……」
『ふん、何の発展性もないつまらない理由だな。運命が導いたのかもとか、神話の世界に行ってみたいと常々思っているからですくらい言ってみせてくれ。運命云々を言い出せばアカシックレコードだとか物質世界について存分に語れたんだぞ』
圧迫面接だ。暴言に、さすがにムッとする。一人でも友達がいるのが奇跡だ。
「じゃあ僕はこれで」
朝陽は椅子から立って帰ろうとする。
『あわわわわ待って待って行かないでもうちょっとだけ、ね?』
追い縋られて座り直す。
『おほん』
魔女が仕切り直すように咳払いの仕草をした。
そうしてから朝陽の全身をしげしげと眺める。
『さっきから気になっていたのだが……竜胆くん、
そう訊かれて朝陽は我が身を振り返る。
着用しているのは、誰に言われるでもなく自分から進んで袖を通したメイド服。
ベルスリーブの、ファッションとしてデザインした自作品だ。細部にあしらわれた程よいフリルは可愛らしく、大胆なミニスカートや黒のストッキングは煽情的で、頭を飾るカチューシャは楚々とした印象を与える。
やや癖のある髪は男にしては長く女にしては短い。顔付きは中性的で、体型は女性的。ホルモンバランスを調整しているので胸も膨らんでいるし肌も白ければ腰も細い。
見た目だけならどう見ても女の子。人からもそう言われる。
それなりに魅力はあるんじゃないかと自分では思っている。
「どうしてと言われましても……気に入っているからですけど。可愛いもの好きですし」
『ふむ、なるほど。やはり誰かに強要されたわけではないようだね。なりからして自発的だとは思っていたが。普段から着ているのか?』
「そうですね」
『しかし、だとしたら余計に気になるね。何故それを良いと思い、常用しているんだい? 可愛いものなど世の中にはいくらでもある。わざわざ給仕服を選んだ動機は?』
朝陽は迷う。いつもはここで深入りされない。気に入っているとか可愛いものが好きだからだと言えば、相手は納得するか言いたくなさそうだなと空気を読んで引き下がってくれるのだ。
理由はある。理解して貰えるかわからないから語るのに及び腰なだけだ。
「わ、笑わないで下さいよ?」
でもたぶんこの人はなんでも興味深く聞いてくれるだろうし楽しんでくれる。
そう確信して朝陽は覚悟を決めた。
「平等ってあるじゃないですか。なんというか、それがしっくりこないんです」
『ほう、というと? 人は平等平等と口にするが、生まれつき差異があるじゃないかという割とよくある抗議的な主張かい?』
「いえ、違います。……人はずっと平等を目指してきた。格差の無い社会を。で、今はそんな理想に辿り着いていると思うんです。でもそれを、逆に僕は息苦しいと感じてしまっていて」
『……続けたまえ』
「僕は、夢とか目標とか、そういう『やりたい事』ってのがないんです。生まれてきたからなんとなく生きているだけというか……何も楽しめないって事はないですし、何かに夢中になる時もあるんですけど、結局それを生き甲斐にする程の熱意を持てないというか」
『貴族の悩みだな。この飽食の時代にありがちな虚無感ではある。それとメイド服がどう繋がるんだい?』
「時々、思う事があるんです。自分の中に『やりたい事』がないんだったら、強い目的意識を持った誰かに仕えられたらなって」
『…………』
「自分の中に無いものなら他人の中に求めればいい。情熱を持っている、敬愛できる主に奉仕出来たらな、心に決めた人を従者として支えられたらなって思うんです。そうすれば、少しは生きている実感を得られそうな気がして。でも世の中は平等で、主従関係なんて一般的じゃない。仮に誰かと契約を結んだとしても、ごっこ遊びにしかならないだろうし……」
『階級や身分制度を求める性質……君は生まれる時代を間違えたのかもしれんな。厳密にはやりたい事がないわけではないが社会がそれを封殺している。つまりその不満の表現が
朝陽は頷いた。
魔女が嗤う。とても楽しそうだ。
『マネージャー気質というか……他者依存体質というやつかな? だがまぁ、悪くない。最初はハズレを引いたかと危惧したが、その実態は
魔女はおもむろに立ち上がり朝陽に人差し指を突き付けた。
『よし、君! 入部したまえ!』
「……わかりました。入ります」
迷いはなかった。
人と違うこと。
この人となら、出来る気がした。
『いい決断力だ。では歓迎する。よし、君を同好の士と見込んで私の素顔と地声を披露しよう。特別だぞ?』
すっと。おもむろにフードが取り払われる。
おさげの、いかにも文学少女といった男受けのよさそうな容姿をしていた。
「今後ともよろしく頼むよ、竜胆くん」
透き通るような綺麗な声。
まるで飴色の深海で響くイルカのエコーロケーション。
そう言って小さく笑う魔女――深海ルカに、朝陽は少しだけ心を奪われた。
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