第4話 聖女マリア

「私は神にこの身をささげました」水晶宮の中廊下でマリアはエルドに言った。満月が二人をおぼろげに照らし、そよ風が心地よく吹く夜更けだった。中廊下からは都全体を一望でき、日中であれば人々の世話しない生活がよくわかる場所だった。だが夜更けということもあり、人々は寝静まりあたりは静寂に包まれていた。

「そうか。変なことを言ってすまない」エルドは手すりにもたれかかり、景色を見ながら単調に言った。心のうちに広がる動揺を押し隠すのに必死だった。マリアもエルドの横にたたずみ遠くを見ていた。栗色の髪を風が優しくなでていた。

「ここまで本当にいろいろありましたね。でもこれからもきっとたくさんのことが起こります。私の一番の望みは恵まれぬ人たちの手助けをすることです、それはあなたと共に旅をすることを決意した時から、いえそれよりずっと以前から心に決めていたことです。今更になって一人だけを愛し身を捧げるなどということはできません」

「わかった、わかったって」エルドは深いため息をついた。

「これから忙しくなるな」

「望むところです」マリアは微笑すると自室へと引き上げていった。




水晶宮の本殿でエルドは政務を執っていた。そこへ早馬を飛ばし息もまだ荒い伝令が入ってきた。そして王へと告げた。

「マリア様が自害されました」書類がエルドの手からするりと落ちる。居並ぶ重臣も一斉に顔を上げた。

「繰り返します、マリア様が自害なされました」そう言い終えると伝令はその場に倒れこんでしまった。

そこからのエルドの動きは速かった。居並ぶ重臣たちの静止も護衛の準備も民衆の行きかう大通りの人払いもなに一つ待たずにエルドは馬を駆って飛び出した。そこからマリアのいる大聖堂まで一休みもせずに駆け抜けた。

マリアは大聖堂の最上階にある自分の執務室から身を投げたのだった。粘土と砂利で舗装された道にたたきつけられたマリアの頭蓋骨は粉砕され、生前の面影など想像もつかない姿となっていた。

教会内に安置されたマリアの遺体を前にエルドは人目もはばからずに泣いた。

「なぜだ、なぜこんなことになった」地団駄を踏み、声にならぬ叫び声をあげた。

「よりにもよってお前が自殺するなんて、そんなことはありえないだろう。誰かに殺されたのだ、そうでなければ信じられない。誰が何と言おうとそいつを見つけ出してこの手で八つ裂きにしてやる」途方もない悲しみは激烈な怒りと憎しみに様変わりした。

「説明してもらおう、チェスター」副主教に対してエルドは怒鳴り上げた。

「マリア様は間違いなく、自殺です。しかしそれの原因を作った者たちはすでに捕まえております」チェスターは淡々と言った。

「これがマリア様の机にありました。エルド様あてと考えられます」

一通の封書が差し出された。封蝋はマリアのものだった。

「この手紙をエルド、あなたが読んでいるということは私はもう旅立っているのでしょう。神に召された後であれば自分の気持ちを伝えても神の怒りは買わないでしょう。

エルド、私は一日としてあなたを思わなかった日はありません。あの日さりげなくプロポーズされたとき、どれほどうれしかったことか。言葉では言い表せません。しかし私は臆病な女なのです。すべてを神に、ひとびとに捧げると誓い聖女とまで呼ばれるようになった今や一人の男を愛するなどできなかったのです。私は恐れたのです。聖女ではなく一人の女として道を歩むのを。

ただすべては無駄だったようです。あなたの誘いも断り、神にささげた操を私は無残に奪われました。もう私には何も残されておりません。

どこかでまた会うことができたら、その時は私と契りを結んでください」

手紙を読み終えたエルドは号泣した。

「まさかこんな別れになるなんて。あぁ、僕はこれからどうして生きていけばいいんだ。なぜだ、なぜみんな僕をおいて先に旅立ってしまうんだ。頼む、頼むよ嘘だと言ってくれ」エルドの慟哭は止まることを知らなかった。


事の顛末を簡潔にいうとマリアは複数の男に強姦され、辱められたため飛び降り自殺を図ったのだった。

マリアは大主教に就任すると大聖堂を有する街、ノプルで手厚い福祉政策を行った。経済的に困窮した者や不治の病に侵された人を積極的に保護したのだ。そして同時に正教の布教を行い、教会への礼拝など規則正しい生活を住民に浸透させていった。その結果としてノプルの人口は激増したにもかかわらず犯罪は極めて少ない、皆が安心して暮らせる街となったのだ。しかしどんなに恵みを施してもすべてが無駄に終わる救いようのない人間というものはいつの世も存在する。

ギヨーム、バーク、ディールの三人組は各地で強盗、恐喝、殺人、詐欺、強姦など複数の罪で追われる身であり、来るものは拒まずの街ノプルに隠れ潜むことにしたのだった。

しかしこれまで悪行の限りを尽くしてきた彼らが自分の欲望に負けてしまうのにはそう長い時間はかからなかった。彼らは女性に飢えており、一目見たマリアに欲情し犯行を計画したのだった。

夕方の礼拝に参加した三人はそのまま大聖堂に隠れ潜み、夜になって見回りをしていたマリアを襲ったのだった。なぜ彼らの犯行が明るみに出たかというと彼らは親しいものに自慢げに話していたからだった。

「マリア様ってよ、本当に処女だったんだぜ。しかも服の上からはわからなかったが乳も張ってて良い体してたんだよ。あんなにいい女を抱いたのは生まれて初めてだったよ。しかもまるで少女みたいにやめて、やめてって啼くのを聞いちゃうと男ならもう我慢できねぇよ。気が付いたらもう一心不乱に腰を振ってたね」酒場で酔っ払い、気の大きくなった三人は人目もはばからずに大声で高笑いをしていたらしい。

いきさつを聞いたエルドは半狂乱状態だった。

「殺せ。もっとも残酷で苦痛に満ちた方法で」誰がその場にいても静止は困難な状況だった。

三人の男たちは生きたまま生皮を剝がされた。それを執り行ったのは王国で名医と名高いカダであり、幸か不幸かほとんど出血を伴わずに体の大部分を剥がされた。彼ら三人は皮剥ぎに伴う出血では死ねなかったのだ。表皮は体からの水分の蒸発を防ぐとともに皮膚感染症を防ぐ役割を持っている。彼らはおよそ正視にはたえない姿で脱水と感染症に苦しみ獣のようなうめき声をあげながら数日間苦しみぬいて死んだ。死体は街に吊るされ、虫が食い、腐るのに任された。

「犬畜生にも劣る者に人間の皮はいらんだろう」

「まさに獣だな」表皮を剥かれた体は皮下組織が露出し、全身が筋肉と筋膜、脂肪が露わになりおどろおどろしい姿を呈した。

そして悲劇はそれだけでは終わらなかった。


「強姦の罪に対して死刑は重すぎまする」副主教、以下教会の主だった者がエルドに面会を求めてきた。

「マリア様の死はまことに哀しい出来事です。しかし犯した罪に対して正しい処罰を下すのが正義というもの。犯人たちはマリア様の死とは直接的には関係しておりません。命だけはお救いくださるよう、お願いに参りました」それが教会の総意だった。

「つまりマリアが死んだのは自分のせいで、彼ら三人は関係ないと。殺人の罪まではおっていないから殺すべきではないとそう言いたいのだな」冷たい声が響いた。

「おっしゃる通りでございます。マリア様は生前、慈悲深い方でした。きっと復讐は望まれぬでしょう。また正教でも赦しと憐れみは主要な教えの一つであります。ここはなにとぞ寛大な処置をお願いいたしまする」嘆願にきた全員が頭を下げた。

「それともう一つお話がございます」チェスターが躊躇いがちに話した。

「マリア様の列聖と葬儀に関してですが、お断りさせていただきます」

「なん、だ、と」震えてかすれた声でエルドは言った。

「教会の教義では自殺は禁止されております。聖アウグスティヌスは神に身を捧げた女は囚われの間に恥辱を被っても自殺してはならぬと明言したことがあります。これまでの慣習では自殺したものは正教からは破門とし教会の墓地への埋葬も行わないこととなっております。そのため教会の方針として列聖はおろか墓地への埋葬も執り行わない予定です」チェスターは断言した。

「お前は本気で言っているのか。魔王の時代には朽ちるに任せる状態だったこの大聖堂を完全に修復したのは誰だ。場所によっては迫害され、民からの施しで生きていくしかなかった信徒たちをここに集め衣食住を保証し信仰の道を保護したのは誰だ。貧しくわびしい街だったここに商人を誘致し、移民や難民を受け入れ、お前らの信じる神とやらが口だけだったのを現実のものにしたのは誰だ。すべてマリアだっただろう。それをお前は背教者だから葬儀すら行わないというのか」エルドは怒りに震えていた。

「マリア様の正教と教会への貢献は我々が最も知っております。しかし自殺という選択をしたのはマリア様であり、やはり葬儀は執り行えません。」

「どうしてもだめか。王として直々にお願いしたい。列聖のことはあきらめるからせめて葬儀だけでもこの教会で執り行ってやりたいんだ。正教と教会に対するマリアの貢献を鑑みればそれくらいは許されるであろう」エルドは怒りを抑えながら言った。

「大聖堂の長い歴史において自殺したものの葬儀が執り行われた例はございません。自殺は人殺しの罪を内包しているからです。正教の教えに従うならば、自殺者は心臓に杭を打ちつけ十字路の中央で遺体を見せしめにした後に野で腐るに任せるとなっております。それが生死をつかさどる神を冒涜した報いであり、二度と復活しないようにとの意味も込められております。マリア様に関しても列聖や葬儀は言うに及ばず、遺体を見せしめにすべきとの意見も教会ではあるくらいです」チェスターはまるで他人事のように淡々と話した。それを聞いたエルドは感情の消えた、不気味すぎる表情をしていた。そこにはもう怒りも悲しみも憎しみも何もなかった。

「つまりだ、今回の事件の原因となった下手人たちは処刑するな。寛大な処置を考えろ。対してマリアは本来なら遺体を見せしめにするところだが、教会の温情で葬儀を別なところでやることは許すと、そういいたいのだな」抑揚のない声だった。

「ざっくばらんに言いますとそういうことです」チェスターは頷いた。

「少し考える時間が欲しい。ここまで強行軍できたから疲れているんだ。後で今後のことはまた相談したい」チェスターらは部屋から退出した。

エルドはマリアの手紙を取り出した。頬には涙が流れていた。

「お前は本当に損な役回りだよ、自分の望みをあきらめて他人のためにすべてを捧げたのにそいつらはお前から奪うばかりで何も返さなかっただろう。ついには死んでからも奪われ続けるのだな。俺は悲しい。おれが今からすることを知ったら君は怒るだろう、でも許してくれ。お前の名誉と尊厳だけは誰が何と言おうと守りたいのだ。たとえそれで私にいかなる汚名が付きまとおうともな。

お前は数少ない例外だけどな、マリアよ。最後まで言わなかったが、正教の信徒なんてのは食いつめ者がどうしようもなくて乞食を正当化するために入信するのが多いんだよ。信仰心なんてこれっぽっちもないのさ。今からそれを証明してみせるよ。正教では殉教は最高の名誉だそうだな。もし彼らが本当に信仰を持っているのならその望みをかなえてやるよ」エルドはその後、兵士たちに何かを指示した。

翌日、チェスターと教会の主だった者はふたたびエルドに謁見した。前日と一つだけ違うのは彼らは後ろ手に縛られ、側には武器で武装した兵士たちがたっていた。

「これはどういうことですか、エルド王。我々は何も罪など犯してはおりません。このような逮捕は全く不当です」チェスターは叫んだ。

「昨日、よく考えてみた。お前たちのいうことは確かに筋が通っている。だがな、私は暴行を受けて自殺した仲間の復讐を我慢できるほど聖人ではない。だから三人の男たちは処刑することにした。そのあとにお前たちの神に赦しを請うよ。お前たちのいうことが本当なら神は私を憐れんで罪をお赦しになるだろう。

そして次はお前たちだ。言うにこと欠いてマリアの遺体を見せしめにするのが本筋だと?この国でもっとも教会に、福祉に、民に身を捧げた者へのお返しがそれなのか?それがこれまでの慣わしだから?教会の決まりだから?なるほど、お前たちの信仰心とやらは確からしい。誠に感心したよ。神もきっとお喜びだろう。私もお前たちに報いねばならん。だからお前たちの望みを叶えてやることにした」狂気と残虐が滲み出た笑みをエルドは浮かべた。

「われわれの望みを叶えてくださるのには感謝します。ならばなぜ我々は囚われているのですか?」エルドの不気味な笑みを見たチェスターは怯えていた。

「正教の聖人たちには非業の死を遂げたものが多いのは私も知っている。彼らは時の権力者にも屈さずに正教の教えに従い残虐な方法で処刑されたのだろう。そして死後、教会が彼らを殉教者として聖人にしたと聞く」一呼吸おいてエルドはつづけた。

「お前たちも彼らの仲間入りをさせてやろうと言っているのだ。これ以上の名誉はないだろう。よかったな、皆喜ぶがよい。これで望みが叶うぞ。お前達は聖人になれるんだ。私は喜んで暴君の汚名を着よう」

「な、なんと」チェスターたちは呆気にとられて言葉もでなかった。

「そういうわけだ。もう決めたことだ。犯人たちを皮剥ぎにした翌日にお前たちも極刑に処す、以上である。連れていけ」兵士たちはエルドの命でチェスターたちを引き立てていこうとした。

「お待ちください、エルド王。気は確かですか?われらはなんの罪も犯してはおりません。これは狂気だ。こんな馬鹿げたことがあっていいはずがない」チェスターは怯えたこえで叫んだ。

「狂気?馬鹿げている?あぁ、本当に馬鹿げているとも。お前たちがな。自分たちは何もせず、何もできずにただただマリアの温情で日々の安定した生活を送れるようになったというのに葬儀すら執り行わないだと?教会に最も貢献した人への報いがこれか?生憎だったな、俺は信徒ではない。マリアの仲間だ。仲間の死を侮辱されて黙っているほど俺はできた人間ではないし、赦すこともできないね」エルドは嘲笑した。

「しかし、古くからの決まりなのです。それが正教の聖書に書かれた教えなのです」

「だから、私がそれに報いようと言っているのだ。私は正教からは最悪で残虐な王として罵られることになるだろうが、それで良いと言っているのだ。教えに従う。それがたとえ命を代償にしようとも。それがお前たちの望みなのだろう。だから叶えてやるといっているのだ。なぜわからない」怒気を帯びた声が響いた。

「こんな、こんなことがあっていいはずはない」チェスターは開いた口が塞がらなくなった。

「お待ちください、エルド王。マリア様の貢献は我々が一番よく知っております。今回の一件、衝撃的な事件でわたくし気が動転しておりました。葬儀を出さないとか、見せしめにするとかはここにいるチェスターが主導して決めたことにございます。わたくしは関係ありません。どうか、憐れなわたくしに温情を」枢機卿の一人が叫んだ。

「な、なにをいう。お前がみせしめのことを言い始めたんじゃないか。一人だけずるいぞ」

「この中で最も教会に貢献し、マリア様にお仕えしたのは私でございます。マリア様も私が処刑されるのは望まないと思います。どうかご慈悲を」

「すべての元凶はチェスターにございます。チェスターこそが悪魔なのです。我々もすっかり騙されておりました。こやつは火あぶりにすべきです。しかしわれらは騙されていただけでなんの悪意もない正教徒でございます、どうかお慈悲を」

「そもそもチェスターがあいつらを雇ってマリア様を殺したんじゃないか、きっとそうだ。そうなれば主教の座も転がり込むし、慈悲深いという名望も得られる。どう考えたってあいつが黒幕だろう。今回の騒動に我々は関係ない」

チェスター以下、教会関係者はエルドや周りの兵士そっちのけで口論し、ついには殴り合いをし始めた。チェスターはすべての罪を押し付けられそうになっており、今回の事件の黒幕ではないかともいわれたため遂には跪いて泣き始めた。

「エルド王、エルド王。私は決して悪魔などではありません。私は決して偶然などで副主教になったのではありません。私を任命したのはマリア様です。私がもっともマリア様に仕え、教会に貢献しました。ここは、マリア様はまさしく神の恩寵の体現なのです。それを自ら壊そうなどとは決して思いません。

 マリア様の葬儀に関しては判断を誤りました。お詫びいたします。マリア様を失った今、より聖書に忠実であらねばと心がけた結果なのです。マリア様は殉教者ととらえるべきでした。我々が責任をもって葬儀と埋葬を実施したします。マリア様こそ、現世に現れた聖人です。列聖も行いましょう。なので、どうか命だけは命だけはお赦しを」涙ながらに床に平伏し早口で話すチェスターを見ながら、エルドは侮蔑の表情を浮かべていた。

「ほらな、いっただろ」エルドはつぶやいた。眼前で繰り広げられる馬鹿げた乱闘を尻目にエルドはいささか冷静さを取り戻した。

 頭に血が上って激情のままにここまで事を運んだが、マリアが教えに背いたのは事実だった。聖女として誰よりも正教を信仰し、忠実にその教えを守っていたマリアも最期は教えを破り自死した。結局のところ、当たり前の話ではあるがマリアも一人の女性だったのだ。聖女であっても、大主教であっても、勇者の一行のメンバーであってもそれは変わらず、故に完全無欠ではありえない。

「マリア、君も真の聖女ではなかったわけか」独り言をつぶやくとエルドはつづけた。

「お前たちをどう処断するかは一考の余地があると分かった。おって沙汰があるまで頭を冷やすがよい」そう言い放つとエルドは退出した。

その後、マリアを侮辱した罪でチェスターのみが極刑に処されることとなった。ほかのものは無罪放免とされた。

チェスターは最後まで涙ながらに命乞いをしていた。自分の舌から出た言葉に責任を持ち、矜持をもって聖書の教えに従い死ぬことはなかった。聖アウグスティヌスは釜茹での刑で処刑されたことに倣いチェスターも同様の刑とされた。

大釜と満ち満ちた油を前にしてチェスターは失神しそのまま釜へと投げ込まれた。弱火でゆっくりと油の温度が上げられたためチェスターは即死せず、数分間に及び釜の中でもがき苦しんで死んだ。その悲鳴はノプルの街中はおろか天にまで届きそうなほどであった。興味本位で見に来た市民たちはあまりの惨劇に目と耳を覆い、中には失禁し、嘔吐するものもいた。


 一連の処刑が終わってから数日後、国境線の紛争で手間どり、駆けつけるのが遅れたシドがノプルの街に到着した。経緯を聞いたシドは珍しく憤激してエルドを訪ねた。

「これは一体どういうことだ」開口一番、シドは大声を上げた。

「どういうこととはなんだ?罪人を処刑したまでだよ」エルドは淡々と答えた。

「俺が聞きたいのはそういうことではない」

「なぜこんなことをしでかした。あまりにも残虐すぎる仕打ちだ。マリアのことは本当に残念だ。まさかこんなことになるとは俺も思いもしなかったし処刑には賛成だよ。しかしやり方ってものがあるだろう。これではまるで……」魔王のやり口だ、そう言いかけてシドは口をつぐんだ。

「あいつらが人の皮をかぶった獣だということを証明して見せたんだよ。実際、獣のように吠えながら暴れまわって死んだしな。チェスターにしても本当に信仰心とやらをもってマリアの対応を考慮したのか試したんだよ。望みを叶えてやったのに、あいつときたら情けなく命乞いをして最後まで信仰の片鱗も見せずに死んだよ。神に祈ることさえしなかったんだからな」小馬鹿にしたように鼻で笑いながらエルドは答えた。

「誰だって死ぬのは怖いに決まっている。誰だって地獄の苦しみを味わえば獣のように暴れまわるのは当然だ。お前は人の命を弄んでいる。これは正義でも復讐でもなんでもない、ただの暴虐だ」シドは怒りを抑えられなかった。

「そんなことは俺が一番よくわかっている。でも許せなかったんだ。マリアは死んだ。死んだんだ。もういない。旅の初めの誓いの時に、俺は仲間のためなら何人たりとも、たとえ魔王であっても打ち砕いてみせるとそう誓ったんだ。なのにマリアを守れなかった。しかもあいつらはマリアを弄び、死んでからも侮辱したんだ。当然の報いだ」エルドも怒りを露わにした。

「お前の気持ちは俺が一番よくわかっている、わかっているとも。だがな俺も仲間の一人だということを忘れているぞ。マリアは俺にとってもかけがえのない仲間だ。本当にこんなことになって無念だよ。それでも今回はやりすぎだ」

「怒りを抑えきれなかったんだ。なんで、神に民に身を捧げたマリアがこんな目に合わなければならなかったんだ。それが許せなかった、悔しかったんだよ」エルドは初めて涙を浮かべてやるせない気持ちを吐露した。

「わかった、わかったよ。もう済んでしまったことはどうしようもない。お前は疲れているんだ。少し休め。今後、ここの指揮は俺がとる。それでいいな」シドはエルドの胸を拳で一度叩いた。不器用な彼なりの激励だった。

「あぁ、わかったよ。確かにやりすぎてしまったな」エルドはようやく笑みを取り戻した。

「なぁ、シド。旅の仲間で残ったのは俺とお前だけだ。大賢人チョウは賢さからほど遠い死に方をした。聖女マリアも最期は教えに背いて自殺した。もうこんな悲劇は十分だ。お前だけはずっと俺のそばにいてくれ。お前まで失ったら、俺は自分がどうなるかわからない。嫌な予感がするんだ」事態の収拾にとりかかろうとエルドのもとを去ろうとするシドに向かってエルドは懇願するように言った。

「昔から本当にお前は本当に仲間がいないとだめだな。安心しろ、俺は大丈夫だ」呆れ顔でシドは振り返った。

「そうだな、ありがとう」エルドは普段の顔つきに戻っていた。


 シドは事態の収拾にとりかかった。異臭を放ち近寄るだけで吐き気を催す吊るされた罪人たちは縄を解かれ、無縁仏として埋葬された。マリアとチェスターの葬儀は大聖堂で執り行われ、マリアは生前の功績により列聖された。

 エルドの処断はノプルの人々を震え上がらせ、魔王の再来がかすかに街中で囁かれたがシドの事後処理により事なきを得た。  

 マリアとチェスター亡き後、誰一人として主教の座には就こうとしなかったため枢機卿たちが合議で正教と教会を取り仕切っていくこととなった。

 エルドはマリアの葬儀と列聖の儀式を見守った後にシドと共に水晶宮へ帰っていった。



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