第7話 希望
あらゆるものに終わりはある。この世の華とうたわれる美女も年と共に老いさらばえる。筋骨隆々とした精悍な男も人生の苦難に疲れ果て、うなだれる老人へと様変わりする。高々と掲げられた正義は、やがて本質を見失い形だけとなってついには悪へと変貌する。いかなる個人、組織、理想も必ず末路はある。
歴史は繰り返さぬが、韻を踏む。王国の歴史において多数の勇者が現れ、そしてそれと同じ数の魔王が出現した。この哀しき運命の二重らせんは王国の歴史を通して受け継がれた。しかし逃れられぬはずの運命にも終わりはある。
その者の名はわかっていない。出身も容貌も武器も何もかもが不明である。わかっているのは一つだけ。彼が最後の勇者となったことだ。
彼はヘルファヤ峠の戦いで仲間と共に魔王を倒した。旅の仲間である聖女、騎士、賢者と共に勇者は魔王を倒す。それは変わらぬ歴史であった。しかし彼は軍団を率いて王都には凱旋したが、王位を継がなかった。
「僕は圧政を敷く暴君を倒すべく立ち上がった民衆の一人にすぎません。勇者?魔王?そんなものはこの世には存在しない。賢者も聖女も騎士もすべてはただの称号にすぎない。僕も仲間もただの人間です。それ以上でもそれ以下でもありません」勇者を一目見ようと詰め掛けた民衆に彼はそう言った。この言葉を聞いた民衆も、そしてもちろん重臣たちも開いた口が塞がらなかった。
「しかし勇者は魔王を倒し、王位につく。それが太古の昔より連綿と引き継がれてきた歴史になります。すべてが、この世のすべてがあなたの物になるのですよ。後世にも名を残し、あなたがた一行の行動は今ここにいるもの全員が死んだ後も語り継がれていく。命を懸けて自ら勝ち取ったすべてをここで放棄すると、本気でそうおっしゃるのか。あなたは勇者だ。しかもこれから王になる運命にあるのに、ただの変哲もない普通の人になるというのか?偉大なる諸王の仲間入りを果たし、人の世が続く限りその名は語り継がれるというのに自ら歴史の狭間に消えようというのか?王として勇者としてすべてを手に入れ、自由にできるというのに、これまで数え切れぬ人が憧れ切望した勇者に、王になられたのにそのすべてを捨て去られるのか?」元老が重々しく警告するような口調で話した。
しかし最後の勇者は仲間のほうを振り返り、ゆっくり頷いた。
「そんなものなくたって僕は、僕たちは生きていける。」彼はそう返した。
われらはみな虚無よりきたる旅人である
幾多の苦難と別れを越えて先へ進む
決して旅をやめたりはしない
そして旅の終わりに始まりの地へと戻る
そのときはじめてその場所を知る
最後の勇者とその仲間たちはそう言い残すといずこへと旅立っていった。それは最初の勇者が魔王を倒し自らが王位についたその瞬間に発動した大魔法が、数百年にわたり信じられぬ数の人を支配した史上最大の魔法の一つが解けた瞬間であった。
墓守の人々が途方もない時間にわたり守り続けた諸王たちの石像と、その顛末を簡潔に記した歴史書は公開され、人々の知るところとなった。数百体にのぼる石像は最終的に水晶宮を一周するように安置された。もちろんその中にはボードウィンもエルドも、そしてアッティンの像も含まれた。
歴史書は事実のみを伝えるべきものであり、個人の感想や理屈を挿入することは基本的に禁忌である。王国記は歴代の王の成り立ち、施政、末路を簡潔に記録した書物であり、最後の勇者が王座を放棄するまで墓守の人々が書き続けいていた。
だがその歴史書にもたった一か所だけ筆者の感想が入る場所が存在する。筆者はそれが最大の禁忌であると知りつつも書かねばならぬと感じたのだろう。
「最後の勇者、魔王をヘルファヤ峠にて討つ。然れども王座を自ら放棄し仲間と共に旅に出る。われらはそこに勇気を見た」
武王が建てた荘厳な凱旋門も、聖王が築いたステントグラスで輝く大聖堂も、風王が残した数多くの女性との名高き恋歌も時の試練を経てもなお色あせることはなかった。人々はそれを目にし手にするだけでかつての王たちの栄光を垣間見ることができた。しかし最後の勇者は後世にこれとわかるものは何も残さなかった。ただ伝説のみが伝わるだけである。だがそれでもなお彼は王国史上最大の勇者とみなされた。なぜならば彼ら勇者一行は文字通り何ものにも屈することはなかったのだから。
あらゆる時代、あらゆる場所で
あらゆる国家、あらゆる民族は
それを追い求める
それが何かはわからない
それを手に入れる方法もわからない
それはどこにでもあり、どこにもない
それは決して目にすることはできず
それは決して手にとることもできない
それを最後の勇者は確かに手に入れ
それを王国に示した
彼らがその後どのような顛末をたどったのか、歴史書は伝えていない。おそらくは筆者にもわからなかったのだろう。旅の途中で病死したか、あるいは盗賊に襲われ無念の最期を遂げたか、仲間と共に安住の地をいずこかに見出したか、それはわからない。だが王国の人々は決して彼を忘れることはなかった。
王国各地に勇者と題された台座が作られた。それは彼を含めたこれまでの勇者の偉業をたたえるためであった。しかしその台座の上には何も作られなかった。虚空のみである。だが人々はたしかにそこに勇者を見た。仲間と自らの勇気のみを信じて強大な敵にもひるまずに進撃していく勇敢なものの姿を人々はその虚空に見出したのだった。
理想は最後には崩れ落ちるものだとしても、すべての希望はいずれ絶望にかわるものだとしても、すべての勇者がいずれ魔王へと変貌するとしてもそれでもなお人々は理想を、希望を、勇者を愛した。勇者は人々の理想であり、希望の体現だったのだ。悪とは正義の遺灰だが、不死鳥のごとく再び正義はその遺灰から立ち上がるのだ。
その後、王を持たぬ王国としてその国は歴史上においても類を見ないほど息長く繁栄した。なぜならば国が窮地に陥った時、人々は他国からすれば信じられぬほどの団結を示したからだ。
ある言葉が発せられるや否や大物政治家は自らの政治生命を代償として差し出し、大富豪は蓄えた私財をことごとくなげうち、誉れ高き将軍は自ら死地へ突入していった。それは国の標語にもなった。曰く、
勇者に栄光あれ
魔王と勇者 運命の二重螺旋 @tasogareahyaui
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