第6話 エルド王
時は流れた。旅の仲間を全て失ったエルド王はかつての精彩を失い、政務からも距離を置くようになった。今や知識の塔を統べる賢者も、大聖堂を統べる聖女も、軍団を統率する将軍も、政治を統括する王もすべてが不在の状況といっても過言ではなかった。そうなると世の常として人々は私欲へと走っていく。
賢者の塔に属する学徒と塔出身の官僚たちは賢さとは程遠く、自己の利益のみを追求する集団になりはてた。
馬鹿という言葉の語源は諸説あるが、一つに東方の帝国において帝王に取り入った権力者が自らの仲間とそれ以外を分けるために皇帝の御前に鹿を引き出した。そして彼はそれを馬だと言い張ったのだ。並み居る群臣は二通りに分かれた。馬と見たとおりに話すものと権力者の意向を気にして鹿と言い張るものに。こうして邪魔者を正確に認識できた権力者はかれらを追い落とすことで自らに権力をさらに集中させた。人々は権力者になびいて鹿を馬と言い放った者を侮蔑の意味を込めて馬鹿と呼んだのだ。
賢者の塔の学徒たちは文字通りの馬鹿であった。王や上司の言うことには従順だが自分の頭を使うことはせずいかにして楽をして仕事を終わらせるかのみを考えるかに終始した。チョウのような存在は皆無であり、そのような人材はすでに在野に下った。
マリアが廃墟から発展させた街、正教の大聖堂があまねく市民を照らした街
かつてそこは正教の教義が行き届いたため治安は非常によく、マリアの手腕もあって経済状況も良好だった。だがマリアはすでにもうない。後を継いだのはやはり箸にも棒にも掛からぬ枢機卿たちであり、彼らも自分のことしか頭にないのは同じだった。街は乞食にあふれ、犯罪が多発する王国でも一番の危険地帯へと変貌した。
シドが率いた軍もかつての規律は失われた。兵士への俸給は規定通りに支払われたがそれで生活できないのは国民と同じだった。その結果、軍内でも賄賂が横行し領民を反逆者として処刑しその財産を軍が没収し山分けするというようなことが行われるようになった。
経済政策も失敗に終わった。チョウの予言通りひとびとは貧しくなり、国中に怨嗟の声が蔓延した。エルドは困窮化と不満の緩和のために魔王側の考えをもつものを処刑していった。だが処刑した者たちこそ実は真にエルドが救いたい人々であった。彼がかつて憎みついには殺した相手とエルドは全く同じことをしていたのだ。
絶対王政の業は強欲だった。領民は領主の物。民から集められる税金は官吏の物。国は王の物。所有権が物を言う時代であり、人々は強欲に突き動かされた。
しかし共産主義の業は怠惰だった。すべての物はみんなの物。エルドが獲得した財産もみんなで分ける。領主たちがせっせと貯めた財物も国民みんなで分け与える。そう他人が苦労して手に入れた報酬に関して人々は恥知らずにも分け前を要求することができるようになった。そうなると皆、誰かに寄りかかって生きようとする。エルドの両肩にそれこそ数えきれない人数の民がよりかかりエルドはそれに耐えきれなかった。だから彼は裏切り者を殺すことにしたのだ。
人を殺すことしかせず、具体的な政策を打たないエルドを人々はこう言うようになった。
エルドはかつて死を忌避したが今や死に魅入られていた。反逆者として引き立てられてきた若い娘や男、長老たちいずれにも彼は同情しなかった。
「魔王」と。
彼はすべてを恨んだ。歴史上、暴君は数多いが未だに誰一人として民衆を滅ぼせたものはいない。常に人民は勝つのだ。
エルドが多大な政務に押しつぶされすべてにやる気をなくし チョウは働きすぎで早期に痴呆症になり マリアは人民の業によって殺されその功績をあやうく搾取されそうになり 人民を守ったシドは人民に裏切られて死んだ。そう彼らがどれほど血を流して国を救おうと努力しても身を捧げても人民はあたかもそれが当たり前であるかのように日常を過ごした。それが彼には我慢できなかったのだ。だから彼らにも同じことを強要した。
そして魔王の出現と同時に勇者が現れるのも歴史の道理だった。勇者アッティンは独裁者であり魔王であるエルドに対して反乱を起こした。いわく国民の財産を独り占めにして不当に搾取しているエルドを倒すのだと。彼の下には賢者、聖女、騎士が集い再び魔王打倒の火種が上がったのだった。だがその遺志はものの見事に受け継がれていた。
エルドは対処どころか興味すらなくなっていた。
反乱の報告を聞いたエルドは一言「そうか」とだけ言って終わった。
アッティンは王国の街を次々と支配しエルド打倒の軍団を本格的に組織し王都へと進行した。エルドはそれに対してもはや形だけとなっていた王軍を率いて迎え撃った。
王都からわずか数キロに広がる穀倉地帯であるオルゴン平原に両軍は展開した。日が上る早朝に数で劣るエルド軍はアッティン軍に奇襲攻撃を敢行した。一時はエルド軍が優勢であったが時間経過とともにアッティン軍が押し返し始めた。
エルドは本営で指揮を執っていたが、小隊がひそかに接近し本陣を強襲した。
アッティンとその仲間たちであった。
「お前がエルド王か」アッティンは若く、偉丈夫で重装備だった。
「そうだが、何か用かね」エルドはため息をついて答えた。
「お前のせいで国は崩壊した。民は困窮し役人は腐敗し軍人は堕落している。それなのにお前は人を殺すことばかり。もうたくさんだ。この戦いも本来は不要なのだ。俺とお前でここで決着をつけよう」
「・・・・・・」エルドは何も返さなかった。どこか懐かしいものを感じて白昼夢を見ているような感覚に襲われたからだ。
アッティンは容赦なくロングソードでエルドに斬りかかった。エルドも長年の相棒である盾と片手剣をとり応戦する。
「なぁ、お前はなんのために戦うんだ?」数合の打ち合いのあと、間合いを取ったエルドは口を開いた。
「なんのためにだと?そんなの決まっている。みんなのためだ。俺はみんなをお前から守るために戦うんだ。お前こそ一体何のために人を殺すんだ?」アッティンはそう言うと踏み込んで間合いを詰めエルドに再度斬りかかった。
「仲間か」エルドの瞳にはかつての仲間の姿がよみがえっていた。チョウ、マリア、シドと忘却していた姿が唐突にエルドの脳裏によみがえった。
「俺は一体なんのために?みんなで幸せな国を作ろうと。でもみんな死んでしまったんだ。俺にはもう何もない。俺の両手は血でおおわれている。俺は多くを殺しすぎた。あぁ、俺は魔王になってしまったのか」エルドの瞳にはもはやアッティンの姿など写ってはいなかった。
「なぜこんなことになってしまったんだ」エルドは茫然自失といった状態だった。
「お前は何を言ってるんだ?」アッティンもエルドの状況を見て戸惑いを隠せなかった。
「アッティン」二人が切り結んでいる天幕がまくり上げられ、初老の男、青年、少女が入り込んできて叫んだ。彼らはエルドの本陣を直接強襲したが、王軍の兵士が事態に気が付き集結しつつあったのだ。
「あれがお前の仲間か」エルドはアッティンに問いかけた。
「そうだ」そう言うとアッティンはロングソードを構えて横一線に薙ぎ払った。普通の兵士であればその威力に手がしびれて動けなくなるくらいの強打であったがエルドの構える盾には何の意味もなかった。
「そうか」そしてエルドもそんな打撃はどうでもよくなっていた。
「お前は俺を倒した後にどうするんだ?」エルドはアッティンに優しく問いかけた。
「なにをおかしなことを。仲間と共にみんなが平和に暮らしていける国を作るんだ」不気味さを感じながらアッティンは答えた。
「平和で安心して暮らせる国を、ね」まるで昔の俺みたいだな、その言葉をエルドは口には出さなかった。
エルドはもう盾も片手剣も持ち上げる力は残されていなかった。体力的な面ではなく精神的な面でもう余力が残っていなかった。
「もうおしまいにしていいかな、みんな」エルドは天を仰いだ。その隙をアッティンは見逃さなかった。エルドの胸をロングソードが貫いた。
エルドはアッティンに覆いかぶさるように倒れた
「すまなかった。ありがとう」エルドはかすれた声でそうつぶやいた。エルドにもようやく自分が倒した魔王の最後の謎が解けたのだった。
薄れゆく意識の中で彼はチョウ、マリア、シドが彼に微笑んでいるのを見た。
「待たせたな」エルドは虚空へと手を伸ばした。
独裁者の失脚ほど人々に拍手喝采で喜ばれるものはなく
賢者の発狂ほど人々の興味をそそるものはなく
聖女の淫らな姿ほど人々の欲情をあおるものはなく
勇者の凄惨な最期ほど人々を奮い立たせるものはない
たとえどれほど高く飛び立とうとも
すべての物はいずれ地へ堕ちる
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