第3話 襲われた!
「たっだいま〜!!」
「ここは家じゃないぞ。帰りな」
「も〜! そこは『お帰りハニー(キリッ)』みたく出迎えてよー!」
「ハニーじゃないだろ」
颯爽と玄関のドアを開けてきて部屋に入ってくる。要らない小言を添えて。
いつものようにバッグを預かり、嘆息を吐く。
「昨日、一昨日と会ったろうに」
「週二じゃ足りないー!」
「はぁ…………さいで」
人のことなど知らずにずかずか入ってきては、俺が椅子に座るや否や、空いた膝の隙間に座り込む。
眼前に後頭部。髪から香るシャンプーや香水の匂いが鼻腔をくすぐる。ふと、疑問を口にこぼした。
「香水って学校で許可されてるのか……?」
「? あんまり良くないよ。まぁ少しくらいだからバレてないし。――――どうして?」
「…………いや、なんでも」
流石に「いい匂いがしたから」と言うのは気味が悪い。セリフも中年くさいし、ここまで気を許してもらってる以上突き放すようなことはしたくはない。
桜庭はなんのことだか分かっていないようだったが、暫しの間考えた後、ばっと頭を前方に揺らして両手で頭を抱えるようにしていた。
少し恥ずかしげな様子で、僅かにこちらに振り向く。目元は歪んでいて、頬には若干赤みが挿していた。
震える声で俺に問う。
「い、いきなり嗅ぐの、禁止…………っ」
「っ、ごめんごめん」
「――――…………良い匂いだった?」
「っ、……ああ。俺の好きな匂いだ」
「っ! ふ〜ん、そっか♪」
俺の些細な発言を聞くと、態度をコロッと変えて背中を俺へ預けた。
匂いを擦り付けるようにすり寄ってくる。猫か。
「先生はこういった柑橘系が好きなの?」
「? あぁ、多分。あんまり他の匂いとか分からないけど」
「他はねぇ。バニラっぽい匂いとかフルーツ系のとか。あとローズとかのフラワー系とか!」
「凄い種類があるんだな…………俺の知らない世界だ」
「興味ある!? 最近は男の人も香水をつける時代だよ!」
「そうなのか」
足をパタパタと動かして俺の手で遊んでいる。指と指の隙間をなぞったり、たまにぎゅっと握ったり。
本当にこういった雑談もとい甘えるために来ている。よく飽きないものだ。
メンズの香水。というのは話の上では聞いたことはあったが、つけている人は見たことはない。俺自身、お洒落に鈍感なのもある。清潔感は保っているがそれ以上のことは行っていない。もうそろそろ就活のことも考えねばならないため、今度探してみるか。
「じゃあさ! 今度デートしよ! 駅前に新しくできた所!」
「だから……。俺と桜庭はあくまで講師と生徒であって。プライベートで会うことは御法度なんだって」
「今こうして会ってるのに」
「うぐっ……」
不満げな声で痛いところをついてくる。
私的に出会うのならば相応の対策を講じる必要がある。そもそも、この部屋に上がり込むのさえ誰かに見られ怪しい噂が立ってしまえば元も子もない。
それというのにこの娘は…………。
桜庭の言っていることも汲み取りはしたい。
俺だって桜庭の意見を参考にできるに越したことはないし、桜庭が楽しんでいる様子を見るのは楽しくはあるだろう。けれど、駅前ともなれば人目が激しい。もし俺や桜庭の知り合いがいれば終わりだ。
「先生。駄目…………?」
「無理なものは無理だ。公的な名目の立つ理由であるなら良いがそんなものあるわけがない」
「うぅ……」
「けどまぁ、偶然会う分には良いんじゃないか?」
「! それって――――」
「ただし、一つ条件がある」
流石に無条件というには俺がチョロすぎる。ダサい理由で動くわけにもいかないからな。
桜庭は俺の方を向いて、まじまじと目を向けた。
「次の模試で俺が納得の行く結果が取れたら、行こう。それまではココと塾以外で会うことは絶対にダメだ」
「納得の行くって、どのくらい?」
「そうだな……。仮に俺の今いる大学を志望するとなったら、C判定以上の要求はしよう」
「え!? この時期でそれはキツいよ!」
「譲歩だ。それに、勉強は俺がついてる。助けてやるから安心しろ」
「っ!」
不安な様相を作っていた顔が、みるみるうちに赤くなる。そこまでクサい台詞吐いたか、俺?
ぶつぶつと小言を呟いている様子だったが、
「でもそれってぇ、私と一緒にデートしたいってことなんじゃ〜??」
「ばっ……! そうとは言ってないだろ!」
「じゃあしたくないんだぁ。あーあぁ〜残念」
「そうでもなくっ――――…………からかってるだろ」
「なんのことですか〜♪」
からかい混じりに微笑を作る桜庭は、思い出したかのように俺の膝の間から抜けてバッグを漁りだした。
俺は動揺を抑えるのに時間を要していたが、平静になると同時に質問が飛んできた。
「そうそう! 先生に聞こうと思ってたバショがあって」
「……? 何の教科だ?」
「数学のこれ」
「これって……昨日やったとこじゃないか」
「あれからちゃんと復習したんだよ? でもわかんなくて」
「どれ…………あぁ、これか」
言い忘れていたが、基本は勉強をここで行う名目のもと、桜庭は来ている。こうすれば俺も勉強を教えられて桜庭もすぐに理解が進む。割と一石二鳥な関係なのだ。
「極限使って……これと同じ方法かな」
「ああぁ〜! ありがと、先生」
「解消できたなら何より」
頭をぽんぽんと撫でて、桜庭も桜庭で悦に浸る。かつて初めのうちに無意識でそれをやらかしてしまい、背筋が凍るほど失態に身の毛をよだたせていたが、本人からの許しを得た。その時も今のように撫でられた小動物のような、可愛げのある柔和な表情だった。
「ね、ねぇ? せ、先生。撫ですぎ……」
「っすまん!」
「っぁ……。いや、嫌いじゃないから良かったんだけど…………」
「……だけど?」
「流石にあぁも長時間撫でられ続けたら恥ずかしいっていうか…………その」
口に出してて恥ずかしかったのだろう。頭から湯気がもくもくと出ている。かくいう俺も滅茶苦茶に恥ずかしい。
「ご、ごめん…………。前にも似たようなことして怒られたのに」
「……? 私は怒ってなかったけど――――」
「あっ」
やっべまずった。
「先生??? 誰とやってたんですか???」
「い、いや…………い、妹だよ! 妹!!」
「先生妹居ないよね?? 前自分で話してたじゃんね?????」
「(やらかしたぁ!)」
冷笑をぴくりとも動かさず、目だけが憤怒を訴えている。机を挟んでずずず………とこちらに近付いてきている。自然と俺も後方に退けるが…………虚しくも背中に壁の感触。
ゼロ距離で両頬を抑えられて、吐息と吐息が当たるレベルで眼と眼が合う。
「先生」
「っハイ」
「浮気、ダメ、絶対」
「してない! してないし今誰とも付き合ってない!」
「じゃあ昔の女の人思い出すのも禁止!!」
「んな無茶なっ」
「じゃあ今から先生の唇塞いで思い出も塞ごう」
「それ絶対男側が言うような発言じゃ!?」
「ほ、本当に塞ぐよっ……! 怒ってるんだから!」
顔を固定されて、眼前に桜庭以外何も見えなくなる。恥ずかしがっているが、やるときはやる娘だ。本当にキスだろうとしかねない。
理性を持ち直して桜庭の肩に手を置く。ぐいっと押し退けて距離を取った。
「はぁっ……はぁっ……、危なかった……」
「あとちょっとだったのに」
「付き合ってもない人となんて駄目だ」
「でも先生は昔の女の人としたんでしょ?」
「」
「やっぱりするッ!!!」
涙目で襲いかかられた。引き剥がして家から追い出すのに一時間を要した。
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