アルベルト視点・下
「テイラー情報局長。不正の疑いを晴らすのも宮務局の仕事の一つなんですよ。ご協力いただけないとおっしゃるなら貴方のことも疑わなければならない」
「ほほう。確かに宮務局の管轄ではあるが、下っ端の君が内密で言ってきたということはまだ本腰をあげた捜査ではない、ということじゃないのかね」
君の独断という線もある、とテイラーは呟き紅茶に口をつけた。上品な香りと最上級の味にアルベルトの意気込みがうかがえる。
しかしこういった交渉において例えどんなに親しい間柄であっても最初から歩み寄るのは愚の骨頂。加えてテイラーの豊富な経験と鋭い感、そして手に入れている情報のすべてがこの男を警戒している。決して油断するつもりはない。
一瞬視線をそらしたアルベルトは目をつむり、頭を冷やす。相手のペースに飲まれてはいけない。
「いえ、これは一部の人間だけで極秘に動いている案件でして。なんせ相手はパール公爵家です。どこから情報が漏れるか分からない」
「そうだろうねぇ。よし、じゃあそういうことにしておこう」
アルベルトとテイラーは同時に足を組み替え、相手を睨めつけた。
「それで君は、私にどんな情報をくれるんだい」
「2番街の定食屋の看板娘ハルタ、彼女の生前の日記」
言い終わると同時に凄まじい圧が部屋を覆う。
「…………どこでそれを手に入れた」
テイラーは拳み握りしめ、数段低くなった声を隠しもせずそう問う。その反応を見て交渉の結末を確信したアルベルトは慎重に言葉を選びながら応えた。
「彼女が死ぬ前に、直接渡されました。どうか役立ててほしいと」
「っなぜ! なぜ私ではない!? お前とハルタになんの関係が……」
ハルタは、テイラーにとって娘のような存在であった。毎日通っていた定食屋に生まれた愛くるしい子供。小さい頃から成長を見守り、時に叱りもしたしおねだりを聞いたこともあった。店主が早くに亡くなってからは援助もし、立派に育て上げたつもりだった。
しかし気づけばハルタは恋愛にうつつを抜かすようになり、金遣いが荒くなり、母親に泣きつかれたテイラーが話をしにいってからは隠れて会うようになってしまった。
所詮下町の平民の恋愛だ。テイラーがいつも相手している各国の王族や貴族、天才たちとは全く違う。だからテイラーはその恋愛相手について調べるようなことはせず、またその後についても忙しさを理由に確認していなかった。
自分が一度戒めれば、それで終わる問題だと思っていた。
それからすぐ、ハルタは情緒不安定になり行方不明になった。その時テイラーは隣国との情報戦に勝利したばかりで、久しぶりの休暇を思う存分寝て過ごし、気づけば2日経っていた。
その翌日。ハルタが消えて3日後に、テイラーは彼女の死体を見つけた。死後3時間。探し始めてすぐ、真っ先に家出先として挙げたテイラーの別荘がある街で、彼女は馬車に轢かれた無残な姿で見つかった。
自分がもっと真剣に調べていれば。ハルタの話をきちんと聞いていれば。様子を気にかけていれば。のんきに睡眠などとっていなければ。彼女のもとに、すぐに向かっていれば。
証言によれば、ハルタは子供をかばって轢かれたそうだ。事故だったのだろう。実際そう処理されたし、テイラーもそう信じている。
でも、死ぬその瞬間一瞬でも、ハルタの頭の中に安堵はなかったのか。何としても生きようという気持ちがあったのか。そう少しでも考えてしまうと、どうしても落ち着かなかった。
その後調べてみると、ハルタの相手がサルウェン・パールだということも、彼が多くの女性と同時に関係を持っていることも、すぐに分かった。
日頃から情報を手足のように扱うテイラーにとって、本当に一瞬で終わることだったのだ。そのたったひと手間を惜しんだことが、そんなことをした、いや、そんなことすらしなかった自分を、テイラーはずっと許せない。
「ハルタとは、サルウェンを追っていて出会いました。すぐに彼女も被害者の一人だと分かって、声をかけましたが相手にされず。……彼女が死ぬ前日、突然連絡があったんです。渡したいものがあると」
俯いて微動だにしないテイラーを前に、重い口を動かす。ここが正念場だ。どうか届いてくれ、どうか、伝わってくれ。
「彼女は諦めていませんでした。彼女は生きるのを諦めていなかった。自分を騙して捨てたサルウェンに一報報いてやりたいと、そう強く感じていた。だから、日記を預けてくれたんです。サルウェンを追い詰める証拠の一つとして、どうか役立てて欲しいと」
あの時のハルタの瞳を思い出す。とても意志の強い、生き生きとした瞳だった。一度は確かに絶望し、死を望んだかもしれない。でも彼女は立ち上がったのだ。呼吸をし、酸素を回し、頭を働かせ、どうすれば状況が改善するか考えた。
そのあり方はそう、彼女を育てた伝説の男のあり方と、とてもよく似ている。
「ハルタは、貴方を尊敬していた。サルウェンを告発するために力を貸していただけませんか」
少しぬるくなってしまった紅茶を勢いよく飲み干しテイラーは立ち上がる。
「アルベルトくん、まずは日記をいただこう。確認しないことには何とも言えん」
「もちろんです。こちらに」
この日記はレイチェルには見せていない。他と特に変わりはないが、何かの拍子に筆者が亡くなっていると知ったら落ち込んでしまうだろうし、交渉に使えるとふんでいたからだ。
よし、これで明日は大丈夫だろう。きっとレイチェルも褒めてくれる。
目的を達成したアルベルトは一瞬緩んだ口元を隠そうと紅茶に口をつける。
この日のために用意した茶葉は、既にその香りを薄め当初の役割を終えてしまっていた。
「では私はこれにて失礼するよ」
テイラーは微笑みを浮かべながら立ち去る準備を始める。
「テイラー情報局長、明日はどうぞよろしくお願いします」
アルベルトは急いで立ち上がり礼を尽くした。
「明日…かね?はて、何のことやら」
「……!?」
まじまじと顔を見上げると、テイラーは大きくため息をつき首を振っていた。
「ハァ……まだ若いねぇ。ハルタのことを調べたのなら、私が今何をしているかも調べるべきだ」
かろうじて部屋に差し込んでいた光が消えていく。もう、日没だ。
「サルウェン・パールの不正の証拠は既に掴んでいる。あまり私を見くびらないで欲しいものだね」
閉じられた扉を前に、アルベルトは立ち尽くす。この、成功とも失敗とも言えない虚無感。先ほどまで感じていた達成感は綺麗さっぱり消えてしまっていた。
日記を読んでハルタとテイラーの関係を知ったとき確実に落とせると思った。事情を知っていても知らなくても、喉から手が出るほど欲しいだろうと。
実際その予想は当たっていたし、テイラーの言葉が本当ならレイチェルが何もしなくてもサルウェンは時期に地位を失うはずだ。
しかし、何とも言えない敗北感がアルベルトを襲う。ハルタの名前を出した時の動揺は本物だったのか? アルベルトが日記を持っていることを本当に知らなかったのか?
テイラーはまるで全てを見通しているかのようだった。自分とは違う、年季の入った駆け引き。アルベルトの無邪気な自信など一瞬で打ち砕く力が彼にはあった。
大きくため息をつきながら乱暴に部屋をあとにする。
バーに降りると、暗闇に包まれた隠し部屋からほのかに紅茶の匂いが漂っていた。
◆◇◆◇
ココまで読んでいただきありがとうございます!大変申し訳ございませんが、現在更新停止中です。カクヨムコンに参加しております。落ち着いたら再開予定です。よろしくお願いいたします。
ジコチューな関係 いふの @ifuno
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