第19話 勝利の方程式
残念ながらと言うべきか、予定通りというべきかウォール街で大暴落が起きてしまったわ。
世界恐慌の始まりね。
恐怖によって人の理性が蝕まれていく時代の始まりよ。
もっとも、日本では以前から準備はしてあったわ。
あとはきちんと実行するだけね。
ウォール街の大暴落があった日から、新聞で全面的にケインズ政策的準備をするように打ち出したのよ。
日頃は大衆路線まっしぐらな新聞が突然、経済論を全面に押し出したのだから読者は驚いたに違いないわ。「恐らく同社が出している専門紙の一面と内容を間違えたのではないか」と思ったみたいね。
一応そういうことにしておいたわ。
だけど、これは政府に対する警告なのよ。
読売新聞の一面が難しい話を出すということは、どこかの新聞にG13型トラクターの広告が載るようなものよ。G13型トラクターの広告を載せれば世界的暗殺者が動くことになるわ、私が出した一面を放置すれば内閣を破壊する動きが始まることになるわ。
言うことに従えということなのよ。
浜口も理解したようよ。大蔵大臣井上準之助は高橋是清と共に経済防衛班を設置して事の対処に当たったわ。
史実でも日本は一番早く脱したけれど、より早く収まったようね。
世界恐慌の責任は日本にはないけれども、軍を含めた若者にそんなことを理解することはできないわ。
経済が悪くなったから、軍の予算が削られるかもしれない。だから、何人かぶっ殺して予算を削減させないようにしようと考えるのよ。
天皇陛下を通じて、そろそろ軍に
たちまち、「陛下は陸海軍の対立に、陸軍内の対立に心底お怒りである。これ以上対立が酷くなるようなら、お灸を据えなければならないと考えている」というような噂が広まったわ。
「僕がさりげな~く、あちこちで言っておいたんだよ」
お灸というのが陛下の部下による陸海軍内の転覆であることは明らかだわ。
本人はその気はないけれども、梅津なり前田の殿様なりが何かやるかもしれないという空気があるのよ。でも機先を制したら、自分達の派閥がやり玉にあげられて全員失業待ったなしよ。
軍内部の締め付けは強くなったようね。綱紀粛正が図られているようよ。
ここでいよいよ軍に対する最後の一手を打つわよ。
「悠ちゃん、若手将校を飲みに誘って、適当に煽ってきてくれる」
「えっ!? 自分で締め付けておきながら、同時に煽っちゃうの? えげつないね」
と言いつつも、悠ちゃんは若手将校を飲みに誘いだしたわ。
そこでさりげなく「いつの時代も若者に厳しいよね」、「昔ながらの杵塚で偉い地位についた人ばかりいい目を見ているよね」とぽつりと言うのよ。
たちまち火がつくわ。上から不満の表明をするなと押し付けられているのだから、「老害共を滅ぼせ」だの「能力主義を取り入れよ」などと言いだすの。
当然のように問題視されたわ。「お前達、何てことをしてくれるんだ」と。
だけど、軍の派閥内部に喧嘩両成敗の空気が漂っているのは若手達も全員承知しているわ。
そうなると開き直ることもできるのよ。「俺達若手が騒いだら、おまえ達も困るんだぞ」というそういうやつね。
困った幹部達は自分達に責任がないことを伝えるために、陛下に「若手の収拾がつきません」と泣きに入ってきたのよ。
そこで陛下が若手達と話すことになるわ。
「つまり、おまえ達は老害にあれこれ言われたくない。能力主義で若手も認めろと言うのだな?」
「そうです」
「……分かった。能力主義を取り入れるとしよう」
翌日、陛下とまた会うことになったわ。
「その方達の言う通りにしてみたが、どうするのだ?」
「まずは
在郷軍人会というのは、軍を離れた人達の会合ね。
高校野球のOB会とかあるでしょ? あれの軍人版みたいなものよ。
そして、高校野球のOB会と同じく、完全なる年功序列が幅を利かせているのよ。貧乏な農民でも一年早かったとか階級が少し上だったりすれば、そうじゃない人より偉そうに出来るわけ。
こうした体育会の空気がある組織が民衆のすぐそばにあったのよ。これを通じて体育会のイケイケの雰囲気が軍部に伝わり、軍部もまたそれに反応して更にイケイケになる、という連鎖反応が起きていたというわけ。
地味だけど、実は戦争遂行にかなり貢献していたと言えるわね。
対策が必要よ。
「退役してまで年功序列は良くありません。彼らの毎年の活動費支給の条件に、試験で序列を決めることを入れましょう」
これでほとんどの人が在郷軍人会に寄り付かなくなったわ。
当たり前ね。改めて勉強しないと偉そうに振る舞えないのよ。そんな面倒くさいことは誰もしたくないし、勉強しないことで今までこき使っていた奴から下っ端扱いされるなんて最低でしょ?
これによって民衆と軍部を繋ぐものがなくなったわ。
軍民あげて何かをすることは難しくなるはずよ。
効果は予想以上だったわ。
軍だけでなく、官僚もびびりだしたのよ。
この時代の官僚(軍人も官僚よ)は最初の試験成績でほぼ出世ルートが決まっていたのよ。最初の成績と付き合い、あとは不祥事をしないことね。
下の成績で入るくらいなら、1年浪人した方が得なんてこともあったようよ。
そこに昇格試験なんてものを導入されたら人生設計が根底から狂うことになるわ。
彼らは「昇格試験だけは勘弁してください」とたちまちお腹を見せて転がるようになったのよ(動物が降伏を認める証よ)。
決定的な弱みを握ることができたわね。
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