第2話 守成

勇者一行は王都キャピタリアに凱旋した。都民たちは手に花束を持ち、華々しい勇者とその仲間たちを見ようと街道を埋め尽くした。エルドが通るや否や大歓声が沸き上がり、花束が投げ込まれて道は色とりどりの花で埋め尽くされた。人々は希望を胸に笑顔があふれていた。

エルドらを先頭に王都を人民軍が行進中、一人の少女が彼らの行く手を遮った。道端に落ちる花に目がくらんでしまったのだ。

人々はたちまちに息をのんで静まり返った。軍の行進を遮ったものは死刑と魔王が定めた法があるからだ。子供も含めた数え切れぬ人がそれを理由にこれまで殺されてきた。固唾をのんでことの顛末が見守られた。

エルドは花集めに夢中になる少女を前に馬を下りた。そしてゆっくりと近づいていく。張り詰めた空気があたりを覆う。少女はそんなことは露知らず、自前の花束を作るのに夢中になっていた。エルドは少女の前で立ちどまり、ゆっくりと腰を下ろした。少女はようやくエルドに気が付き、花束をエルドに差し出した。

「お花」満面の笑みを少女は浮かべて笑った。

「僕にかい?ありがとう。好きなだけ拾っていいよ」エルドは少女の言うがままに花を集めて手渡した。そして安全なところまで少女が戻るのを確認した。

「これからはすべてが皆のものだ」そう叫ぶと再び行進を開始した。

より大きな歓声があがった。


「あぁ、ようやく夢がかなった。ここまで本当に長かったよ」歓声をあげる人々を眺めながらエルドは感無量だった。

「張り切りすぎですよ。つい先日まで死にかけていたのです。また傷口が開いたらどうするんですか」横に並んで馬を進めるマリアが微笑した。

「何をのんきなことを言っている。魔王を倒したのは始まりに過ぎない。かつて東方の大帝国を築いた皇帝は臣下に草創と守成いずれか難きを問い、建業の後も気をぬかずにその後の繁栄を築いた。我々もこれに倣わねばならぬ。魔王を倒すのはまことに困難であったが国を統治するのはそれと同じくらいの苦難が待ち構えていると心せねばならない」チョウが気難しい顔をして窘める。

「難しいことはいいからさ、早くうまいものをたらふく食いたいな」シドがあくびをして首の後ろで手を組みながら言った。

「わかってるよ、チョウ。でも今日くらいは少しくらい肩の気を抜いてもいいじゃないか」

「まぁ、それもそうじゃな」四人は王宮へと歩を進めていった。


水晶宮、土台はレンガ造りだが全面がガラス張りであり、大きな水晶に見えるためそう呼ばれる王宮へと勇者一行は迎えられた。廷臣たちは武官も文官も正装して位の順に並び勇者を待ち受けていた。数百の廷臣が見守る中を勇者パーティーの四人がゆっくりと歩んでいく。

さすらいの賢人、チョウ。未洗礼の聖女、マリア。義の反逆騎士シド。そして勇者エルド。四人の仲間から始まった革命はついに終わりを迎えた。

謁見の間の一番奥には古びた木製の四人掛けの円卓と玉座と呼ぶにはあまりにも粗末ななんの装飾も施されていない椅子が一段高いところに置かれ、そこからは廷臣たちはもちろん、外で待機している人民軍、果ては王都の中央街道が一望できるようになっていた。

その円卓と王座は伝説によれば最初の勇者とその一行が腰かけたものであり、もはやいつからあるのか誰にもわからないような代物だった。エルドはその玉座へ、仲間は円卓に腰かけた。たちまち王宮の楽隊のラッパが鳴り響き、廷臣や人民からは地を揺るがすほどの大歓声が上がった。勇者エルドは遂に王となったのだ。

エルドは空を見た。決戦場と同じ青空がそこには広がっていた。死体の肉をついばみに来た猛禽類はそこにはおらず、鳩が数羽王宮に降り立つのが見えた。喜びと希望に満ち溢れた熱気が王都中に充満していた。エルドは感無量だった。そしてそれは傍らにいた仲間たちも同じだった。

決戦場から王都に至る道中でエルドは魔王の不可思議な行動を振り返っていた。エルド本人も魔王が殺そうと思えば自分をいつでも殺せたことは薄々気づいていた。最後のエルドを励ますような行動もよくわからなかった。魔王はまるで自分に王座を譲り渡したように感じられた。果たして魔王は何に囚われていたのだろうか。

そんなエルドの疑問は眼前に広がる光景とその熱気で彼方へと吹き飛んだ。エルドはかけがえのない仲間と共に立ち上がり、叫んだ。

「平和と繁栄を」熱狂はしばらく止むことがなかった。




「いくらなんでもそりゃ無茶な考えじゃな」チョウが眉間に皺を寄せて苦言を呈した。

勇者一行のメンバーはそれぞれにふさわしい役職についた。チョウは賢者の塔を統べる大賢人に、未洗礼の聖女マリアは正教の総本山である大聖堂の主教に、義の反逆騎士シドは軍を率いる大将軍になった。今後の国を治める上での政策を重臣たちが居並ぶ謁見の間で会議していた。

「前王は国とはすなわち自分のことだと勘違いして税を民から好きなだけむしり取り、その財を独り占めして国を衰退させた」

「僕が理想とするのはすべての物を皆で共有して、誰一人として飢えることのない国だ。僕は金持ちが嫌いだ。彼らは富を独り占めにして自分のためだけに使う。そこには何の思いやりもない。彼らは食べきれぬほどの肉や野菜を消費しそのほとんどを無駄に捨てていく。美食を追い求めるために家畜にも高価なものを食べさせる。愛玩用のペットには綺麗な服を着せて魚も食べさせる。その傍らでは貧しいものが食べるものもなくぼろきれをまとってみじめに飢餓で死んでいく。ちゃんと汗水を垂らして働いている人がちっぽけな金しかもらえない。衣食足りて礼節を知るとも言うし、どんな人間にだって最低限の衣食住を得られるようにすべきだ。それが保証されているからこそ人々は安心して生きてけるし社会だって発展していく」

エルドは目を輝かせて自信満々に言った。それをチョウはどういうわけか呆れた顔で眺めていた。

「確かに社会には格差の拡大という問題点はある。しかしおぬしは人の本性に希望を持ちすぎだ。不安や恐れがあるからこそ人は懸命に働く。それがなくなったら後は衰退するのみ。それらは必要悪なのだ。平和を欲するなら武力が必要なのと同じように、安全や安心を欲するならば対価を支払わねばならない。不安や恐怖を努力して克服していく必要があり、それは個人でも国家でも同じことだ」エルドはチョウの反論にムッとした。

「不安や恐怖をよりどころに人を支配するなんて、魔王と同じじゃないか。王国の民はみんなが平等に平和に暮らすという理想のために、明るい未来のために懸命に働くさ。決して不安や恐怖があるからではなくてね」

「では聞くが世界は平和であるべきだと宣言をすればすべてが解決するとでも思っているのか。殺人は悪いことです、窃盗や姦通はいけないことですと数千年前から定められているが果たして人類はそれを完全になくすことに成功したか? 紙の上や宣言とやらでどんなに素晴らしい理想を掲げても何の意味もない。そこには刑罰や制裁などの現実的な裏付けが必要なのだ」

チョウはそのまま続けた。

「たとえ話をしよう。フォートとスロスという二人の男がいた。財産や能力、社会的な地位とどれをとっても同じだったが、決定的な違いが一つだけあった。フォートは意欲に満ち溢れ精力的である反面、スロスは怠惰で酒好きで女性にだらしがなかった。フォートは精力的に働き、結婚後も節約して暮らしていた。対してスロスはろくに働きもせず遊んでばかりで結婚後も女遊びと自分が楽しむことしか頭になかった。果たして二十年という時がたつとフォートは豪邸にすみ、子供たちは勉学に励んで不自由のない生活を送っていた。それに対してスロスは隙間風のとおる掘っ立て小屋にすみ、子供たちは荒れてしまいまともな生活は送れそうにない状況だった。あるときスロスはフォートの豪邸と自分のみすぼらしいことこの上ない住まいをみてこう叫ぶ。

この社会はおかしい、これは不平等だ、とね。

はたしてフォートの財産はスロスへと分け与えられるべきか?彼はそれを努力して築き上げたのに?スロスは自分の怠惰のせいで現在の状況を作り上げたのにも関わらず救済されるべきか?

もし仮に財産を再び平等にしてもやはり時間経過とともに差異は生じてしまう。そしたらまた平等にするのか?まったくもって馬鹿げている。

人はみな違う部分があり、それ故に仕事や財産で格差が生じるのは当たり前だ。格差は決して悪いものではない。信賞必罰。勤勉なもの、優秀なものが栄えて怠け者、劣ったものが衰退するのは必然だ」チョウは厳しく言い放った。

「どんなに怠惰で能力がなくても人間である限り最低限の生活を送れるようにするべきだ。民の幸福度を最大化するのが王の役目だ」エルドも反論した。

「たしかに民の安寧と幸福を護るのが王の役目ではある。だが民すべてを救済することはできないぞ。そこには必ず取捨選択が伴う。それに王が最も責任を負っているのは民ではない、国と民の未来に対して王は責任を負っているのだ。

人はあるものを手に入れるためだったらなんだって手放す。全財産も場合によっては命さえも。そこまでして手に入れたいのは未来だよ。人は未来を手に入れるためだったらなんだってする。それなのに努力も犠牲もなしに安全、安心な未来を保証されたら誰も何もしなくなり、ついには滅亡の憂き目をみるだろう」

「じゃあ、君は人々が互いに競争しあうのが理想だとそういいたいのか?互いを貶めあい、憎しみあうそんな世界をのぞむのか?僕は知っている。たくさんの命を救える財産が有りながらそれをしない金持ちたちがいることを。彼らこそ、わが王国から排除されるべきものたちだ。貧困にあえぎ助けを待っている民を切り捨てるなんて僕にはできない」エルドはもう冷静ではいられなかった。

「確かに金持ちの資産を使えば救える命はある。だがやはり王は人の性質を忘れている。たとえばあなたが百ペトロ持っているとする。それであなたは大切な人に服を送るとともに、おいしい食事を一緒にとることができる。だが同時にそれを我慢することで自分よりもはるかに貧しい子供たちの命をそのお金で数十人救うことができる。だがよく考えてみてほしい。一生会うことも顔を見ることもない、赤の他人の命を救うよりも近しい人の笑顔を優先してしまうのが人情だ。それは悪いことなのか?」

「チョウは強欲なんだね」エルドは初めて嘲りに満ちた顔でチョウをみた。

「私の考えが強欲ならば、王の考えは怠惰だ」チョウは話し続けた。

「ある小さな島にフォートとスロスという二人の男がいた。フォートは島にある川で毎日釣りをして魚を取り、日々の食事としていた。スロスは何もせず散歩をして景色を眺め、昼寝をして過ごしていた。ただスロスは毎日夕方にはフォートの元を訪れ、魚をねだるのが日課になっていた。そのためフォートは二人分の魚を取らなければならず、スロスに何度も釣りの仕方を教えようとしたがスロスは全く教わる気がなく適当にごまかしていた。

 ある年、ほとんど雨が降らない日々が続き、川が干上がり干ばつの状態となった。フォートは取った魚を干物にして保存していたので余裕があった。対してスロスは日々の食事を自分で取らず、すべてフォートからもらっていたので蓄えなど皆無だった。スロスはフォートの住処を訪ね、蓄えてある干物を譲るように頼み込んだ。しかしフォートも余裕はなかったので断るとスロスは激昂しフォートを殺してしまった。そして食料をすべて奪うと無計画に見境なく毎日食べたため結局干ばつを乗り越えられずスロスも餓死した」

「フォートはスロスに最初から食事を与えるべきではなかった。魚を与えずに放っておくべきだった。働かずに死を選ぶか、まじめに魚の取り方や保存の方法を学ぶかはスロスが自分で選ぶしかない。にもかかわらず王は勤勉な者たちの成果を丸ごと搾り取り、それを皆で平等に分配すべきという。それこそ搾取ではないかね?」

「結局、何が言いたい?」

「どんなに厳格な法律や規則を作っても怠け者が働き者に変ったり、浪費家が倹約に励み始めたり、酔っぱらいが酒を断ったりしない。要するに外部から強制されるのではなく自らの意思で怠惰を反省し、酒におぼれた生活を否定して初めて人は変わることができる。人々がどのように支配されるかという外的な支配ももちろん重要だがそれと同じくらいに人々が自らをどのように律するかという内的な支配も重要だ。国民は自らの民度と同じレベルの国をもつ、とはこのことよ」

「つまり人々には自由にやらせて責任はそれぞれに取らせろということか。経済的なことも含めて王が介入するなんてなんの意味もないどころか有害だと君はそう言いたいのだね」

「まったくもってその通り」

「でも僕は強いものが弱いものを救うのが当然だし、不満があっても皆が平等に暮らせる国がいいと思う。それが民の望みでもある。それにチョウも見て来ただろう。貧困がどんなものかを。

君のいうことは一理あるかもしれない。それでも僕は皆が望む世界を作ってみせる。チョウもその手助けをしてほしい」




「こんなものがあったなんて」エルドは限られたものしか知らない、入れない王宮の地下にいた。そこは一種の殿堂だった。普段は完全な闇に覆われており、たいまつを片手に入らなければ自分の手も見えないほどだ。天井から床に至るまですべてが石づくりでできており、荘厳な雰囲気に満ちていた。そしてどこか冷気も帯びていた。両方の壁がくりぬかれており、そこにはこれまで王位に就いた男たちの石像が並んでいた。およそ数百人にも及ぶ巨大な殿堂であり、墓場でもあった。エルドが倒した魔王の物もあった。あの武骨なプレートアーマーにマントを羽織り、ロングソードを地面に突き立てて柄を両手で押さえる勇ましい姿だった。何より魔王は最後に見せた笑みをたたえており、全くの別人のようだった。まさにおとぎ話によく出てくる伝説の騎士、そのものであった。そして魔王の反対側にエルドそっくりで等身大の石像が相対するように収められていた。

「こんなにも多くの王がいたなんて」

「そんなこと、考えもしなかったかい」道案内をしてくれた老婆がしゃがれた声でそういった。彼女は墓守の一族の長であり、かの一族はこの殿堂が作られてからずっとこの場所の秘密を守り維持してきたのだった。

「ふふ、ボードウィンを案内した時も同じようなことを言っていたね。つい昨日のことのようだよ」

「ボードウィン?誰ですか、それは」

「ふふふ、自分が倒した王の名前も知らないのかい?」

「あの魔王もここを訪れ、あなたが案内したのですか?」わかりきったことだったがやはりエルドは驚かずにはいられなかった。

「あぁ。もちろんだとも。あの子はまさに騎士道の鑑のような男だったよ。きっと最後もそうだったんじゃないかな」

「それは……」エルドは口をつぐんでしまった。

「お前様も先王たちの仲間入りを果たしたのさ。エルドよ、そなたとその仲間が命を懸けて行ったことは少なくともこの場所と王国がある限り誰かの記憶には残り続ける。そう、お前様たちの命が尽きたそのあとにもね」老婆はそう言うと出口へと歩を進めていった。エルドは道中何も話さなかった。


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