前夜-Ⅱ-ⅱ 可憐な者には気安く
吹き抜けに張りだした二階廊下の手すりから、シグくんが顔出すと同時に腕を振る。
キラリと光る赤いナニカが飛んできて、アルバの頭からパン生地みたくみよーんと伸びた黒ダンゴが器用に受け取る。キモカワイイ虫みたいな小瓶。香水のプレゼント? いいわねぇー。
「グレイからだよ。マルタは昨日頭からかぶったからすぐに必要はないかもだけど、一応ね。気分が悪いときは目に垂らすんだ。飲んじゃダメだよ?」
なーんだ、グレイのコビ売りかぁ。キモいわけよねぇ。
しかも
さすがにただの乾き目対策ってことだけはなさそう。気分の悪いときにって引っかかるわね。意外にレイスツールの光が目に優しくないとか?
んん? ちょい待って。アルバが頭からかぶったって、アルバを昏倒させたあの液体?
そうよ、そもそもあのアルバよ。この薬師の至宝カウフマンが持てるすべてを注いで盛りつくしてもウンともスンともウフンアハンとも言わなかったあのアルバが秒でスヤリよ。そんなあっていいはずのない代物を、あの小汚いチンクシャが原液で持ってる?
そういや今朝起きた部屋の隅にもこれと同じ赤い小瓶が積まれてたわ。あの変態じみた部屋がグレイのだとして、薬を薄めてただ詰めるだけの内職じゃ変態らしくないわよね。机の上の蒸留装置に、薄気味悪い本棚……まさかね。
いやんもぅ、シグくんたら言葉足らずっ。でももう行っちゃったか。
正直アルバに飲んでみてほしいけど、そういうことに関しちゃ黒ダンゴたちがヘマしない。個体に見えて実は液体みたいな体の中に小瓶ごと仕舞いこんで、たぶんあれ永遠に出てこないんじゃないかしら。それでも連中は平気だろうし。
ぬわー、もういいわ。気になるのには職業柄のせいもあるけど、ここでずっと
ほら、近づいてくる。右手廊下の奥から、たしたしと軽快な駆け足で。シグくんじゃあない。いくら身ごなし軽やかだって、あの長身でこう愛らしくはいかないわ。
はろー、こぐまちゃん。
あん、やっだー! やっぱせっかちってよくないわん。この子に会うためにあたしここでグズグズしてたに違いないんだから!
見てよ、あの遠目にも紅茶色とわかるクリクリおめめ。
ほらおいで、こぐまちゃん? カウフマンの神秘の手のひらで全身ぽかぽかにしてあげる。怖がらなくていいわ。どうしたの? ホールの手前まで来たのに急に立ち止まったりなんかして。
この子はアルバよ。アルバ。あなたよりちょっとはお姉さんみたいね。食いしん坊だけど、こぐまちゃんを取って食ったりなんかしないわ。どっちかっちゅーとあたしのほうがふたりまとめて食っちゃいたいってアッハッハ! やっだもうなに言ってんのよフレイディア? 今のは聞かなかったことにして? 美しい出会いと人生の甘さに感激してお口が言うこと聞かなくなっちゃってるの。せっかくだから〝めっ〟してくれないかしら? おクティに。んちゅ。
「リオ様っ、待って、待ってください! お部屋はそっちじゃ――」
続いて金髪美少女襲来!!
ポゥヮーッッッ! なんつーことぉ!?
こういうの誰に感謝すればいいのかしら? 自分? 日頃の行い?
こぐまちゃんのあとを追って金髪美少女が飛びだしてきたわーんっ!
本当にきれいな子よ。ちょぉっと細身だけど、肌を見せれば絶対最高!
美術品みたいにくびれた腰、愛らしくて形のいいお胸。
地味で野暮ったいエプロンドレスなんかもったいないわー。長い足にゴツいブーツもないわー。そのダッサいふたつ結びもほどいちゃったほうが色っぽいわよ? それで今日からあなたもカウフマンちの子!
「はぁ、やっと追いつい……って誰!?」
あなたのパパ兼ママのカウフマンよ。こっちのお人形ちゃんがアルバ。
はじめまして、あたしのこじかちゃん。さがり眉なのね。寝不足みたいに充血気味なのが気になるけど、物憂げな白いお顔に
「こ、ここは西孔長、スェード様のご私邸です。勝手に入ってこられては……」
マジメな子なのねぇー。いいわ、もっといいわ、清純なあなた。つれないところもいいけど、あたしたち家族なんだから教え合いましょうよ? その曇りなく透きとおるお肌とひとつながりの濃くてかぐわしいところまで洗いざらい。こぐまちゃんだって知りたいわよねぇ、カウフマン家の一員として。西孔長だか絶好調だか知らないけど、この屋敷をあたしたちの匂いの沁みついた花園にしちゃいましょう? 乗っ取りよーんっ!
「御用なら、孔庁舎のほうに……え、リオ様?」
ほぅら、おいでこぐまちゃん。ようやく近づいてくる気になったわね?
裸足でぺたぺた。リオってお名前なのね。お口に含みたくなるぐらいさわやかで可愛らしい響き。やっぱりアルバが気になるのね? お顔が触れそうな距離まで迫って、アルバの口もとに鼻を寄せてすんすん……あらららららららら、もしかして今すっげぇイイモノ見てる? ほぅら、リオちゃん、もう一声! ペロッて、ほらペロペロちゅって!
「だ、だめですリオ様ッ! 知らない人に!」
アーッ惜しい! こじかちゃんの手が伸びてきたところでリオちゃん、アルバのわきをすり抜けちゃった。ついでにアルバの手をつかまえて走りだす。走りだす?
「えっ……え、え? リオ様!?」
来たのと同じ向きに反対の廊下へ一目散に飛びこむあたしのリオちゃん、と、引かれるがままついてくあたしのアルバ。ちっちゃなふたりがまさかのカケオチ逃避行。アルバより読めない子が登場するのはさすがに予想外。どこ行くのーぉ?
「どっ、どこへ行かれるんですかリオ様!? あ、あのっ、ちょっと!?」
「どうしたんだい、ティト?」
やぁんシグきゅん、お早いおかえりぃン。そんなにあたしがほっとけなかった?
「し、師匠!? いいいいらしてたんですかっ?」
いらしてたのよぉ。こじかちゃんってすぐ慌ててかーわいっ。ってか師匠ってなぁに?
「うん。兄さんを探してるんだけど、見つからなくて。ティトも取りこみ中かな?」
「や、いぇ、ひょの……」慌てすぎてひょろひょろになっちゃうとこもかーわいっ。こじかちゃんのお名前はティトね。あたし絶対忘れない。四六時中あなたのこと考えるわ。心で名前を呼ぶたび頭の中のあなたが誰にも見せたことのない顔で振り向いて誰も知らない声でしきりに「い、今ここに見知らぬ方がいらしたのですが、リオ様が、連れていってしまって……」
「リオが彼女を?」
「彼女……師匠が連れてこられたのですか? 髪も肌も真っ黒の……」
「そう、その人。そっか、リオがね……」
「あああのっ! 申しわけありません! てっきり無断で入りこんだ方だと思い、じぶんは、し、失礼な態度をッ。今すぐ探してきますのでっ……!」
「待って、ティト。心配いらないよ。リオと彼女の組み合わせならね。先に兄さんを見つけるのを手伝ってくれないかな? 屋敷にはいるんだろ?」
ほほ笑みかけてごく自然に手を出すシグくん。ティトちゃんのおめめは大きくまんまるになったあとすぐに泳いだ。嫌がってるわけじゃないけど逃げたそうなお顔。もちろん逃げられる。でも逃げられなくて、聞かれたことに「は、はい……」って答えてからおずおずとシグくんの手に指を乗せた。もったいつけないシグくんにはササッと握り返されたのに、金の髪から覗くちっちゃなお耳はもう真っ赤。うつむいたまま連れてかれちゃったけど、あれ前見えてんのかしら。
プワァァー。やるわね、シグくん。今のは完ッ全にワルいオトコの動きよ。意外性ってやつ? あたしが見こんだだけあるわ。師弟のイケナイ関係ねぇ。だいたいなんの師匠なの? なんの手ほどき受けてるの? 人探しの名目で人けのない部屋に連れこまれておさらいの時間が始まったりするかしら。プッホーゥッ、気になるゥー!
でもちっちゃいダブルもおっかけなくちゃダメよねぇ。あのリオって子もおめめが気になってしょうがないの。ぶっちゃけアルバとおんなじ目をしてるのよ。あれに出会ったのは、生きてるうちではアルバが最初で最後だった。
つまり? あのふたりはね、超お似合いってこと!
当人たちにしかわからないつながりを感じ取って、人けのない部屋で無知と好奇心が許すまま歯止めなきお勉強会が始まってってやっばぁぁーい! いけませんんんんーっ! フレドママの目の届く場所でしか許しませンンンンンンッッッ!!
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