前夜-Ⅰ-ⅳ 人を馴らすに獣を馴らし


 ぽこんと、こぶし大のまんまるな胴体からコブ状の突起が生える。コブはみるみる大きくなって、胴体と同じくらいまで育ったところでプツンともげた。グレイとアルバのちょうどあいだにそれが着地して、真上に黒豆みたいな目が浮き出る。


「う、わっ」


 慌ててのけぞるグレイ。そのつま先で、新品黒ダンゴの真上にまたもコブ。ふくらんだコブからもさらにコブ。

 まんまる黒ダンゴが十段重ねになって、全部に一斉に黒目が覗く。グレイはのけぞりすぎて尻もち。ダンゴは節目でプチプチちぎれて、グレイを取り囲むように降りそそぐ。

 着地してからもはやし立てるかおどかすみたいにぴょこんぴょこんされて、勝ち気なグレイも頭真っ白でしょうね。跳ねまわる黒ダンゴたちから目を離せなくてキョロキョロキョロ。


「ダメだよ、グレイ。マルタは昔から寝起きが弱いんだ。旅疲れも溜まってるだろうし」

「お、おぉ……」


 動揺しすぎで上の空。正直ちょっといい気味よ。本題忘れてるけど。


「ごめんねマルタ、いろいろといきなりで。ぼくがわかる? 昨日のことは覚えてる?」


 やさしく問いかけるシグくん。せっかくならあたしにして? だってアルバの無反応はやさしいやさしくないは関係ないんだもの。ま、だから否定もされないけど。


「む……無視されてねえか!?」

「急かすのもダメだよ。昨日の陽清ようせいが抜けきってないのかもしれないし、それに――」




 ぐるゅぅぅぅぅうぅぅぅっうぅぅ~。




 あ。


 ハーイみんな、おつかれぇー。今日はこれでおしまいよぉー。


 って言わなくてもそんな空気になるのよね、この悪目立ちする音が鳴りだすと。おんなじことを旅のあいだに眠れなくなるまで味わわされたわ。誰のお腹の音かなんてもう確かめるまでもないくらいに。


「……ま、腹が減ってるんじゃあ、しょうがないやね」


 みんなが一様に黙りこむ中、見かねた気配がぼそりとひとこと。

 カウンターの中にずっと立ってた、ひとつ結びのかわいいおねーさん。口から離して持ってた煙管キセルをくわえ直してまたひとい。煙を口に含むようにしてから、すました顔で目線をアルバに。


「正体はどうあれ、ひとまずうちの招待客だ。朝メシはどうだい、花嫁さん?」


 おねーさんのすぐうしろでたま暖簾のれんが揺れる。

 しゃらりとかき分けて出てきたのは、痩せた細い目の垢抜けたおじさま。スラリと背が高くって、茶色い口ひげがチャーミング。湯気のたつお皿を片手に乗せて。


 アルバは質問には答えない。けど、金色の目はまっすぐお皿に向くわよね。

 おいでとも言われてないのに歩いていって、カウンター越しにおじさまの前に立つ。うしろについてきたシグきゅんがニコニコした顔で椅子を引く。引かれればアルバも座る。促されると断らない。結婚しよって言われたらしちゃうのかも。


「待てって、おふくろ! おやじまで! コイツのためにメシ作ってたのかよ!?」


 あら、戻ってくるの早いわね、グレイ。頭に黒ダンゴへばりついてるけどものともしないで、おじさまが降ろしかけたお皿を横から身を乗り出してかすめ取る。いい動きだわ。最後の望みがあんただなんてねぇ。

 ってちょっと待ちなさい。あんたこのおじさまとおねーさんからできてるっつった? この食堂あんたんち? ふたりともそこそこタッパあるわよ? 歳の差ありそうだけど清潔感もあってお似合いよ? どんな作り方したらあんたが出るの? 誰か知ってる?


「ヤイヤイうるさいね。あんたたちの朝メシだったに決まってるじゃないか。お客が起きたからそっちが先になったってだけ」

「客じゃねえだろ!?」

「ンなこたぁ、腹いっぱいにしてから考えりゃいーの」


 あらおねーさん、オトコ前。だてにハラの中からかんしゃく持ちでヘソの緒引きまわしながら蹴りたぐってくるのもこらえ切って慈悲深くひり出しちゃいないって感じ? あんたみたいな人はずっと尊敬してるわ。お客じゃないのが残念。

 ただねぇー、腹いっぱいになったところで、アルバって変わんないのよね。

 だいいちいつになったら腹いっぱいになるのかわかんないわよ? あげたらあげただけ食べちゃうくせして、ちっちゃなお口で食べるのっそいからいつまでーも食べてるし。それが自分で嫌になったりもしないみたい。ようやく食べきってもすーぐまたおなか鳴りはじめるし。


「マルタ。はい、あーん」


 あーん! そうこうしてるうちにシグきゅんが介助おっぱじめてるし!

 ニブチングレイが自分の手からお皿が消えてるの気づいてギョッとしてる顔なんかもうどーでもいーわ! 見てよ、あのかいがいしさ。死に別れるまで添い遂げる幸せな未来のことしか頭にございませんってまなざし。

 あれは黒ダンゴどもも敵視しないわ。全力で大事にしてくれそうだもの。このまま誰もなにも言わなきゃアルバが新しい人生歩きはじめるのも時間の問題よ。わかってる?


 わかっててもついに誰もなにも言えない空気ね。あたしがいない世界なんてどうせこの程度よ。でもまだツキはあるほうだわ。なんだか外が騒がしいんだもの、さっきから。

 一度外を見たときの感じだと、目覚めてる家もまばらな早朝の雰囲気だったわね。でも街が起きだしたにしては異様なざわつき。自警団長さんとグレイのパパさまも顔を見合わせてた。


「デュロックさん! あけてくれ!」


 不意に外からの声。声の向きがこの食堂。

 そのすぐあと、入り口にドンッと派手な衝撃。そっちの壁ぎわにいた若い子たちがギクッと振り向く。さらにもう一回ドンッ。


「外せ!」


 自警団長さんの一喝。グレイに負けず劣らず――負けないグレイがおかしいのよ――出すべきときには場を締めあげるような声で指示。ビビってた若い子たちが顔は青いままキビキビ動いてかんぬきを外す。

 途端、両びらきの扉が外から押されて、白い藁山わらやまみたいなものが飛びこんできた。


 ブフブフと荒い息息づかいを響かせる藁山よ。

 フサフサの体から生えてるのは、太い四本脚とねじれた二本ヅノ。その両ヅノから色とりどりの巻き紐が垂れてるせいでいっそうド迫力。ツノ以外は全部毛むくじゃらで、あいかわらずどこか目だか耳だかわかりゃしない。


「ぐ、毛長牛グー……か?」


 押しかけてきたのがうしと知って、ついさっき頼もしかった自警団長さんもうろたえ切ってた。

 毛長牛グー自体はこのへんでもめずらしくはないでしょう? けど、こんなに興奮してる姿は滅多に見ないはず。

 特にこの子はとびきり内気。ツノを触られるのは嫌がるものなのに、この子はおとなしく紐を巻かせてくれた。おかげでいつも同族の誰にも負けない色鮮やかさ。自分事以外じゃ数少ないあたしの自慢。


「なんだってんだ、いったい……」

「あっ! こいつ、ゆうべの!」


 グレイは気がついたみたい。昨日の現場に居合わせたのなら、あたしのこのステキな相棒ちゃんを見てないはずがないんだもの。


 名前はオセ。新しい紐を巻いてあげればむしろ喜ぶおませなオシャレちゃん。五歳のオトコのコ。童貞。

 ふたりしていろんな街へ行ったわ。彼の仕事はもっぱら荷運びだったけど、時々無邪気なお子様を乗せてあげるとうれしそうに体を揺らしてた。もてなし上手の人気者。あたしとも馬が合ったわね。牛なのに。

 あぁ、なのにごめんなさい、ひとりで置いてくなんて。あたしは本当にイケナイ相棒よ。遊んでくれた子供とふたりきりでお話ししたいからって、あたしが井戸端や納屋に繋いで放りだすたび悲しそうにブウブウうなってた。そのときだって、こんなに怒ってはなかったわよね?


「外から来た隊商キャラバンのもんか?」

「だと思う……けど、西孔から自分でここまで?」

「待て」


 オセに近づこうとしたグレイを自警団長さんが引き留めた。代わりに立ちあがって、自分の手を前に出す。オセは興奮はしてるけど暴れてない。団長さんの手が、巻き紐に挟まってたモノをすばやく抜き取る。

 折りたたまれた、便箋びんせん? あたしも心当たりナシ。

 一旦グレイに目配せしてから、団長さんは折り目を広げる。あたしにも見ーせてっ?




『シビルギィユ――ご遺体をひとつ預かっています。きみのお客様を連れておいでなさい』




「シグ。おまえさん宛てだ」


 難しい顔のまま、団長さんがカウンターへ便箋を差しだす。シグくんは右手で受け取った。左手では突き匙フォークを持ってて、視線は手紙へ向いてるのに突き刺した芋のかけらはアルバのお口へ危うげなく入る。器用だことー。


「あとグレイ。やっぱスェードにバレてるぞ」

「ぅげ」


 団長さんもシグくんを見ずにグレイを見てた。そのグレイは眉間にシワ寄せて面白い顔。寝床で毛虫でも見たみたい。


 オセが吠えた。

 彼の喉がまるで爆発したみたいだった。あたしも聞いたことない激しい遠吠え。彼と取っ組み合えそうなガタイの団長さんでも今度こそ距離を取ったわ。「さがれ!」ってまた入り口をあけさせたときと同じように周りへ向けて声を張りつつ。


 オセは大きな体で跳ねるみたいにひづめを打ち鳴らしはじめた。食堂の床が抜けそう。

 その場でずっと揺れつづけるのかと思えば、急に勢いよく前後を入れ替えて、ひらきっぱなしの入り口めがけて急発進。外へ飛び出して、まだまだ止まらない。


 この区画は縦穴。家々は絶壁に沿って天然や人口の足場の上に建てられてる。ほとんどの家の向かいは崖って話。崖の下は、奈落の底へ一直線。

 もちろん崖っぷちには柵もある。でも、オセの巨体は難なくそれを突き破って、縦穴の中心に身をおどらせた。


 視界から消える彼を追って、あたしも柵の向こうに飛ぶ。

 崖下には万一の転落防止に念入りに網も張られてた。けど、毛むくじゃらの軌跡を目でたどった先には、残念ぽっかり破れ穴。

 まるで焼き切られたみたいにふちの焦げたその穴から、縦穴の底の水たまりが見通せる。キノコたちの明かりで鈍く輝く水面みなもには、波ひとつ立っちゃいなかった。

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