第5話 騎士シド

義の反逆騎士。それがシドの二つ名だった。彼はもともと王軍の近衛騎士団員であり、馬術と槍術の名手だった。魔王と王軍の非道に義憤を抱いた彼は命令に背いたため反逆者として国中を追われてエルドの仲間となったのだ。

 シドはまた兵法にも長けており、当代随一の名将といっても過言ではなかった。エルドが魔王を倒して王になった後にも近隣諸国との紛争は絶えず、そのたびにシドは戦いに赴いたが常に勝利した。シドは純粋に強かった、いや強すぎた。

 北の大国ルーシはたびたび国境線を越えて侵攻を試みたが、そのたびにシドに撃退された。圧倒的な兵力を揃えてもシドは寡兵でもってそれらを撃退、もしくは撃破した。ルーシは度重なる戦闘であることに最終的に気が付くことになる。それは、シドがいる限り南方へは決して進出できず、正面切っての会戦ではどうあがいても倒せないということだ。そのため彼らは別な方法を考えることにした。

 シドが率いる軍団は少数精鋭であった。王軍に属していた過去から規律や風紀の乱れた軍団はえてして民に強く当たり、乱暴狼藉をして国を乱すことを痛いほどよく知っていた。そのためシドの軍団の規律は厳しく、罰則も厳格であった。そう、あまりにも罰則が厳しすぎた。強すぎる戦闘力に厳しすぎる規律、それがシドの強みでありそして同時に彼の命取りとなった。

軍団の兵站、つまり食料などの物資を調達し保管する役職である輜重隊長のグラトは密かに軍団の物資を横流ししていた。それで得た金はグラトとその一味の女遊びなどに費やされた。横領の数が少なければだれも気が付かずに闇へ葬られたかもしれない。しかしグラト達はあまりにも愚かすぎた。店のツケや借金の返済に充てるため貯蔵庫に山と積まれていた物資は気がつけば空になっていたのだ。それが明るみに出るのは時間の問題だった。軍規に照らせば横領は死罪である。グラト達は追い詰められた。

シドに消えてもらいたい大国ルーシと横領で遅かれ早かれ死罪が免れないグラト、彼らの利害は一致した。


 マリアの時と同じようにその日も大雨だった。日中だというのに曇り空であたりは夜のように暗く、外出せずに屋内でゆっくり過ごすのに適した日だった。その天候の中を早馬が弾かれたように駆けていくのは並々ならぬ大事が起きたことを示していた。

疲れ果てた伝令が水晶宮の謁見の間に通されたときエルドは既視感を覚えて嫌な予感がしていた。その伝令はシドの軍団から放たれていたからだ。

「エルド王、ご報告申し上げます。シド将軍はおととい未明、何者かにより暗殺されました。またルーシの二十万を越える大軍団が国境線付近に集結しており、近日中に侵攻の気配がつよく急ぎ増援をお願いします」荒い呼吸を抑えながら伝令は言った。

「今、何と言った?私の聞き間違いか?シドが暗殺されたって?」エルドは狐につままれたような表情をしていた。

「はい。シド様は殺されました」伝令はゆっくりと確かな口調でいった。

「な、なにを言っている。これはきっと何かの間違いであろう。あるいはシドの悪ふざけだな。昔の悪い癖がでた。あいつは人を驚かすのが大好きだからな。だが、私は騙されないぞ」ひきつった笑顔で伝令にエルドは問いかけた。

「誠に残念なことながら、事実であります」

「嘘だ」エルドは叫んだ。

「シドがそう簡単にやられるわけない。あいつは殺そうとしたって死なないような奴なんだぞ。あぁ、嘘だと言ってくれ。これは何かの間違いだ。悪い夢を見ているんだ。そんなことあるはずがない。暗殺なんて。嘘だろう。頼むから嘘だといってくれ」エルドは頭を抱えて悶えた。

「頼む、頼むよ。シドまで失ったら俺はどうすれば」

「なぜ皆いなくなる」

「もう俺に仲間はいない」

「もう無理だ、俺には耐えられない」

エルドは周りに人がいるのもはばからずに嘆いた。

「どういった状況だったんだ」うつむきながら小声でエルドは言った。

「昨日シド様のお部屋を伺ったところ、返事がないため確認すると中で四人の死体が発見されました。うち三人は見張りについていた兵士でした。そして残る一人は首がない状態でしたが衣服と体の傷からシド様と考えられました」

「あぁ、なんということだ」エルドは衝撃のあまり嗚咽し、嘔吐した。

「ほかには」周りのものに介抱されながらエルドは落ち着きを取り戻した。

「はい。状況と傷からみてシド様と見張りの兵士三人が切りあったようです。おそらく寝込みを襲われたシド様は致命傷を負いながら三人を切り殺して果てられたようです。わたくしが聞き及んでいるのはここまでです」

「わかった。ご苦労。ここまでの道中、疲れたであろう。ゆっくり休むがよい」

伝令が退出するや否やエルドは重臣たちに一括した。

「全軍の出撃準備を整えよ。ルーシとの決戦だ。私は一足先にシドの軍団のもとへ行く」

  エルドは重臣たちと軍のことを相談し終えるとそのままわずかな護衛のみを引き連れてシドのもとへと馬を駆けた。


  国境にあるゲランという街に軍団は駐屯していた。その場所は王国北方の交通の要衝であり、そこを抑えられると北方のあらゆる地域に容易に進出できてしまう。そのことをよくわかっていたシドは軍団司令部をそこに置いていた。

 ゲランに着いたエルドは旅支度のまま、シドの遺体と面会した。勇者一行の中で最も気があい、時に喧嘩し時に励ましあった旧友は今や無残な姿になっていた。

 死後硬直した手を握りながら首のない死体にエルドは跪いて語りかけた。

「俺はお前を友達だと、親友だと思っていたよ。お前もそうだろう。魔王を倒す旅で一番喧嘩したのもお前だし、仲間の中で酒を飲んで馬鹿をやるのは決まって俺とお前だったじゃないか。何度も王軍の兵士と騎士に追い詰められたけれども、死地をくぐり抜けてこれたのはやっぱり横にお前がいたからだよ。そんなお前がこんな死に方をするなんて。まさか守っていた味方に裏切られて殺されるなんて。無念だろう。だが安心しろ。お前の仇は俺が討つ。首も取り戻す。たとえどんな犠牲を払ってでも、こんなことをしでかした者たちに報いを受けさせてやる。だからもう少し待っていてくれ」

 エルドはシドが安置されている冷所を出るとそのまま軍団司令部へと赴いた。


 エルドが王都から移動している間、ゲランではシド暗殺の事件について総動員で調査を行い、全容が明らかになった。

 グラトが物資を横領していたこと。事件当日の見張りはグラトと親しい兵士で固められ、グラトと見張りの兵三人が暗殺を図ったと考えられた。シドは寝込みを襲われ致命傷を負いながら兵三人を切り殺し絶命した。ルーシへと至る複数の関所でグラトが確認されていることから、グラトはシドの首級をもってルーシへと亡命したようだった。そしてシドの死亡を確認したルーシは悲願である南方への侵略を開始したのだった。


 報告を受けたエルドは目をつむって数分間、微動だにしなかった。沈黙の間、司令部にいた兵士たちはしゃべることはおろか、動くことすらできなかった。静かな怒りがあたりを覆ったからだ。エルドが放つ殺気に多くの兵士たちは気圧されてしまった。

「それで敵軍は?」

「はっ。ルーシ側の国境線近くの街、ゴロドに少なくとも十万を越える大軍が集結しております。またルーシ各地からゴロドに向けて軍団が移動しており、最終的には二十万を超えると思われます」

「なるほど、ルーシは文字通り国運をかけて今回の決戦に臨むわけか。であれば全軍が集結してから進行してくるだろう。こちらの体制が整わぬうちに奇襲攻撃をうけることはなさそうだ。だがこちらは王軍を合わせてもおよそ五万程度の兵力か」エルドは目を細めて微笑んでいた。

「シド、やはりお前は名将だよ。こんな戦いを幾度もやって、そのすべてに勝利したのだからな」



 ゴラン平原、王国北方にあり大軍を展開できる唯一の場所に両軍は布陣した。ルーシ軍は総勢二十万の大軍であったが、強制的に徴用された農民などが多かった。対してエルド軍は五万人ほどで、緊急招集により集められた兵もいたがシドの軍団も含めて生粋の兵士の割合は高かった。

ルーシ軍は歩兵が多く、大軍であることから中央に戦力を集中配置し、多層の戦列を組んで一気に中央突破を狙う陣形をとった。

たいしてエルドは騎兵を両翼、特に左翼へ精鋭を集中配置した。また歩兵戦列は中央を厚くして弓なりの形とした。

 両軍が対峙して戦いが始まろうとするまさにその時にルーシ軍は二十メートルを超す大きさの棒を突如として戦場に突き立てた。よく見ると先端にはヤシの実ほどの大きさのものが突き刺さっていた。

 エルドは一目でそれがシドの首だと分かった。

「あぁ、そこにあったか。ルーシの首都スクアにあるならかなり骨が折れると思っていたが、その心配は無用だったな」エルドは満面の笑みを浮かべていた。瞳にはシドの首が移っていたが、その奥底には再び闇が蠢動していた。

 戦いの火ぶたはエルド軍が切った。エルド軍両翼の騎兵部隊はルーシ軍両翼の騎兵部隊に突撃をかけた。同時にエルド軍中央歩兵戦列は前進を開始した。

 呼応するようにルーシ軍歩兵も前進する。

 両軍の歩兵がぶつかり合う頃には戦場に異変が起きていた。シド軍団および王軍の精鋭で固めた左翼騎兵はたちまちに敵軍右翼を破壊しそのままルーシ軍後方へと進出した。エルド軍歩兵戦列は最初こそ前進したがルーシ軍が前進し始めると直ちに停止し徐々に後退し始めた。ルーシ軍歩兵戦列は勢いのまま前進した。

 敵右翼を破壊した騎兵は中央歩兵の後方には攻撃をかけず戦場を横断して敵左翼の兵を自軍右翼と挟撃した。たちまちに敵左翼は崩壊し、ルーシ軍は中央歩兵のみを残すだけとなった。ルーシ軍歩兵の進撃に合わせて後退したエルド軍歩兵は、もともと弓なりに配置していたこともあり後退と共にルーシ軍を包みこむような陣形となり、さらにそこに両翼を破壊した騎兵部隊がルーシ軍へ襲い掛かった。

 この時点ですでに決着はついた。全方位から絶え間ない攻撃を受けたルーシ軍中央はたちまち組織的な統制を失い、ほとんどが戦死するか投降した。


 ルーシ軍の総大将であった皇太子、大将軍、多数の将兵、あわせて十数万が捕虜となった。戦いの最中にシドの首はエルド軍の手に渡り、エルドのもとへ送り届けられた。

 冷所に保存するなどしない限り、生物の腐敗は速い。ましてやこれまでさんざん自軍を苦しめたシドの首をルーシ軍が丁重に扱うはずがなかった。シドの首はひどく損傷し、頬にはルーシの国旗の焼き印が押されていた。

「本当にお前には世話になった。もうゆっくり休んでくれ」エルドはシドの首を手ずから首桶にいれ、座右に置いた。

 その後、ルーシの皇太子や大将軍など主だったものが後ろ手に縛られてエルド軍本営に引き立てられ、エルドと相対した。

 ルーシの皇太子はどっぷり太った巨漢であり、地べたに座らされてもふんぞり返っていた。エルドと面会しても先に口火を切ったのは彼だった。

「私はルーシ国、第一皇子ドランスキーである。戦の慣例に従い、捕虜として生命の保証を要求する」野太い声だった。

「父王が身代金をはらうはずだ。貴様も一国の王であるならば他国の皇太子には敬意と礼をもって対応すべきだろう。なんだ、この仕打ちは。まるで犯罪者ではないか。一刻も早く、この縄を解いて適切な交渉の場をつくるべきだろうが」

 エルドは椅子に座り肘をついて答えた。

「敬意と礼?お前は正気か?では聞くがお前たちは薄汚い謀略でシドを殺し、脆弱になったわれらの国境をその大軍で蹂躙したのではないか。シドの首級も適切に対処されたとは言い難い。お前らこそ、優れた戦士に敬意を表すべきではなかったのか」

 ドランスキーは鼻で笑った。

「まったくもって忌々しい。戦士と皇太子ではなにもかもが違うだろうが。戦って死ぬのは戦士の務めだろう。野に朽ち果てる最期を迎えようとそれは本望というやつだ。御託はいいから早く食事と風呂を用意しろ。話はそれからだ。あと清潔な衣服も頼むぞ」

 ドランスキーは気が付かなかった。話の途中でエルドの瞳から光が消え去っていたことに。

「首を落とせ」エルドは側にいた自軍の将兵に命じた。

「はっ?」突然のことに兵士は聞き返した。

「捕虜全員の首を落とせ」そう言うとエルドは捕虜たちを下がらせるよう命じた。

「待て、首を落とせとはどういうことだ。まだ話は終わってはおらんぞ。お前は正気か。捕虜になった皇太子を殺すなんてわが王国が黙ってないぞ。おい、お前たち私をどうするつもりだ」ドランスキーはわめきながら兵士に抱きかかえられていった。


 生首街道。

 エルドの国からルーシへと続く道はのちにそう命名されることになる。なぜならば十数万の生首が杭に刺され、数キロメートルにおよび道の両脇を飾ることになったからだ。そしてすべての首の頬にシド軍団の焼き印が押された。

 ルーシ王国からの使者はその様を見て気絶してしまうほどの絶景だった。その使者に対してエルドは端的に言った。

「裏切り者のグラトと今回のシド暗殺に関与した者すべての首を差し出さないならば我が軍団はルーシの首都まで攻め上がり街を血の海にする」

報告を聞いた王は怒りではなく恐怖で震え上がった。グラト、および今回の陰謀を提案した者、その者の家族すべて、ことごとくが処刑され首がエルドの下へ送られた。それらの首も杭に打ちつけられ街道を飾った。

シドの遺体は遺言通り彼の軍団の戦死者たちと共に埋葬された。

 

 エルドは王都へ凱旋した。王国とルーシは対立の歴史は長く、常にいがみ合ってきた。

今回の戦いは歴史上まれにみるほどの大勝利であり、国民は沸き立った。だがそれとは裏腹に兵士たちの顔色は優れなかった。精鋭ほど早く死ぬ。シド軍団とエルド王軍において古くから彼らに従ってきた歴戦の兵士たちの多くが今回の弔い合戦にその命を捧げており、主だった者は戦死していた。また国境付近で敵兵に対して行った残虐行為が兵士たちの心に拭い去ることのできない暗い影を落としていた。

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