前夜-Ⅰ-ⅲ 知りうるものは我のもの


 アルバと知り会ったのって、つい最近なのよ。

 ひとつ前にいた街で隊商キャラバン護衛の募集を見たの。聞いたことのない隊名。短期ってあるのに具体的な期間も目的地の記載もなし。おまけに払いはいいと来てキナクサさ満点。いつもなら見なかったことにするんだけど、ちょうどその街じゃ潮時かしらって考えてたし、どっかしらメンの割れてない場所に行けそうな、そそられる予感もあったの。

 ただ、ふたり組限定の募集でね。


 あたし、決まったお友達は作らない主義だから、ちょっとツキが足りないって一旦は見送ったわ。でも同じ日に、酒場パブの隅でモソモソ食事してる真っ黒いのを見かけたの。

 最初はみなしごが残飯もらってるようにしか見えなくて、このご時世に奇特な店主ねって感心して見てた。けど、湯気の立つおかわりまであげてたから気になってね。店主に訊いたら、乱暴で迷惑な客数人をそいつがひとりで叩き出したって言うじゃない。そんでよくよく見てみたら、足首に傭兵証の鉄札タグも巻きついてた。


 でも本当に感じたのはね、お顔を覗きこんだとき。

 あぁ、この子に会うためにあたしここに来たんだわって思ったわ。感じたのは、つまり、運命。ギンギンの。


 でもまーそっからまだ苦労したわ。素がきれいに整ったお顔のお人形さんみたいな冷たさと食べかすでベチャベチャになってるいじらしさとのチグハグぶりであたしも最初は舞いあがれたけど、どんだけ気を引こうとしてもぜーんぜんっ反応ないのよ。無視っていうより、気がつきもしないみたいな? こちとらタッパはあるし声は通るし顔も派手でございますってねぇ。ま、ソデにされればされるほど燃えるタイプだから諦めもしなかったけど、どうもお手あげって気配がしてたのも間違いないわ。


 結局一応仕事には誘えた。例の隊商護衛ね。ゴハンで釣れたから――まぁそれ誘えたって言うのかっていえば、目の前でいい匂いのお菓子ブラつかせたらくっついてきたから、そのまま斡旋所ギルドまで引っ張ってっただけなんだけど。えぇ? 誘拐じゃないわよ。見知らぬオネエにもらったお菓子パクパクしてるあいだに相棒ってことにされて、ほろ馬車に乗れって言われても顔色変えずにすんなり乗っちゃうんだから、そりゃもう保護よ保護。

 実は存外ノリ気なんじゃないの、とも思ったけど、さすがにそこは甘くなかったわ。むしろガードなんてナマやさしいもんじゃなかったわよ。

 反応ナシはあいかわらず。手で触れようもんなら〝護衛〟どもが黙っちゃいない。アルバの一張羅いっちょうらなんて、服とも呼べないような雑ななにかよ。ハダカに黒いはぎれのようなもの、布かどうかも怪しいような薄っぺらいナニカを申しわけ程度に巻いただけ。隠すものを隠す気も感じないくらい無防備なその薄衣うすぎぬの、端っこをつかむことすらあたしには叶わなかった。きっと誰にも。


 そうなると残るはからめ手よ。でも、そこでさえ通じなかったのが極めつけ。

 って薬師よ。〝薬師の武器〟が、アルバにはてんで通じなかった。恐ろしいくらいケロリとしてた。最初のお菓子もそう。水に混ぜても煙を嗅がせてもなにも起きない始まらない。あたしももう躍起よね。馭者ぎょしゃをさせすぎて、へべれけでひとり使い物にならなくしちゃったわ。それも甲斐なし。


 どう思うかしら? つまりこうよ。薬師の力で数多の愛と崇拝をほしいままにしてきたカウフマンともあろう者が、輝かしい人生の最後に恋い焦がれてついに果たせなかったのが、造作もないひとりの少女のハダカを拝むことだったってわけ。

 情けないじゃない? でも笑われてもいい。死んだ今でも焦がれつづけてるんだもの。どうせ死ぬなら護衛どもにぶち殺されるの覚悟で襲っておけばよかった。その後悔より深いものがあると思って?


 だから――だからね? ね?


 今! 今真下にアルバが! 生まれたままの姿でいるの! 一瞬だけそう見えたの!

 見間違いじゃないわよぉーッ! 見間違えるはずないじゃないのよオネエの未練ナメてんじゃねーよッ!! でもほんの一瞬しか見えなかったから、記憶に焼きつけるヒマもなかったから、視界を真上に向けて固定するのはカンベンしてください!! イヤよぉ! 今食堂の薄汚い天井しか見えないなんてぇぇぇぇッッッ!


「ベヴァンナさんっ、服を!」


 イヤァァァァ!? シグきゅん待って! キミのためらいのない紳士ぶりには全霊もって平伏つかまつるけどもうちょいだけお待ちになって! もぉぉちょいで力ずくで下向けそうな予感がしてるのぉッ! んごごごごごごごごごごごごごアァンやっぱ無理でちゅ……。


「おい、なんだありゃ!?」


 今度はおチビのグレイの声。待てや、あのガキは見てんの? 百戦錬磨のこのあたしが拝めなかったものを、出会ったばかりのガキンチョがじっくりねっとり眺めまわせてるだなんて、ち、ち、ち、ち、チクショーッ! うらやまチィィィィィッ!!


 あ、見れた。

 たっぷり時間稼ぎされたのが嫌でもわかるけど。視界がお目当ての方向を向く頃には、アルバの首から下は黒いもやみたいなものに包まれてた。

 ねぇ、あれに突っこめばまだ間に合うくない? あそれはダメなんだ? とかやってるあいだに、靄から薄いおびみたいなのが生まれて、アルバの肌を巻いていく。靄がすっかり晴れる頃には――いつものお粗末な一張羅をまとうアルバがそこにぼんやりつっ立ってた。はーあ……。


「なんだよ、今の……?」

「グレイ、まだあるぞ」


 呆気に取られるグレイと、張り詰めたままの自警団長さん。

 みんなの目の前で、まだほんのり残ってた靄が集まりだす。

 砂が湿気を含んだみたいにひとつのかたまりができていく。光沢のある黒いまんまる。靄を吸いつくしてこぶし大まで育つと、最後に目のように見える色の濃い点をふたつ表面に浮かべて、アルバの肩にちょこんと降り立った。


 ハァイ、ひと晩ぶり? アルバのかわいい〝護衛〟さんっ。あいかわらずプリプリしてておいしそうね。あんたたちがのはよぉーく身に沁みてるけど。


 こうなるとアルバはもう鉄壁。毒グモ一匹寄せつけない。あの一張羅も〝護衛〟の仲間よ。薄ーぅい膜状に変形してるだけで、元はおんなじ黒ダンゴ。変幻自在、固さも自在。剣にも槍にも瞬時になれて、近づく不埒者は問答無用で木っ端みじん。

 あたしも死ぬまで根なし草でいろいろ見てまわったけど、こんな連中は見たことなかったわ。亜人だって知ってんのよ、あたし。なにでできてるのかもわかりゃしない。生き物かどうかすら怪しい。理屈をつけずに理解するなら、アレしかないけど。

 食堂の人たちはアレは知ってるのかしら。知らなくたって怖がるわよね? アルバと黒ダンゴに注目したまま誰も動かない。誰も――ひとりを除いて。


「やあ。目が覚めたんだね……」


 ポホホ、イカすわシグきゅん、アナタってほんと。さすがに全裸には慌ててたけど、今は元どおりの長閑のどかな紳士。ほほ笑みかけるばかりか歩み寄りまでしちゃって。


「無事でよかったよ。おかえりなさい、!」


 腕をいっぱいに広げて、自分よりずっと背の低い相手を膝立ち気味に抱きしめて。

 んまぁー、すごいわシグきゅん。快挙よ。黒ダンゴどもが阻まなかった。少なくとも男がアルバの肌に触れるところをあたしは一度も見たことないわ。負けよ。完敗。こんなに惨めですがすがしい気持ち、死ぬ前にだって感じたことは一度も――


 待て待てぇぇーッ!


 お待ち! 今なんつったのお待ち! シグきゅん!?

 その子アルバよ? 誰ってあの、ちょっと? マルタってシグきゅんっ、マルタってあなたちょっと!?


「シグッ!」


 んがーっ、またデッカい声! ばっかみたい!

 体のでっかい自警団長さんはうろたえてんのか言葉が出ない。それを押しのけて出てきやがるのが、おさげのチビクソ拡声器ラッパくん。


「やっぱり変だ。なんかおかしいぞ、そいつ」


 いいわ、こういう局面で発言できるあんたの図々しさは買ったげる。おかしいのはアルバじゃなくてシグきゅんだけど、今は味方してやろうじゃない。もっとお言い。


「さっきの……っていうか今肩に乗ってるそいつは、なんなんだ!?」

「マルタ、かわいいね、この子。名前はなんていうの?」

「名前なんかいいだろ! 名前なら、そいつが本当にマルタかどうかのほうが――」


 グレイ少年、おもむろに前に出る。手癖っぽくアルバの二の腕をつかもうと手を伸ばす。

 途端、肩の上の〝護衛〟がふくらんだ。

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