前夜

前夜-Ⅰ-ⅰ 目覚めたがりな夢見がち



 空のつるぎ。ちぎれた窓から見てる。



 黒い柱の群れ。とげが人々を持ちあげて。



 すすと鉄のにおい。悲鳴もうめき声もない。



 喉を通る風の音。道はちぎれている。なぜだろう、痛くない。



 手はどこに。足はどこだろう。

 わたしはのこっているのかな。



 黒い影がさす。黒い肌のあの子。



 金の目がきらめき、黒鉄くろがねのとげがはしる。















 ――ウワァァォォォォォォォッッッ………………………………みたいな?


 ハァーやだやだ。ヤな夢見たー。

 めちゃ生々しくて、オゾくてサムくて、もう最高。

 でも目覚めはスッキリ。やけにスッキリ。さなぎからかえったみたい。新しい命って感じ?


 もうホントなんなのって感じよねー。死ぬ夢だし、殺される夢って。

 悪くない死に方だわーなんて、あたしも妙に悟っちゃってさ。冗談じゃないっての。

 見かけによらず志半ばでございます。っていつもほざいてたじゃない、フレド・カウフマン? ねぇ、あたし?


 んで、ここどこかしら?

 木組みのおうち。小さなお部屋。どっかの宿?

 おっかしいわねぇー。寝る前の記憶が飛んでるみたい。酔っちゃったのかしら。それにしてはお目覚めスッキリ。

 だいいち酒場に入った覚えなんかないし。酒場どころか、確か、前の街の地主伯直卒じきそつ幌商隊キャラバンに護衛ってことで雇ってもらって、おもくそまだ街道の上だったような……んー? どっか着いたんだっけ?


 部屋も宿屋っぽさがない。酒場の二階? それっぽくもない。

 どっちかといえば民家の寝室。それでもちょっぴり変わってる。

 寝台ベッドの両わきは本棚ビッチリ、棚の中も本ギッシリ。向かいには、仕立て屋みたいに壁いっぱいの長机。机の上に散らばってんのも、これまた風変わりなものばかり。

 あれって蒸留装置? おケツの丸い容器フラスコに細いガラス管を溶接して、足の長い五徳の上に置いてあんの。げんや乳鉢なんかも隣に転がってる。いやだ、ご同業かしら。にしちゃあ、ちょっぴり物々しい味つけ。


 部屋の明かりは机上のランプひとつ。窓が閉まってる。頼りない灯りに浮かびあがる背表紙たちへ目を向ければ、やっぱり薬草の図鑑や調合の指南書なんかが目につくわね。塔都にあったオヤジ様の蔵書にそっくり。いかがわしさまでクリソツ。『禁忌のナントカ』やら『恐るべき霊薬のウンタラ』とか『幸福の秘薬とナンチャラ』だの…………鼻につくわねぇー。なれなれしく親近感くすぐってくるみたいで鼻につくのよぉー。もしやご同業以上のだったりしますぅ?

 つーかランプのそばの、赤い小瓶の山よ。握りこんで隠せそうな極小のガラス瓶が無造作に山盛りにされてる。香水瓶? でもなんていうか、遠目には虫みたいね。赤いツヤツヤした虫がたかってるみたいで、んー、おぞーい。仮にご同業でもあれはいいシュミしてないわね。きっとド変態よ。

 そのド変態の部屋で寝てたあたし、やばくない?


 ちょっとウソでしょ、服着てる服? ――ってキャアアアアオッッッ!?

 黒髪もじゃもじゃと褐色の裸体!

 アルバ! スッキリぷにぺちゃに一糸まとわぬアルバちゃん!!

 なァーんで隣で寝てるのォ!? うっそぉ!? ハイヨッ、起きて起きて!

 どういうことなのもう! 黒ダンゴどもはどうしたのよ。一匹もいないじゃない!


 ……は? いない? 護衛の黒ダンゴどもがいない? 一匹も?

 街道で野宿してるときだって、ひと晩中アルバの周りで見張ってたってのに? 夜這いかけて目ン玉くり抜かれそうになったときは本気でオワリ感じたのに?

 あのご忠義連中が一匹も? 寝台の上で主人は無防備に、こんなにも守るものなしで眠りこけてるっていうのに。


 やばいわ。この部屋やばくないかって思った以上にはるかにもっとやばいわよ。

 こんな好機、二度とあるわけないわ。やばすぎ。


 ポッポー。恋い焦がれた褐色のやわ肌。ツルツルのおしり。タップリの黒髪。

 わずかにほころんだ小さな唇。薄いまぶたに長い睫毛。

 撫でちゃう? 舐めちゃう?


 無理よ。無理無理。

 今ガマンするなってほうが、土台無理ってことではございませんかァァァ!?

 あっはあアアアアン!! もッたまんない! いッただきまぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ【うるさい】ああぁッッッッすん!!


 …………………………………………今なんか言った?


 あららん? つーかなにこれ。なんも見えない。

 急に真っ暗。突然。

 まっすぐしゃぶりついたつもりだったんだけど、みずみずしさ満点極上の果実へ。うっかり枕に突っこんだのかしら。


 でも顔になにも感じない。枕の感触も匂いも、なんにも。

 顔だけじゃないわね。目覚めたときからずっと違和感。違和感がないっていう違和感。

 お目覚めスッキリってか、サッパリよね。手足の感覚すらサッパリ。体の感覚がどこにもない。真っ暗のいまは自分がどこ向いてるのかもわかんない。目があいてるのかさえよ。鼻や口がふさがってるなら息苦しくないと変でしょ?

 えーっ、なにこれなにこれ? あたしどうなってるの? 息してるの? まだ夢の中?


 あらん? 急に視界が戻ってきた。さっきより明るいわよ?

 さっきまでより明るいどこかを、あたしは天井から見おろしてる。どこか別のだだっ広い部屋を。


「しょうがねえだろ、連れてきちまったモンはッ!」


 うっさ。ばっかみたい。

 デカい声だわねー。ちょっと高めで余計にキンキン。


 見た感じ、酒場パブか食堂? カウンター付きのホール。よく響くわけねー。

 椅子は逆さでテーブルに乗ってる。閉店中。けど人はいる。

 入り口あたりにお行儀よく並ぶ男の子たちが五人、六人。そろって若い子たち。土方の職人みたいな汚れた格好。そろってつっ立って、なんだかしょんぼりしてる。


 それから、ひとつだけ降ろした椅子に腰かけてるのは、おでこに青すじ立ててる白髪まじりのずんぐりおじさま。じめっとした暗い森の奥にひそむ二本足のケダモノみたくガッチリしたおじさま。

 そのおじさまと向き合って、今にも咬みつきそうな勢いできゃんきゃん吠え散らかしてるガキンチョがひとり。くちいろなおさげ髪とちっちゃな背丈。


「見られてねえんだから文句ねえだろ!」

「ねえわけねえだろッ、このチビクソトンマ!」


 たまりかねたみたくおじさまがツバ飛ばして怒鳴りかえす。「誰がチビクソだコラァァ!」巻き舌で吠えかえすチビクソトンマ。声だけさらにでかくなる。トンマはいいの?

 いやぁねぇ。少年は少年でもああいう血色のよすぎる手合いは好みじゃないのよ。やけにシミだらけで小汚いコートも、ダボダボなそれを気合いで着てる感じもなんとなく嫌。


「薬かがせて眠らすなんざ正気かって訊いてんだッ、このド阿呆!」

「ド阿呆じゃねえクソジジイ! サーシェンカが出たんだよ!」

「関係ねえだろうが!」

「あるっつってんだろうがッ!」


 あー、なんにもわかんないけど不毛そう。平行線の香りがするわ。お元気ですことぉ。

 わきで固まってる若人たちも口出しできなくてモジモジモジモジ。この空気最低。


 ……って、のんきに聞き耳たててる場合じゃないわよ、あたし。天井よ。いま、天井にいるっていうか天井になってるわ。天井とひとつになってるわ。

 んー、動けない。動けない? 動けない、動けなァーい、降りられなァァーい!

 ねぇねぇ、これどうすりゃいいの? つーかあたしの声、誰にも聞こえてなくない? 届いてなくない?

 ここよぉ! 蜜のようにいろいろしたたる美人は、こ! こ! 上よ! 頭上よぉー!?


 叫んだつもりなんだけど、やっぱりだぁーれも振り向きゃしない。そもそも口とか喉とか肺とか動いた感触もあいかわらずしないのよ。まるで……そう、まるで――

 まだ夢の中みたいね、ウン。斬られた首から目ン玉だけ這いだして羽根はやしてパタパタ飛んでるだなんて、やっだ、そんなオモロイ話あるわけないでしょっ?


 見おろしてた食堂の景色が突然遠のく。一瞬だけ暗闇に戻って、突っ伏してた枕から顔をあげたみたいに最初の寝台ベッドがまた見える。寝てるアルバの裸体が戻ってきて――ンーフフフ、アルバちゅわぁん、おっきしたオネエさんのおっきしたおっきと遊ばなァい? ってまだ遠くなるんだけど? 寝台どころか部屋全体が見渡せるくらいまで上昇しつづけて、ってギャー! このまま行くと天井にぶつかるわよギャー!

 ……らなかった。ぶつかんなかったわ。まるで天井裏までもぐりこんだみたくまた暗くなったかと思えば、まばたきみたいなその暗転のあと、にいた。


 思わず視界が持ちあがる。

 飛びこんできた風景には大いに見覚え。


 四方を囲んで空をもふさぐ、広大な土の壁。土中の巨大な大空洞。壁のくぼみに沿って、地上ならなんの変哲もない家々が建ち並ぶ景色。むきだしの絶壁は所々、小さなお日様を宿したみたいに黄色く光って、空洞全体を真昼の空の下みたいに照らしだしてる。

 よく似た景色をほんのつい最近おがんだわ。それこそ昨日のことのよう。全体が縦穴じみたこことは違って、もっと広々したすり鉢状の円形で、平たい底のところに家々が寄り集まってた。天蓋にともる光も月のような白色だったわね。だからここほど明るくもなかったけれど、確か案内人が、発光する色と時間とで種類が違うとも話してた気がする。


 明かりの名は『レイスツール』。赤土に生えて発光する菌類キノコたち。

 絶壁が光ってるのは、そこで発光菌類レイスツールたちがむれになってる証拠。あいた民家の窓に見える屋内のランプも炎らしく揺らめいてはいないから、台座に植えたレイスツールに覆いフードをかけてるんでしょう。

 そうやって、キノコの明かりにすがりながら地の底で生きる街――ベトザニヤ。


 そうよ、ベドザニヤよ。あたしたち、目的地にたどり着いたのよ。


 前にいた街でこのご時世に引っ越したいっていう大地主に荷物番で雇われた。行き先も知らされないまま隊商キャラバンのフリしてついてくことウン十日。山のふもとの野っぱらで待ってた案内人をつかまえて、夜のうちにこの地底の街に踏みこんだのよ。

 それから寝静まった街の広場まで行って、地主サマの取り引き相手とかいう眼鏡のスカした男が待ってて……彼と地主サマが顔を合わせたところへ、突然覆面ふくめんした連中が割りこんできたんだわ。さらに、赤いドレス。そう、だから、あのときに――




 あたし、死んだのね。




 んー……ま、わかっちゃいたんだけど。予感ってやつ?

 不肖ふしょう、フレド・カウフマン。男だか女だか結局よくわかんないままだったけど、それにしちゃ憂いとか葛藤みたいのが欠片もないとこに到ってたって気がすんの。人生で一番高いところ。もうこれ以上高いとこはないって思えてた。

 探してるものもあったけど、振り向いてほしい人もいたけれど。むしろ、そっから上は地面が逆さになっても届かないってとこばかり求めてたから、めいっぱい伸びきったらあとはちぎれて飛んでくしかなかった。みたいな?


 なのに……ふしぎねぇ。

 思いだしたことは確かよ。確かに死んだし、死んでるはずなのに。

 意識の途切れるまで見ていたとおり、離ればなれになった首から下はどこにもないし、首から上に羽根がはえーのパタパタでもない。眼球だけになるどころか、あたしの体はどこにもなくて、全部すり抜けちゃうのに、こうしてなにかを思ってて、ものを見て聞くことができるなんて――鼻はきかないみたいだけど。

 こういうの、なんていうのかしら? ユーレイ? タマスィー?


 ただ、さっきから思ったように動けない感じが気になるのよねぇー。風に吹かれて流されてるにしちゃ妙にキビキビしてるし。勝手に動いたような気がするたびに、コレ見とけやボケェ、って言われてるみたいだし。

 誰に? 誰かによ。

 その誰か様は、呼べば応えてくれるのかしら?

 ハァイ、もしもぉーし? あたしとチュパチュパしなァーい? ……んーだんまりね。


 まいーわ、気のせいってことで。でも、これはどうしようかしら。どうなんのかしら。

 死んだものはしょうがないわよ。でもまだ見聞きできるでしょう?

 見たいもの、知りたいこと、たくさんあるわ。好奇心も旺盛なの。

 自分の死に顔とかいいわねぇ。まだ腐らずにあるでしょ、どっかに。

 それにずっと探してたものもある。正直見つかるだけ見つかれば満足なのよね。


 そういうのも全部済んだら、あとは日がな一日、アルバを見てればいいし。見てくれだけでも芸術品、どころか、この世のものじゃないみたいでしょう、あの子? 仕草もそうなのよ? あたしの子ウサギちゃん。きっと永遠にながめてても飽きないわ。

 そう、しかも今全裸よあの子。マジ全裸。


 さっきは泡食ってたし薄暗くてよく見えなかったけれど、今度こそじっくり舐めまわすように見たいわ。目ン玉擦れるくらい近くで見つづけたらあたし、あっという間にイっちゃうと思うの。もうってるんですけどね? やっだもうっ、フレドったら!

 ねえ、ちょっとぉ! どうやったら動けるのこれぇ? 思いどおりどころが微塵みじんも動けなくなっちった! 念じるの? 念じればいいのぉ? アルバのとこまでとんでけぇー! おマタの間からおヘソをながめられる絶景が見たーぃーぃ!!


 きゃっ、動いた動いた! ってなんで往来のほうに降りてくわけ? 真下の建物の二階を避けて、曲線的に一階へ。あっ、待って、そっちはやだ。なんかやかましいのがいるのやだ。しみったれた変な空気は楽しくないでしょ? 死んでまでそんなのと付き合いたくないわよ。ねぇ、やだっつってるでしょ? やだっつってんでしょうがぁぁぁぁっ!!

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