第3話 賢者チョウ

さすらいの賢者、チョウ。病状が思わしくないとのことで激務の合間を縫ってエルドは賢者の塔を訪れた。

「誰だ、お前は」ぼさぼさの髪、だらしなく伸びた髭、弛緩した表情のチョウがエルドに言い放った。

「僕はエルドといいます。もうお忘れかもしれませんが、一緒に旅をしたこともあるんですよ」チョウの手を握り、エルドは優しく語りかけた。

「そんなはずはない。記憶力はいいほうだ。旅の道連れの顔を忘れるわけがないだろう。それにしても全く、魔王の暴虐ぶりは許せん。奴は討ち果たされねばならない」

チョウはそう言うとあたりを見渡した。

「はてさて、ここはどこだったかな。ここには昨日着いたんだったか。なんでも辺境の町で反乱の兆しありとのことでそこに向かう道すがらなんだが。わしの荷物はどこに置いたんだっけかな」

「あなたはここに住んでもう数年ですよ。魔王もすでに亡く、この国はかつての平和と繁栄を取り戻しています。それはあなたの功績でもあるんですよ」エルドは子供にさとすように言った。

「おぬし、相当なたわけだな。世迷言もそれくらいにしておけ。わしは国のためになさねばならぬことがあるのだ。こんなところでお前の相手をしている場合ではないわい」

チョウは起き上がろうとしたが足腰に力は入らず、寝床から起き上がるのも困難だった。何度か試して起き上がれないことがわかるとチョウは目をつむりうたた寝を始めた。

エルドはチョウの寝床のそばに腰かけ、老いたチョウを見ながら過去の旅を思い出していた。


エルドには悪い癖があった。仲間のこととなるとすぐに頭に血が上ってしまうのだ。

あれはエルド一行が人民軍を組織し魔王に属する城を次々と陥落させていた時だった。彼らは降伏した城の兵士や住民には危害を加えなかったため、それを聞いたほかの城は戦わずして降伏することが多かった。バーグム城もその一つであり、城主であるストラットも攻め寄せたエルドとその人民軍を前に降伏した。しかしそれは計略だった。

ストラットは勇者一行を城内に案内し宴会を催した。人民軍の兵士たちにも贅沢な食事と多量の酒が配られた。連日連夜にわたり宴会は開かれ、皆が油断したその時にストラットは配下の兵士たちに命じて人民軍とエルドを奇襲した。

エルドは付き合いと称して酒を多量に飲まされ、襲撃の時点ではへべれけだった。ほかの三人は酒を飲んでおらず一行は何とかバーグム城から脱出することができたがその過程でシドはエルドを守って戦い深手を負ってしまった。人民軍も雪崩をうって敗走し多数が戦死する事態となった。

「本当にすまない、不甲斐ないばかりだ」急遽張られた野営地のテントの中でエルドはシドの手を握っていった。シドは腹部に複数の刺し傷があり、マリアが手当てを行ったが死んでもおかしくない状態だった。腹部には包帯がまかれ、傷によるものか発熱しシドはうなされていた。

「こんなことになるなんて思いもしなかった。僕のせいだ。頼む、頼むよ死なないでくれ」マリアは他兵士の手当てをしていたためエルドはつきっきりでシドを看病した。数日後にはシドは食事をとれるくらいには回復し、生命の危機は何とか脱したようだった。

「まったく気持ち悪いことこの上ないぜ。熱にうなされている間、誰かが手を握ってくれていたのはわかった。果たしてどんな女神さまがいるのかと目を覚ましてみるとそこには半べそをかいたエルドがいたんだからな。それで余計に血の気が引いちゃったよ、本当に」

人民軍はバーグム城の戦いで散り散りとなり、そのまま瓦解する可能性も十分にあった。しかしチョウの卓越した指揮と管理の能力により人民軍は一か月後には軍容を整えていた。そしてチョウの見立てでは三割近くの兵士が先の戦いで失われたことも判明した。

エルドは再びバーグム城を攻撃した。

ストラットとバーグム城の人々は人民軍を一度撃退し、その間に魔王へと援軍を要請して人民軍を蹴散らす予定だった。しかし想定よりはるかに早く人民軍は再建され、魔王も援軍をよこそうとはしなかった。

「降伏だと?冗談じゃない。嘘に決まっている。それにこの前の戦いの弔いとしてもうみんな戦う覚悟ができているんだ。降伏を受け入れて士気を下げるようなことはしたくない」エルドは珍しく怒鳴った。ストラットは再び降伏を申し入れてきたのだ。

「城の兵士から住民まで皆殺しにしてもいいと思っている。だまし討ちなんて道義にもとることをしながら、形勢が悪くなれば無血開城を望むなんて虫が良すぎる。少なくとも死んでいった仲間たちの人数分は彼らも血をながしてもらう。降伏は受け入れられない」

殺気を帯び血走った眼をエルドはしていた。話だけでも聞くことになり、城からの使者がエルドたちの野営地に入った。

果たして使者はストラット本人だった。彼はエルドを見るや否やたちまちその場に平伏した。エルドもストラットを見るやたちまち剣を抜き斬りかかろうとした。

「よくもまぁ、ぬけぬけと。お前もお前の家族も、あの奇襲に加わったものは兵士も住民も全員皆殺しにしてやる」怒号が響いた。そして誰よりも早く動いたのはチョウだった。

「このたわけ!」チョウはエルドの前に立ちはだかり、エルドを超える剣幕で叫んだ。

「今のおぬしは魔王と何ら変わらぬ。激情に身を任して無辜の民を殺すのは魔王そのものではないか。兵士たちは命令に従い戦っただけ。住民たちは自分たちの生活と命を守ろうと彼らなりに戦っているのだ。それもわからぬのか。それに死んでいった兵士たちはなんのために戦ったのだ。彼らは復讐がしたくて戦っていたのではない、魔王を倒し平和な世を作るために戦ったのだ。それに対してお前は魔王と同じことをして報いるのか。それが彼らの死を穢しているということもわからないか。それに今、城攻めをしてみろ。双方に少なからぬ血が流れることは間違いない。平和に処理できる可能性があるのに戦いを選ぶのは真の王道ではない」

「しかし、それではそこにいる裏切り者はどうする。そいつの命令のせいで多数の兵士が死に、シドは生死の淵をさまよった。その責任は間違いなくそいつが負うべきものだろう。殺すべきだ」エルドも負けじと反論した。

「このものは戦いが始まるまではバーグム城を善く治め、住民たちからの支持も篤いと聞いている。確かにこの度の戦いでの行いは死に値するものだが、これまでの貢献も鑑みて命は救うべきだ。それに城主を殺されて兵士と住民は死を覚悟で反撃に出る可能性もある。そうなれば魔王の打倒など夢のまた夢だ」チョウが言い終えるとその場は静まり帰った。

「わかったよ。確かに魔王と同じになるところだった。少し頭に血が上りすぎていた。降伏を受け入れよう」エルドはしばらく沈黙して静かに言った。

バーグム城は二度目の無血開城を果たした。投降した住民や兵士たちには危害は加えらず、先の奇襲を企てたストラットとその重臣たちは命を奪われることなく、城から追放された。

バーグム城をめぐるエルドと人民軍の話はたちまち広がり、エルドの元に参陣する城や兵士が現れた。住民たちもこぞって魔王の支配区域からエルドの勢力圏へと大移動を始めたのだった。

 チョウがいなければ王軍との決戦まで持ち込むことは難しかっただろう。チョウがいたおかげで少なくとも軍略と政治に関しては一貫して魔王よりもエルドがはるかに優位に立てていたのだ。




「あの時のチョウは威厳に満ちていたよ」エルドにとってチョウは師であった。だがいかに深謀遠慮の賢者であっても老いには勝てない。かつて智謀神のごとしとたたえられた男は今や下の世話も他人に任せなければいけないほどに老いさらばえ、自分の名前すらいえるか怪しい状態にあった。

「僕が思うよりもはるかに苦労をかけたと本当にそう思うよ。ゆっくり休んでくれ」

チョウはエルドの独り言でゆっくりと目を覚ました。エルドは自分の話でチョウがもとに戻ったのではないかと淡い期待を抱いた。

「はて、お前は誰だ」チョウは怪訝な表情でそういった。

「わしの荷物はどこだ。こうしてはおれん。わしはまだ旅路の途中なのだ。人の物を盗みおって。返してもらおう。お前にはわからぬ貴重な書類も入っているのだ」

チョウはエルドにつかみかかり、倒そうとしたがあまりにもその力は弱く振り払うまでもないほどだった。

「僕はあなたの物を盗んだりしていませんよ。安心してゆっくり休んでください。旅はもう終わったのです」

「旅が終わった?それはどういう意味じゃ。はて、そういえば何のために旅をしていたんだったか。何か大事なことを忘れている気がするが、思い出せない」

チョウは横になり、物思いにふけるように再び寝入った。エルドはしばらくの間、チョウのそばに付き添っていた。

賢者の塔、王国一の図書館も兼ねるその場所もいつからあるのかは不明だった。円形にずらりと図書が並びそれがはるか天井まで続く様は圧巻だった。魔王の時代にもその場所は存在し、賢者たちは魔王の王宮にも出入りして王に助言をする役目を負っていた。しかし魔王の独裁により賢者たちはただただ王を礼賛する御用学者になっていた。チョウもかつてはここで学んでいたが、賢者たちの腐敗に嫌気がさして放浪の旅に出たのだった。そして見事、魔王を討ち果たし大賢者として塔の長になった。だがもともと自由奔放なチョウには一室に閉じこもりひたすら書類やほかの賢者たちの腐敗と怠惰を正す仕事は向いていなかったのかもしれない。また先の内戦の心労が祟ったのかもしれない。

チョウはたちまち老け込んでしまい、徐々に認知能力の低下がみられてこのような状態になってしまった。

チョウの部屋から出て階段をゆっくりとエルドは降りていた。

「まさかボケ老人の世話をさせられることになるとはな。そのために学徒になったんじゃねぇって話だよ」食堂とおぼしき場所で複数人が高笑いしている会話が聞こえてきた。

「なぁにが、智謀神のごとしだ。ただのアホじゃないか。自分から塔を出て行ったとか聞いてるけど本当かどうか怪しいね。実は落ちこぼれで塔から追い出されたんじゃないかね。たまたま勇者一行のメンバーになって運よく魔王を倒しただけじゃないか。それなのにいきなり大賢者になりやがって。その報いが来たんだよ。今じゃ、厠の場所すらわからないんだからな」

エルドはどす黒い何かがうずくのを感じた。腰に帯びている剣の柄に手をかけて食堂へと入っていく。彼はその場にいた全員を殺す気だった。

エルドが入ってきたのに気が付くとその場にいた全員が固まり、静まり返った。

「これはこれはエルド様、このようなむさくるしいところにどうなされた」口火をきったのはその場で最高齢の賢者だった。

「チョウ様の具合はいかがでしたかな。ちょうど皆でその話をしていたところです。ここのところ病状が思わしくないようで。皆が心配しております。マリア様もシド様もつい先日お会いになられてひどく心を痛めておいででした。エルド様の心中もお察しいたします。わたくし共に何かできることがあれば何なりとお申し付けください」

賢者の戯言などまるでエルドの耳には入っていなかった。ただ食堂に飾られているチョウの好きな格言を前にエルドはただ考えていた。

“天は正義に与し、人は仁徳に感ず”

チョウならこんな状況でどう行動するだろうか。ここにいる者を全員殺すのはたやすいことだ。ただチョウはそれを望まないだろう。エルドがそんなことは一番よくわかっていた。

「なるほどここで彼らを気の向くままに殺すのはおぬしにはたやすい。だがそれは匹夫の勇だ。盗賊ですら人と戦う勇気は備えている。おぬしは大義の勇を身に着けねばならない。精巧な機械や素晴らしい人を壊したり殺したりするのは誰でもできる。だがそれらを作り出すには限られた人間しかできず年月も要するのだ。彼ら賢者と学徒は諸学に通じ、国政にも財務や政務で貢献をしている貴重な人材だ。確かにワシを侮辱したのはいただけぬがそれだけで命を取るのは正義とは言えまい」チョウがこう語りかけて来たようにエルドは感じた。

「まさかあそこまで衰弱しているとは思わなんだ。彼の世話はかなりの労苦だろうがよろしく頼む」エルドは彼らに軽く頭を下げた。

「彼は私の師でもある。命を奪いあう戦場で共に戦った戦友でもある。そんな彼に私は感謝しているし尊敬もしている。今はもうかつての状態からはかけ離れてしまったとはいえ、彼には敬意を抱いて接してほしい」かつてのチョウのように威厳に満ちた声が重く響いた。

「かしこまりました」賢者以下、その場にいた全員が深々と頭を下げた。

エルドは護衛の者とともに水晶宮へ帰った。



数か月後、賢者の塔からチョウの訃報が届いた。なんでも皆が寝静まった夜中に旅に出ようと階段を下りているときに足を滑らせて転げ落ちたらしかった。全くもって賢さのかけらも感じられない最期だった。

「チョウの最後がこんなだなんていまだに信じられない」チョウの葬儀は生前の希望通り、エルドを含めたわずかな人で執り行われ、その遺体は国を南北に走る大河であるヴォルガ川へと流された。

「無常、というやつだな」大河をゆっくりと流れていくチョウを見送りながらシドが口を開いた。その傍らではマリアがマントラを唱え、祈りをささげていた。

「一人、大事な仲間を失ったわけだ」エルドは一呼吸おいて続けた。

「二人とも、頼むから自分のことは大事にしてほしい。二人の身になにかがあったら、ぼくは……」そう言うと口をつぐんだ。

三人はそのまま数時間、何も話さずにじっと立っていた。


 シドとマリアは知る由もなかったが、チョウの葬儀の数日後に賢者の塔の学徒と賢者数名が反逆罪で処刑され、ヴォルガ川のほとりに吊るされた。彼らは食堂でチョウを小ばかにしていた者たちだった。エルドにとってはこれが初めての恣意的な殺戮だった。

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