前夜-Ⅱ-ⅰ 憂いに益体なしと説き
あるいは、
この世で一番怖いものは――と訊かれたら、今時分は誰もがそれと答えるわよね。
自殺教会の忘れ形見。ひり放たれし腐れ経典の最後っ屁。
街から街へと渡りながら、街ごとに≪
≪聖絶≫ってのは要するに
死ねば死ぬほど豊かになるって、二百年言いふらして世を導いてきた自殺教会こと『
そこから季節はおよそ七巡。
いまだにみんな、そのおそろしげな怪物の影におびえつづけてる。実際、街って単位で街がじわじわ消えつづけてるわね。
だからって街ごと穴倉へ引きこもるまで行くのは、どうかしてるとしか思えないけどね。
「誰も赫鬼を見たことはないんだよねぇ」
ほんのり物憂げに話すのはシグくん。引きこもりの街ベトザニヤの今について、〝引きこもる前に出ていって戻ってきた
「見た人は生き残らない、が真実かな? こっちが見つかったらおしまいなのに、向こうは見つけようがない。だから、街が地底に移ったことは絶対に秘密。漏れたら拒みようもないから、交易も全面禁止。四人いる
地上にあった頃の街の名はトザニヤですって。商売で食ってた人たちが結構いたみたい。
西孔の住人は主にそういう人たちの集まり。外から仕入れができないんじゃ当然カツカツ。だから西のうら若き孔長さまは交易禁止の緩和が公約。目下空席中の全孔市長の担い手にも名乗り出てるとか。要は、地の底の街も一枚岩の下じゃあないって話ね。
で、その西孔長さまが『兄さん』。シグくんの。名前がスェード。
スェードよ。ほら、あたしの雇い主の取り引き相手。財宝抱えて
クズよ。慈善なわけないでしょ。どころか、まっとうな取り引きのはずさえないんだから。要は交易封鎖派の東南北に勝ち目がないから、間者雇ってこっそりよその大富豪たらしこんで回ってるわけでしょ? やりようがあるなんて大嘘もいいとこ。既成事実と影響力を育てて愚直に切り崩そうって魂胆よ。
おまけに聞いたわ。人買いもするんですって。あたしですらやったことないわよ、ヒトに値札をつける真似は。買わなくたってみんな仲良くしてくれたし。ちょっとイイモノを見返りにあげたりしたけどね。
とにかく、ベトザニヤの西孔長さまは若くてきれいな子を買いあさって、釣れたお客様に流してるって寸法。ベトザニヤに連れてきた富豪どもには、自分が市長になるまでは騒がれないよう隠れててもらわないといけないから――ってのはまだ証拠もないウワサらしいけど、実物見たあたしに言わせりゃドンピシャよ。幼馴染が消えたー、ってあのグレイも嗅いで回ってるみたい。ウワサが本当ならもう取り返しても、グレイが知ってるその子じゃなくなってるだろうけど。
そのいなせな西孔長様のおうちのある敷地、広いわねぇー。
西孔の街は大きくてまんまるな地底湖に沿って三日月みたくなってるんだけど、二割くらいスェードくんちなんじゃないかしら。
ただ、敷地の広さのわりに真ん中のお屋敷はちょこんとしてる。もちろん豪邸は豪邸よ。横に長い
ま、お日様の届かない街で草木が育てるってのはちょっと難しそうだけど。キノコは今お日様の色に光ってるけど、この〝お日様〟で育つのは同じキノコと
ちなみにこのお日様色の
緊張? してないわよ。
この百戦錬磨の
そりゃあね、ここはあたしの死地だわね。昨日ここで死んじまったんだわ。
北孔からの細い横穴を抜けて、この街を見おろした瞬間ハッキリ思い出したもの。間違いなく同じモノよ。意識が途切れるまでに、実体のある眼球を通して最後に見た景色と。
ここで死んだ。ここで殺された。だからなに?
わかってたわけじゃないわよ、ここで終わりだなんて。むしろ自分は永遠に死なないような根拠のない予感の中で生きてたわ。めずらしくもない、死んでみなくちゃ自分がバカかどうかもわからないそこらのボンクラとおんなじように。
だからっていちいちビビッてちゃ、オネエがすたるってもんなのよ。あたしはあたしのかわゆいオセちんの身になにが起きたのかを突きとめに来ただけ。あの本物のビビりのオセちんが、右も左も知らない地底の街の細い横穴を自力で通って北孔のシグくんにお手紙を届けるなんてありえない話。そのオセちんが地底湖に身投げして、グレイたちがさらってみてもあたしが飛び回っても結局影のようなものさえ見つからなかった。あの巨体が? あたしっていつの間にか好きなように飛べるようになってんのよ? それをはしゃぐ隙さえ逃したわ。ありえないだらけでね。
あと、いくらシグくんが
ほらねー? あたしって働きモノでしょーん?
やーもう、死んでまで無駄なことしたかないのよ。どんだけトチ狂った殺人鬼だろうと、死人に手出しはできないじゃない。ビビるのも恨むのもムッダ。怨念で自分すり減らすなんてアホでしょう?
あらん、どこ行ったのシグくん? あっ、もう玄関前にいる。
スェードとは腹違いらしいけど、勝手知ったるご実家よね。それで反スェード派の拠点みたいな北孔食堂にも出入りするシグくんってマジナニモノ? 過激派のグレイともだいぶお友達みたいだし。むしろスェードのほうが情報漏らされても困らないって自信過剰の太っ腹なのかしら。まさか街ひとつまるごとかくれんぼをやってのけた偉大な先代市長様のご子息が、ふたりそろって頭ン中ぽやんぽやんってこたぁないでしょうに。
「あっちの突き当たりに、暖炉とソファのある部屋があるんだ。兄さんを探してくるから、マルタはそこでくつろいでてよ」
ノックもしないで玄関扉をあけるや否や、アルバに言い置いて、自分は中央ホールのおっきな階段に向かうシグくん。いきなり別行動? あっちってどっち? シグくんってば平気で足早。だだっ広いホールにアルバは置き去り。ちゃんと聞いてませんでしたって顔で吹き抜けを見あげたまま、あっちにもどっちにも行きやしない。ぽやんぽやん。
「忘れてた。マルタ、これっ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます