チュー......?

「レイチェル、大丈夫か? すごく赤い」


 心配そうにのぞき込んでくるからさらに縮こまる。どうしよう、猛烈に恥ずかしい。

 利用してやろうと思ってきたのに。いきなりあんな、急にグイグイこられても困るっていうか...恥ずかしい!!


「こ、こっち来ないで。ちょっと黙ってて!」

「そうか、分かった」


 なんだかいつもより声が甘い気がして、恐る恐る顔を確認する。う、とても穏やかな表情。まるでこの世の真理にたどり着いたかのような。辞めて、その目をこっちに向けないで......!


 はあ、落ち着こう。アルベルトが私のことを好きなのはよくわかった。あまりにも衝撃が大きすぎて直前の会話が思い出せない。まずなんの話しをしてたんだっけ?


「ねぇ、私たちなんの話しを」


 ん? と優しげに微笑まれて喉が詰まる。そんな顔今までしてなかった! どこに隠してたんだその顔! あーもう話が進まないじゃない!


「お願いだから前みたいにして。それか後ろを向いておいて!」

「しかたない。もう今までみたいに接することは出来なさそうだから、大人しく後ろをむくよ」


 ふう。これでやっと話が出来る。あ、そうだ、サルウェンのことで協力してもらいに来たんだった。で、それはOKもらって、私が勝手に辞めようとしたところね。よし把握。


「んんっ。とりあえず貴方のことは置いておいて、サルウェンのことなんだけど。慰謝料とかを取り下げてくれたらそれで良しにする。追い詰めたい訳じゃないから」

「そんなのでいいのか? アイツのやってる事全部バラせば逆に慰謝料ふんだくれるぞ」

「いいの。私も責任を感じてるし」

「責任......?」


 あ、ちょっと、振り向かない約束だったのに!

 探るような目で顔を見つめられ、なんだか言い訳じみた言葉を口に出す。


「だ、だって私、あんまり彼と向き合ってなかったし。そのせいも多少はあるのかなって」

「君の優しい夢を壊すようであまり言いたくないがサルウェンは昔から女にだらしなかった。そんなやつが君と婚約して、当時は相当焦ったな」


 そ、そうだったの。じゃあ、私のせいじゃない......? 仕事も、よく考えたら別に関係ないか。彼元々少し頭弱かったし。あ、だから箱入りだと思ったんだ。大事に育てられてきたんだろうなぁって。


 じゃあ、遠慮する必要ないよね。


「よし! アルベルト、私に協力して。サルウェンをコテンパンにする!!」

「分かった」


 そっちの方が君らしいよ、と安心したように呟く姿に思わず目を伏せる。コイツ私の事相当好きなんじゃ......!


「そうと決まれば証拠だな。実は俺も少し持ってるんだ。待っててくれ」

「え、うん」


 有能すぎる。まさかこうなることを見越して......それか私とサルウェンが結婚する直前に全部バラして破談にしようと暗躍を......いやいや、そんなわけないか。まさかね。


「これ。俺の同僚に平民出身のやつがいてな。そいつの幼なじみがサルウェンに散々弄ばれたんだと。その日々を綴った日記だ」


 恐る恐る、開いてみる。一体どんな酷いことが書かれているのか。

 要約すると、サルウェンは本当に最低なやつだった。最初は町娘の何気ない日常と時々話しかけてくる貴族男性との甘酸っぱい話が続き、途中で見事結ばれる。そして彼に色んな世界を教えて貰って高級品や贅沢にすっかり慣れ、そろそろ結婚かという時。突然別れを突きつけられる。実は婚約者がいて、信じられないくらい高貴な身の上で、バレたら慰謝料がとんでもなくて。やり場のない怒りと後悔、少しの彼への期待、そして絶望。最後は涙のあとともに彼への愛が書かれていた。


 たぶんサルウェンは彼女に飽きたんだろう。だから切る事にした。自分が恨まれないよう上手く立ち回って、贅沢にならしたあと消えることで彼女の生活が荒れるよう仕向け他のこと復讐に考えが及ばないようにして。小賢しいやつ。


「でも、これじゃあ大した傷にならない。所詮相手は平民と一笑されるだけ」

「そうだな。だが、それが何十にもあればどうだ? 中にはもっと酷いものもある」

「うーん。やっぱり王宮のメイドも抱き込んだ方がいいよね。日記と一応貴族であるメイドの証言があればいけるんじゃないかな」


 嬉しそうに「君のそのとことん詰めるやり方、俺は好きだぞ」とか何とか抜かす男は置いておいて、真面目に話し合いを進める。あ、ちょっと、顔を覗き込むな!


「重要なのはアイツの仕事に関する不正だな」

「それは決定的証拠だよね。その様子を上司に覗かせれば完璧」

「しかし、その方法がな。さすがに見張りを立ててるし、上司のスケジュールも確認してるだろう」


 確かにそうだ。見張りの気を引ける何かがないと。ソファーに身体を沈めて思考に浸る。

 その時、ちょうどお昼の鐘が鳴った。


 ボーン ボーン ボーン


「ねぇ。その見張りって彼の護衛騎士のこと? 昨日王宮に行った時、てっきり仕事部屋にいると思っていたサルウェンが庭園にいてびっくりしたのよね。騎士は部屋の前にいたから」

「ああ、そういえば騎士だったな」

「つまり彼は騎士でカモフラージュしながら度々抜け出してて、その間の仕事を代わりにやらせてるってことじゃ」


 あまりにも突拍子もない話に口に出しながら私自身も驚愕する。まさか護衛騎士をそんな使い方するとは普通では考えられない。でも仕事中のはずの時間にメイドと密会していたのは事実。


「驚いたな。まさか本人不在だったとは。じゃああの時聞こえた怒鳴り声は残ってた側近のものか」

「なんて言ってたの?」

「今日中に終わらせろとか、俺は忙しいからそんな仕事やる暇はないとか」

「あ、じゃあサルウェンが側近に押し付けた仕事を側近がそのまた下の部下に押し付けてるんじゃない?」


 言った後に妙にしっくり来て、コレだと確信した。上司が上司なら部下も部下。通りでサルウェンが改心しないわけだ。


「ということは部下に仕事を押し付けたことによって起きた機密事項漏洩や秘匿資料閲覧に関してアイツは把握しきれてない可能性もあるな。もう少し詳しく探っておくよ」

「よし。じゃあ作戦としては、私が今回の婚約破棄について騒ぎ立てて騎士を引き付けてる隙にアルベルトが上官を秘密裏に案内、目撃させる。メイドの件に関しては1人確実な子を知ってるからそこから崩してみる。いつが都合良い?」

「3日後ならいける。それでいこう」


 どうにか1週間以内には決着を付けたい。婚約破棄の正式な発表が多分その頃だから、その後すぐに証拠付きで反論、名誉挽回していくのが理想。


「ところで、だ」

「ん?」


 気づいたら、隣にアルベルトが座っていた。さっきまで向かいに座っていたはずなのに、今は彼の顔がすぐそばにある。アルベルトの身体が光をさえぎり表情がうかがえなかった。


「俺に、何かお礼があるんだろう?」


 低い声が耳に届く。驚いて顔を上げると、その瞳がまるで全てを見透かしているようで思わず息をのんだ。


「君のために、少しばかり骨を折っているんだからな」


 指が、私のくちびるをゆっくりと、優しく撫でる。その瞬間、全身が電流が走ったかのような感覚に襲われ思わず目を閉じた。くちびるから頬へと指が移動する度、肌が彼の温もりに敏感に反応していく。何か言わなきゃいけないのに、言葉が出てこない。


「俺にご褒美はないのか」


 甘く囁く声に胸が高鳴り、呼吸が浅くなる。全身の力が抜けそうになると、アルベルトは優しく私を抱き寄せた。背中に触れる手がゆっくりと上下に動く。その温かさが、安心感と共に妙な緊張を引き起こした。


「俺は自己中だから、君から何も貰えないと協力する気になれないかもしれない」


 彼の言葉に反論しようとしたが、心臓が早鐘を打って声が出ない。キスをするくらい、問題ないはずだったのに。アルベルトが開き直ってからずっとペースが乱されている。


 でも、私は彼を利用しているのだ。きちんと報酬は渡さないと。渡せるものなんて、キスくらいしか...


「......まぁ、今日はここまでにしておくか」


 ふっと身体が軽くなり恐る恐る目を開けると、アルベルトはもう向かいのソファーに戻っていた。ひどく満足気な笑みを浮かべている。


「ど、どういう......」

「まさか、キスを期待してたのか? 積極的だな」


 からかうように笑われ、顔が燃えるように熱くなる。恥ずかしさと悔しさで上手く言葉が出てこない。


「も、もう帰るから!」


 そう捨て台詞を残して、逃げるようにクリソプレーズ侯爵家を飛び出した。馬車の中で膝をかかえる。


「なんでちょっとガッカリしてるの、私......っ」


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