前夜-Ⅰ-ⅱ 声は大きさがすべて


 開店前のしみったれあほったれクソッタレ食堂には、チビクソなガキンチョと巨大なオッサンと若い男の子たち。そのほかにもふたり、いや、三人いるわ。

 ひとりは奥の厨房。かすかに水音や陶器を重ねる音がする。

 それからカウンターの中に立って、煙管キセルをくわえて静かに腕組みしてるおねーさんがひとり。んん? おねーさんって歳でもないのかしら。でも若く見えるわぁ。


 あともうひとり、カウンターの端のほう、店の裏手を向いてる扉のそばで、ふしぎと影の薄い男の子が壁に背中をもたせてる。

 影が薄いっていうか、色素から薄いのね。青白い肌。毎日食べてるのか心配になるくらい細っこいし。髪の色もくすんだ銀色。瞳も透けるような灰色。

 ただ、はかなげだけど長閑のどかで愛嬌のある顔してる。それってつまり、ひとことで言うと……あたし好みねッ。

 背も高いし、暗がりにいて気づきにくかったけど、アリだわこの子。ながめ回し目録入りっと。


 壁ぎわでひっそりしてるかと思えばにこにこしてたのも得点高いわぁ。ゆるくて甘ぁーいお顔がさらにゆるゆる。オッサンとガキンチョが醜ぅーく怒鳴り合ってるのも見えてるはずなのに、ひとりだけ幸せいっぱーぁいって感じ。

 ンフフ、ステキよ、灰色イケ少年くん。でもそんだけ輝いてるとどんだけ気配殺しててもピリついてるバカに目をつけられるわ。ほら、おさげのチビクソトンマ。アイツはナシ。ピクリともしない。


「シグ! 元はと言や、オマエが変なこと言いだすからここへ運ぶ羽目になったんだからな!? でなきゃスェードんちの前に置き去りでよかったのにッ」

「…………?」

「なんか言えよ!!」


 ぽや~っとした笑顔のまま、一拍遅れて首をかしげるイケ少年くん。たまりかねたチビクソがつばきでせっせと空気汚染。イイわぁ。シグくんっていうのね彼。響きが甘露。


「うーん、変かな? まあ、起きたら驚くだろうけど……」


 ようやくひらいた口ぶりは申しわけなさげだったけど、幸せいっぱいなニヤケ顔が全然収まらないシグきゅん。意味はよくわかんないけど、カワイイから全部アリよ、ポホホー。


「でも、マルタもみんなと会いたかっただろうから」

「……!?」


 あらん?

 目尻からとろけてくようなシグきゅんの満面の笑み。それを見たおさげのチビクソが息を飲んだ顔に。チビだけでなく、食堂全体が凍りついた空気に。

 これは、あれかしら。彼の笑顔と声の甘やかさがあまりに自分たちと次元が違いすぎて打ちひしがれてる的な? チビクソに至っちゃ自分の小汚さにもはや罪悪感すら覚えてんじゃないかしら。「シグ、そりゃあ……」なんて、バツの悪そうな顔しちゃって。


「ありえねぇだろ。確かに、似すぎなくらい似ちゃいるけど――」

「グレイ」


 こりずになにか言いかけるチッチャイーノ五世だか六世だか。その弱っちそうな肩を、指毛のすごいおっきな手がほとんど包みこむみたいにつかんで止めた。

 座ったままで身を乗り出したずんぐりおじさまの手よ。こりゃいいわ、トシの功から教えたげてちょうだいな。チビクソとシグくんじゃ生物としての格が違うって。


「おめえ、〝目薬〟差しとけ」

「なっ! ざけんな、ジジイッ。そういう使い方は――」

「普通だ。徹夜明けで今日なんだろ? 十分あけぇぞ」


 メグスリ?


 チビの目が見える。別に見たかないんだけど、まいいわ。虹彩も元から赤茶けてるけど、今は白目も赤っぽい。充血……にしちゃあ、まんべんなく赤い感じがちょっとキモいわね。血管が見づらい?

 ンもうっ、なによ。カミナリみたいな声出るくせに病気持ちだっての? おじさまにつつかれた途端にしおらしくもなっちゃってさ。

 しぶしぶ顔でポッケからナニカを取り出して、天井向けた顔の目の真上に持ってく。入れ物は手の中に隠れて見えないけど、柱に生えてるレイスツールの明かりを赤く照りかえした気もするわ。赤い小瓶? どっかで見たような……。


「シグ」


 って、チビクソが目薬差してる隙に、自分がシグきゅんにお相手してもらおうとするおじさま。やっだー、結構やらしいトコあんじゃないの。


「マルタが戻ってきたとなりゃ、うれしいのはわかる。俺もうれしい。けどな、あの子はスェード側の人間としてこの街に入ったフシがある。もしそれが方便じゃなかったら――昨晩は幸か不幸か、例の殺人鬼サマの飛び入りのおかげで、早まったうちの若造どもの誰も馬鹿をやらずに帰ってこれた。そいつが誘拐一犯って話に変わっちまう。おまけに……」


 話しながらおじさまは視線でチビを指す。チビの目はもう赤みが引いてるわ。その代わり、ちょっとふらついてて眠たそう。さっきまで無駄に元気だったくせに今や燃料切れ? 幸せなガキねぇ。


「人にぶっかけて眠らせられるだけの『ようせい』の原液用意できるやつなんざ、そこのトンマ以外にいねえことぐらい向こうも承知してる。もう人探しどころじゃなくなるぞ」

「そこは心配ないですよ、自警団長。昨晩あの場にいたのは、結局フェイデじゃなかったようですし。それに……マルタですよ?」


 即答したシグくんのスッキリ笑顔に、自警団長て呼ばれたおじさまも、ぐ、とたちまち黙らされる。威勢だけは一流の――このチビはグレイっていうのね――相手とはあんなにはしゃいでたのに、シグくん相手だと途端に奥歯に物が挟まっちゃうのね。ぶっちゃけおじさまはどっちにお熱なの? 好きな子にイジワルしちゃうタイプだと思いたいんだけど。


 それはともかく、んーとぉ?

 今「スェード」って言わなかったかしら。どちら様かというと、これも最近聞いた気が……。


「スェードはどうせこれまでどおり、好きに探せばいいって態度だと思います。やましいところはないって自信満々ですから。グレイのことは、マルタに口裏を合わせてもらいながら、ぼくからうまく話しておきますよ。どうせ結婚のあいさつにも行く予定でしたし」

「結婚!?」


 は? け? きゅ?

 は? は?


 きゅ? きゅっきゅ?

 きゅぇっく……きゅ、きゅぇっくぉんっ!?

 きゅぇっこんって、きゅぇっこんっつって今言いなさっつぁいましたってんかいなっ、シギュきゅぇっきゅん!?


「はい。マルタとの約束です。帰ってきたら、一緒になろうねって」


 おじさまもグレイも口あんぐり。この不肖カウフマンめもあんぐり。お口ないけど。

 はわわ、なんつーこと。もっとずっと若いと思ってたのにぃ。いいえ、約束だから歳は関係ないのかしら。どっちにしろ、もうとっくに人のモノだったなんて。

 いやなに言ってんのよ。人のモノだからこそ燃える、なんてこともなくないわ。むしろシグくんの場合、大いにアリよッ!

 だいたいなによ、結婚の約束って。先にツバつけといたから勝ちだなんてどんだけあさましい女よ、そのマルタってのは。あんたのツバなんかとっくに乾ききったカスになって飛んでってるってのッ。あたしの舌で何度も舐めあげてもうどこについてたかもわかんなくしてあげちゃうもんね! 死んでたって心の舌で! 舌ゴコロで! フンンンンー!!


「あぁ。ちょうど起きてきたみたいですね」


 ちょうど!? ちょうどですってぃ!?


 壁から背を離したシグくんが食堂の裏口を振りかえる。階段が裏手にあるんだわ。ペタリ、ペタリ、ハダシの足音が降りてくる。

 足音の軽さからして、これは女! あさましいツバ吐き女が降りてくる!

 いいわよ、見てやろうじゃないの。寝起きで顔ぐちゃぐちゃ、髪もきっとくちゃくちゃよ。寝ぼけて目クソ食べてるとこシグきゅんに見られて破談になっちゃえオヴヮァァァァァカチャァァンッッッ!!


 そしてひらいた扉の向こう。ハイ、ごきげんよう。

 髪は元々くちゃくちゃだったのよ。それが寝グセで割り増しくちゃくちゃ。それでも絡まらないふしぎな毛ヅヤの長ぁーい黒髪。淀みの色をしたその隙間から覗く金の瞳と、光るように瑞々しく色濃い褐色の肌。


 その肌に、髪以外のなにもまとわない、はかなげで小さな女の子。あたしのアルバ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る