第2話 神恩感謝

『驕り高ぶるな、あなた方は所詮、人なのだから』


邪氣を知らず、そして邪鬼を知らず。もののけと妖怪と幽霊と霊障の違いも知らず、それでも目に見えないものの存在を知る。


 『上様』の境内の奥は山への入り口になっていた。御神木の杉の木は山の傾斜を10メートル程上がった先に立っていた。御神木に近づくには、砂利の敷かれた境内から外れて、笹やシダが生い茂る土の上を歩かなければならなかった。

 二人は山の入口で一旦止まったものの、山好きの天は登山靴が山草で隠れるのも氣にせずに山へ入って行った。そんな天の後ろ姿を目で追いつつ、恵子は山に入るのを躊躇していた。


 なんか嫌だな。神社巡りを始めて一ヶ月、感覚が鋭くなってきたような氣がする。もともと霊感が強いわけではなかったし、幽霊もおばけも見たことはなかった。しかし、突然始まった神社巡りをきっかけに、「ここすごく良い」「なんかここ嫌」が、感覚でわかるようになって来ていた。

 上様の写真を見た時、なんとなく嫌だなと感じたのは、厄払いでたくさんの人が悪運を捨てていったのにも関わらず、掃除をする人が少なく、境内が人の穢れで汚れていたからだと分かった。そして本殿の神様はそれを嘆いていた。汚されたままの境内、自分の願い事ばかりいう感謝のない人間に神様だって愛想を尽かす事もあるだろう。自分で落としたゴミくらい自分で拾えば良いのに、それができないのが人間なのかもしれない。

 浄化というものを講座で学んで、人の負の感情や思い込み、エゴや執着など、自分では氣づけないものがある知った。自分では氣づけないそれらをセッションで誰かに取ってもらうのが早いように、神社の穢れも誰かが浄化する方が早いのかも知れない。それを担うのが私や天さんなのかな。神社はパワースポットだと、行けばご利益があるかと思っていたが、神頼み、念願成就の我儘な人間達の欲にまみれて、神聖さを失った神社もいっぱいあるのだろうか。

 そんなことを思いつつ、山の入り口に立って恵子はまだ、山に入るかどうか迷っていた。なんか行っちゃいけないような氣もするけど、一人で境内に残されるのも嫌だ。天さんも行っているし大丈夫かもしれない。ふと、山道の所々にシャガの白い花が咲いているのを見つけた。四国の旅に出る直前に参拝した伊吹神社で群生のシャガと出会ってから、恵子はお釈迦様の名に似たシャガの花が氣に入っていた。伊吹神社で道に迷ったときに道案内をしてくれた花だ。西照神社に向かう山道でも道端で恵子達に挨拶をしてくれた白い花。花弁に黄色と青の筋が入ってなんとも女性的なのだ。シャガが咲いているなら大丈夫かな、そう思って恵子は山に足を踏み入れた。


 まっすぐ天に伸びる幹、空に広がる枝葉。小高い丘のてっぺんに御神木はあった。太い幹にしめ縄を巻いて堂々としている。

「こんにちは」

 天は杉の木に話かけた。返事が欲しい訳ではない。木と心を通わせることができたらな、という純粋な想いからだ。御神木にもさまざまあるが、この御神木は自然派な印象で男性的と言ったら良いだろうか、殿様のような貫禄があった。周りを見渡し、日の当たる場所を探して移動し、太陽と土と草木からエネルギーを補充する。自然はいい。いつも自分を受け入れて癒してくれる。いつからだろうか、自然からエネルギーをもらうようになったのは。

 子どもの頃から感受性が強く人が苦手で学校にいけないことが多かった。休みがちな自分を親は理解してくれず、祖母だけが味方だった。幽霊やおばけも日常的に見ることがあった。他の人には見えなくて、見えないから存在しないと思われているが、自分には見えている。それが当たり前だった。霊がいるなら精霊もきっといるはずと、試しに木に話かけると、枝葉が揺れたり、葉っぱや木の実が落ちて来たりした。これはきっと精霊の仕業と捉えて楽しんでいるうちに、木と仲良くなり、風と遊ぶようになり、花と話をするようになった。目には見えないけど、そこにいるよね、と。人間界で疲れた体を自然界の友達が癒してくれる、そんな感覚だった。だから自分にとって自然は大切な友達なのだ。

「立派ですね。」

上を見上げて話しかけた。返事はない。それでも良い。今日、ここに来させてくれてありがとう。人があまり立ち入っていないのか、しめ縄はしっかり巻かれているが、足元の山草がしっかり成長していた。参拝者もほとんどいないのだろう。ふと後ろで声がした。

「わ!笹が刺さる!あ、痛!」

振り向くと恵子が伸びた笹に覆われた山道を歩いて着ていた。御神木しか見えていなかった天は恵子のことをすっかり忘れていた。

「来たんだ、道が険しいから来ないかと思ったよ。」

「うん、行かない方がいい氣もしたけど、天さんが行ったから大丈夫かなと思って来てみた。シャガの花も咲いてたし。」

シャガの花?と辺りを見渡すと確かに登ってくる道筋の所々に白い花が咲いていた。氣が付かなかった。本当に自分は御神木しか見えていなかったんだな。

「大きいねー、杉かな。こんにちはー!かっこいいですねー!」

恵子が上を見上げて叫んだ。

この人は自分と同じことをするんだな、と可笑しかった。

「何?」

と恵子が天を見た。

「いや別に」

と軽く返した。

さっき自分も同じことをしたとは恥ずかしくて言えない。けど、いつかそんなことも氣にせず話せるようになれたらいいな。

「あんまり人が入って来ないんだね、草が伸び放題。」

恵子は御神木から少し離れた草丈の低い所に座り込んだ。

「あんまり遠くに行かない方がいいよ、危ないから。」

なんとなくの感覚で言った。

「うん、大丈夫、ここ広いから。」

おそらく恵子は草に足を取られる心配がない広さがあるという意味で答えたのだろう。しゃがみ込んで草花を見ている。崖があるわけではないので大丈夫だろう。それにしても立派な木だ、と思った瞬間、ふと声が聞こえた氣がした。男性の声?

『氣が利かないな』

氣が効かない?どういうことだ?どこから聞こえる?

『席を外せ』

俺に言っているのか?言葉通りの意味ならば、俺にこの場から立ち去って欲しいということだが。

定かでは無いが、声らしく聞こえるその音は天の頭上から降りてくるようだった。耳で聞こえるというよりは頭に直接語りかけているような。幽霊は見たことはあるが、こんな声は聞いたことがない。恵子さんがセッションをする時に『なんとなく聞こえる』と言うことがあるが、これがそうなのか?

 御神木の辺りから聞こえてくるこの音のような声のような、でもはっきりとしたと意志のあるメッセージを受け取って天は御神木が恵子さんと二人きりになりたいと言ってるのかも知れないと思った。自分よりも彼女となら話しが出来るのかも知れない。きっと恵子さんの方が御神木の声を聞けるだろうから、俺ではなく彼女と。心にちくりとした痛みが走ったが今は氣にするときではない。御神木に言われたのならその通りにしよう。

天は一人、何も言わずにその場を立ち去った。


 恵子は草の背丈が低い場所を敢えて選んでしゃがんでいた。靴に笹の葉やシダが絡んで足を取られるのが嫌だったからだ。山や草木が嫌いなわけではないが、足が覚束ないのは困る。少し開けたその場所には小さな草が大地に根を張り巨木と共存していた。大きな木も小さな草もどちらも大切な地球の一部だ。すごいねー、君たち。ふと、足元で何か変な感覚が動いた。なんだ?大地を伝って何かがうごめくような。次の瞬間、ぞっとして、声にならない声をあげた。蔓だ!蔓が足首に絡みついている。地から這い出た蔓が足に絡みついて私を捕らえようとしている。脳内に映るのはそのまま蔓に足を引っ張られて地中に連れていかれる自分の姿だった。蔓はシュルシュルとふくらはぎまで勢いよく伸びかかり、いよいよ蔓の感覚がしっかりとし始めた。靴が動かないように蔓が足首をキュッと掴もうとしたその瞬間、『嫌だ!』と全てを払いのけるように私は勢いよく足を蹴り上げた。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!蔓を手で払い除け、ここに居てはだめだ逃げなくては!と、御神木の辺りに居るはずの天を探したが見当たらない。逃げろ!氣持ちの悪い両足に力を入れて駆け出した。山道に白い花を見つけた。シャガだ!恵子はシャガの花道に沿って一目散に山を降りて行った。


「天さん!なんで置いてくの!」

突然、後ろから恵子がやってきたと思ったら、急に腕を強く叩かれた。

「何!どうしたの?」

「なんで一人にするの!」

すごい勢いで怒る恵子に戸惑いながら、御神木に言われたからと言ってもわからないだろうなと思った。

「もう!怖かったんだから!」

と何度も腕を叩かれた。怒りのこもったパンチだ。

「何?どうしたの?」

訳が分からず、とにかく落ち着けとなだめる。恵子は自分の両手で腕を掴んで身を震わせながら、怖い怖いと繰り返した。

 話を聞くところでは、地中から這い出た蔓に足を捕まれて連れ込まれそうになったと。そんな事があるのかと思ったが、恵子さんが嘘をつくとは思えない。なぜ置いていったのかという問いにはこう答える他なかった。

「声が聞こえたんだよね。」

「声?」

「そう。『氣が聞かないな、席を外せ』って言われたからそうした。」

それを聞くなり恵子は顔を硬直させて

「なお怖い!」

と叫んだ。

正直に話したつもりだったが怖いとはどういうことか。恵子は手をばたつかせて続ける。

「それってあれだよ?お代官様が『おいそこの娘、近う寄れ』的な。」

と、手招きをした。

「そっか?」

あの声はおそらく御神木だ。御神木がそんな事を言うだろうかと疑問に思った。

「天さんは男だから、男はいらん、氣が利かないな席を外せってことでしょ?やっぱり私、悪徳お代官様に連れて行かれそうになったんだ、怖い怖い!」

御神木を悪徳お代官様とはいかがなものかと思ったが、まぁ、確かにそうとも取れるし、恵子さんがそう言うならそうなのかもしれない。

「で、どこで聞こえたの?」

恵子が冷静になって聞いてきた。

「うん、御神木の近く。」

と濁した。

「じゃぁ、御神木かなぁ。ここの御神木は男なのかな。」

やはり御神木なのか?恵子の言葉に木に性別があるのか?と思ったが、女性を欲しがるなら男性なのかも知れないな。

 自分に聞こえた声、恵子さんを捕まえようした蔓、確かに恵子さんの推理は辻褄が合う。御神木は女性エネルギーが欲しかったのだろうか。自分は男性だから御神木に光を入れる事が出来なかったのだろうか。ぐるぐると考えても仕方ないない事を思考しながら神社の境内を歩き、上様のお社に一礼をして、境内を後にした。

 隣を歩く恵子の足取りは重く、彼女も疲労しているのが分かった。色々ありすぎた、本殿に光を入れたり、玉砂利を浄化したり、御神木と話したり。これまで経験したことのない出来事ばかりで頭がおかしくなりそうだ。

境内を出た先の参道の階段に差し掛かった時に『背中に太陽を浴びて帰りなさい』と女性のような声がした。その声の主は直ぐに分かった。天照大神だ。天照大神が安心という心地よい温かさをくれる。まるで凍えた体を癒し暖めてくれるかのような愛のエネルギーだ。それまでぐるぐるとしていた思考が徐々に消えて行くのが分かった。

 何も間違ってなどいない。やれることをやるだけだ。感謝と謙虚さを忘れてはいけない。大丈夫。俺はやれる。心が落ち着いていくのが分かった。ありがとう、ありがとうございます。


 本殿に一礼をして境内を出て、参道の階段に差し掛かった時、また嫌な感じがした。蔓に足を取られてから、いろんなものが怖くて仕方ない。風に揺れる木の葉のざわめきもお化けに思えてしまう。足取りも重く霊障がついてやしないか氣が氣でない。階段は木陰になっていて、梢の陰と陽のあたる場所とがまばらになっていた。影を歩いてまた蔓が出てきたらどうしよう。恵子は一瞬身を縮めた。しかし、ここを通らずには帰れない。どうしたものか。

「そっか」

恵子はすぐにひらめいた。ひらめいたといより、誰かが教えてくれたと言うべきだろうか、ピンと来た。陽のあたる場所を歩いていけば良い。そう、影踏み遊びの逆で、影は踏まずに日向だけを歩くのだ。

「天さん、陽のあたってる所を歩いて行こう。」

恵子は日向を見つけて飛び石でも飛ぶかのように階段を降り始めた。これなら陰を怖がる必要はない。

「うん、俺も同じ事を思ってた。」

「え?」

恵子が天を見返すと、天は優し氣な表情で

「さっき、『背中に太陽を浴びて帰りなさい』って言われたんだよ。」

と笑った。直ぐにそう言ったのが誰なのか分かった。

「天照大神?」

「そう。天照大神。」

嬉しそうに笑う天を見て私は安堵した。

「そっか、アマテラスさんか。」

さっき私に日向を歩いて行けば良いと教えてくれたのも天照大神だったのか。

 アマテラスさん、なんて思わず友達のように呼んでしまった。嬉しかった。私と天さん、同じタイミングで同じメッセージをもらってる。繋がりを感じた。そして自分の感覚が間違っていないと思えた。怖いと思うこともあってしんどいけど、これも悪くない。神様と繋がる仕事、神社に光を入れる仕事。

これをこれから天さんとやっていくのかな。そんな事をうっすらと想っていた。


 鳥居を出ると一氣に疲れが出てきた。相当緊張していたのだろう。恵子は「はぁー」とため息をつくと辺りを見回した。行きしなに見つけた鳥居の下を流れる川に降りられる場所がないかと探したのだ。

「ここから降りられる。」

先に畔道を見つけたのは天だ。天はそういうや否や川へと降りて行った。先を越された恵子は

「何で天さんは恵子と同じとこするんかなぁー。」

と天の後を追った。天は流れる川面にパシャリと手をつけると

「手水舎の変わり。お清めだ。」

と両手を清流に沈めて行った。

恵子も天に続いて手を水につけると、冷ややかに流れる川のせせらぎに一瞬にして浄化されていった。

「なんとなく、川で清めて行きなさいってなったんだよね。」

タオルで手を拭きながら天は言う。

「恵子も川で手を洗って行こうって思ったよ。そしたら天さんが先に降りて行ったから、恵子が真似したみたいになったじゃない。」

と口を尖らす。

「同じなんだね。」

と天は笑う。

「同じなんですねー。」

と恵子も笑った。

 天は駐車場に向かって歩き出していたが、恵子はある事を思っていた。これは天は思っていないことかも知れないが、でも恵子はどうしてもそうしたいと思った。どうしてもそうしたいと思ったから、思い切って言ってみた。

「天さん、足も洗いたい。」

ぎょっとするかと思いきや天は

「やっぱり?俺もそう思ってたんだよ!」

と踵を返した。

「さすがに足まで洗うのは変に思われるかと思って言わなかったけど、俺も足を水につけたかったんだよね。」

とふふっと笑った。

「私もさすがに足まではどう?と思ったけど、どうしても洗いたいってなったから言ってみた。」

とニカッと笑った。

 天からタオルを受け取ると恵子は靴を脱ぎ始めた。靴下は少し汗ばんでいたが、蔓に絡まれたあの嫌な感覚はすでに消えていた。素足を水に浸すと頭の先まで一氣に冷たさが伝わって行った。緩やかな流れの水路では物足りなくなり、流れが早くなっている所を見つけて、バシャバシャを足を洗った。川底にある小石がキラキラと輝いて見えていた。

『足についた嫌なものをお取りください。お清めください。』

恵子は全てを洗い流すかのように意識を向けて祈った。

 恵子が川から上がって足を拭き始めると、次は天が川に入った。

「あー、氣持ちいいねー。」

足に掛かる水しぶきが楽しそうに踊る。足の裏、全体でゴツゴツとした石の硬さを感じながら、水の温度と流れの強さを身体全部で味わった。自然のエネルギーを肌で感じられる幸せ。有難いことだ。

 川の畔で足を拭く恵子の姿に彼女との間にあるこの何か通づるものは一体なんなんだろうかと考えた。理由など分からないが、彼女は自分と同じ事を同じ時に感じたり、目には見えない物を自分と同じように見えたり聞こえたりしているのだと、この旅を通して分かった。そして、彼女はおそらく自分よりも色んなものがよく見えている。光の色や形、音や声などもよく感じ、捉えられているのだろう。こんな人と出会ったのは初めてた。驚きよりも喜びの方が大きいな。分かりあえる、同じである事がこんなにも嬉しいなんて知らなかった。さて、次はどんな事が起きるだろうか。天は今まで感じた事のないワクワクに胸を躍らせた。


 上様を後に車は伊弉諾神宮に向かっていた。

「黒龍を洗ってあげたいな。」

黒龍とは天の車の事で漆黒の車体からそう名付けた。二人を運ぶワゴン車は川沿いを風を切りながら龍の如く走って行った。

恵子はふと、

「じゃき…邪氣?」

と言った。

「ん?」

「邪氣、だって。」

「邪氣?」

「そう、あれ、蔓の正体。土の中から出てきたもの。邪氣。」

恵子は天の顔を伺った。

「邪氣かぁ。」

 天は邪氣と言うものは知っていたが、恵子を連れ去ろうとする邪氣とはなんだ?と考えた。悪霊?妖怪?もののけの類だろうか。しかし、鳥居で結界の張られた神社にそのような悪氣が入ってこれるものだろうか。もし本当に声の主が御神木だったなら、御神木に邪氣が取り憑いていたとでもいうのだろうか。考えても答えはわからず、今はわからないこともいづれ分かるだろうと天は頭を切り替えた。

 恵子は邪氣という言葉を初めて聞いたが、降りて来たから誰かが教えてくれたのだろうと思う。邪念?怨念?それともお化けか幽霊か妖怪か?そもそもそんな物が神社に居たりするのだろうか。人の念は霊障として玉砂利などに付いていることは分かったが、邪氣って一体なんなんだろう。わからないものはわからない。いづれわかる時が来るだろうと考えるのをやめた。


 車窓に茜色が少し入りかけた空が流れる。恵子は茜という言葉が昔から好きだった。西照神社に向かう道中、私と天さんが平安時代に夫婦だった事を知った。陰陽師だった天さんとその幼妻だった私。過去生の記憶が途切れ途切れに頭をよぎるがまだ繋がってはいない。カルマの解消という言葉を知ったのも最近だ。これからもっと色々わかっていくのかな、と天の横顔に目を向けた。頼もしくもあり、あどけなくもあるその姿に愛おしさを感じた恵子は、これは過去生の私の想いだよ、と自分に言い聞かせていた。

 伊弉諾神宮に着いたのは夕暮れ時で境内に人影はまばらであった。恵子はトイレに入りふと体の力が抜けてくると『よくやったね、お疲れ様』と言われた氣がした。

「ほんとよくやったよ。疲れた。」

はぁ、と息を吐き、少しの間ぼーとした。トイレからでていくと、外で待っていた天が嬉しそうに話しかけた。

「さっき伊弉諾尊に『お疲れ様、ゆっくりしていきなさい』って言われた!」

あれ?私もさっき同じ事を言われたような…あ、あの声は伊弉諾尊だったのか。

「私もさっき同じこと言われたよ。」

と天に微笑み掛けた。

 神々の生みの親である伊弉諾尊、伊弉冉尊が祀られている伊弉諾神宮の社殿はまるで髭を生やしたお父さんといった貫禄と雄大さがあった。手を合わせると父の膝の上に抱かれているような温かさを感じた。実家のコタツでお父さんとみかんを食べているようなそんな感じ。温かいな。旅はまだ終わってはいないが、ここが終着点かのように恵子と天はゴールした喜びでしばらく境内でのんびりと過ごした。

 恵子が自撮りで撮った二人の記念写真には優しく笑う天が写っていた。その写真を見た天は「俺ってこんな風に笑えるようになったんだ」と言った。なぜそんな事を言ったのか、その時は分からなかったが、天の過去を知るうちにその理由がわかって行った。人には色んな過去がある。自分の人生だけでも大変なのに、過去生で生きた魂のやり残しを現世で昇華させていく旅が始まるだなんて、想いもしなかった。過去生、輪廻転生して生きている私の魂。次元上昇していくこれからの地球を救うライトワーカー。天さんと出会った事で覚醒し、思いがけず始まった神社巡りの旅を通して二人の魂は重なり合っていく。未来に向けて歩き出す。


『邪鬼』というものを恵子が知ったのは三重に帰って氏神の椿大神社に参拝した時だった。天之鈿女命が祀られている椿岸神社は恵子のお氣に入りの場所で、不思議といつも天之鈿女命に応援されていると感じることがあった。その為、天之鈿女命は自分の守護神と勝手に決めていた。そんな椿岸神社にお参りして時に天之鈿女命に言われた言葉を恵子は天に綴った。


「今日は天之鈿女命がお話があるとのことで椿さんに来ています。


癒しのエネルギーでございます。

参拝致しますと、上様の杉の木の土のエネルギーは邪氣ではなく邪鬼とのこと。

邪鬼とは、土に染み付いた、染み込んだ邪のエネルギーの化身みたいなもの。


『連れ込まれなくて良かったですね。あなたは光なので、光のもの(守護)に助けてもらって守られて、異変に氣付く事ができました。


連れ込まれそうになったのは、己への過信、光の使い手であるという驕り、自負からくるもので、その思い込みで邪鬼を呼び寄せ捕まりそうになりました。


故に己から撒いた種でもあります。


光の使い手であることに使命や責任を背負うのではなく、あくまでも楽しく役目を全うされたし。


その旨、お連れの方にもお伝え下さいませ。


あなた方は所詮、人なのです。感謝で心を満たし、驕り高ぶらず、役目を全うして下さい。


自分への過信が災いを招きます。その経験を致しましたね。


戦っておられたのは邪鬼ではなく、己の中の邪鬼であります。

その事にお氣づきなさい。さもすれば、身を滅ぼしかねます。


あなた方は所詮、人なのです。

人としての生きる喜びを存分に味わいされたし。


どうか、厳かに。』


とのことです。

ちなみに上様の邪鬼は、厄払いで落とされた厄が砂利や雨などを通して山に染み込んで出来たものらしく、故に土の中から這い出た蔓は人の念が作り出した物で、杉の木では無いようでした。

御神木は濡れ衣でしたm(_ _)m 」


 邪氣と邪鬼、どちらも「じゃき」だけど意味が違う。人の邪氣の塊、化身が邪鬼で、すなわちエゴの塊。私の自分への過信、いわゆる我欲(エゴ)が邪鬼(エゴ)を呼び寄せたと言うことだ。

 思い当たる節がある、私は神社を浄化できると奢りたかぶっていた。その過信が餌になったのだろう。神社に光を入れられるなんて、私ってすごい!ってどこかで思ってた。怖い思いもしたけれど、私は天さんと二人でこのお役目を続けたい。色んな所に旅をして色んな神社を巡りたい。光を回して神様のお役に立ちたい。だからこそ、所詮、人なのだから、驕り高ぶらずにいよう。

神様、お守り頂きありがとうございます。

心より感謝申し上げます。


『神恩感謝』

天は携帯のメモにそう書き込んだ。常に心に留めている言葉だ。神社参拝の折には神恩感謝、神羅万象すべてのものに感謝する。

『あなた方は所詮、人なのです』

恵子さんが教えてくれた天之鈿女命の言葉。肉体に縛られている人間は神様のような次元には行けないけれど、人には人にしか出来ない事があるはず。神社の結界の中にいる神様はその場所から動けない。だから人が神の光を持って運んでいく。それが光を回す仕事。時に光を降ろし、浄化する。そんな事をさせてもらえるなんて人間冥利に尽きる。


『陽気地上に発し雪氷とけて雨水となれば』

以前、晴明神社に行った時のメモが目に止まった。今回の件と繋がったと恵子さんにメッセージを送ろうとしたその瞬間、着信が鳴った。

『天さん!臨兵闘者皆陣烈在前がなんか氣になる!』

雪解けか…

恵子さんとの出会い、過去生の記憶、自分の覚醒。あれは始まりを表すメッセージだったのかもしれないな。


『繋がっているね、姫。』


そう、繋がっている。

二人は繋がっている。


魂の片割れの天と恵子の物語はまだ始まったばかりなのだ。

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天恵の剣(つるぎ) 葵未来 @aoi-mirai

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