第15話


「うっ……」

 ティルスディアは手首と背中に痛みを感じて目が覚める。

(ここは……?)

 周囲を見渡せば、石造りの牢のような空間。明かりは部屋の中にある松明だけ。

(ああ、そうか。僕は……)

 シャーロットを狙う暗殺計画の黒幕をおびき寄せる為に掴まったのだった。

 今頃王宮には脅迫状が届いているだろうか。

(シャーリーは、絶対来てくれる、とは言ったものの、あまり来てほしくないな)

 この計画は、杜撰な計画に杜撰に乗ったに過ぎない。シャーロットも最初は渋い顔をしていたが、何とか説得して許可してもらったのだ。

 たとえここでティルスディアが殺されたとしても、所詮側妃に過ぎない。王族の家名を汚すほどでもないし、サファルティアにしても王家にとってはさほど痛手にはならない。

 だからこそ強気に出られた。シャーロットを巻き込まないで済むのであれば、それに越したことはない。

(とにかく、まずはこの状況を何とかしないと)

 ティルスディアは後ろ手に縛られた縄を解こうと手を動かしていると、カツンカツンと靴と石がぶつかり合う音がした。

 誰か来たのだろうと様子を伺っていると、そこに現れたのはアリアロス・マーシャルだった。

「マーシャル公爵……」

 知っていたとはいえ、いきなり黒幕のお出ましにティルスディアは顔を強張らせる。

「お久しぶりですな、ティルスディア殿下」

 アリアロスが部屋の中に入ってくる。ティルスディアはジリジリと後退する。

「何故ここに、というのは愚問でしょうね」

「ほう。さすがはシャーロット王が認めた才女だ。だが、か弱い御令嬢一人では何もできないでしょう」

 まだティルスディアがサファルティアであることに気付かれていないようだ。

 そのことに安心すればいいのか呆れればいいのか微妙なところだが、とりあえずティルスディアをただのか弱い令嬢と思っているなら、その通りに行動しておく方が危険は少ないだろうか。

「わたくしをこんなところに閉じ込めて、いったい何をするおつもりで?」

「シャーロット王には国王を降りていただこうと思ってな」

 ティルスディアは内心、やっぱりか、と納得する。

「それで、わたくしの為にシャーロット陛下がいらっしゃると? 本気でお思いですか?」

 普通、王は滅多なことでは動かない。正妃であればまた違うかもしれないが、ティルスディアは側妃だ。簡単に切り捨てることができる。

 こういう時、側妃で良かったとティルスディアは心の底から思う。

 最愛の人に見捨てられるのだとしても、駒として役立つのであれば本望だ。

「ふふ、マーシャル公爵ともあろうお方が、こんな浅はかなことを考えているとは思いませんでしたわ」

「浅はか、だと?」

「だってそうでしょう? わたくしはシャーロット陛下の妻ではありますが、所詮側妃。駒としては使い道がありますから、あの方はわたくしを愛していても、簡単に切り捨てられますわ」

 さもおかしいと気丈なふりをして笑ってみるが、逆にアリアロスに鼻で嗤われる。

「それなら尚更好都合。ティルスディア殿下にも消えていただき、新たな王に我が娘を娶ってもらいましょう」

「新たな、王?」

「サファルティア殿下ですよ。あの方ほど素直で扱いやすく、次期国王と我が娘に相応しい青年はいない!」

 ティルスディアは呆れて開いた口が塞がらない。

(僕が? 散々断ったのに!? というか、扱いやすいって何!)

 ここで暴露してやろうかと思ったが、その方がいろいろめんどくさそうだ。

「サファルティア殿下、ですか……。わたくしが死ねばサファルティア殿下が何故王位に就くとお考えで?」

「あなたはご存じないのかもしれないが、シャーロット王のあなたへの執着は異常だ。あなたは確かに賢く、美しい。いずれ国を破滅に導くだろう」

「なるほど。わたくしが傾国になるのでは、と危惧されているのですね。さすがはマーシャル公爵。国への忠心は尊敬に値します。でも、それならわたくしだけ殺せばよいのでは?」

「ふん、女にうつつを抜かすような王は信用できん」

 いや、あんた散々人に娘を押し付けようとしただろう、と文句が喉元まで出かかる。

「そうですか。わたくしとしては、か弱い女をこんなところに閉じ込めてせこいことを考える殿方よりも、堂々と陛下に意見を言えるオルガーナ侯爵やアドリー伯爵の方がよほど好感を持てますが……。残念です」

「奴らはシャーロット王の犬だからな。そもそも、毎回私の政策に否を唱えおって気に食わん」

 実に腹立たしいとアリアロスは言うが、そもそも碌な政策がなかったはずだ。

(確か、最近は賄賂を認めろ、でしたっけ? あと、金のない貴族はクビとか何とか……)

 貴族の中にはクロウィセン・メルセガヌのように商才もないのに事業に手を出そうとする者もいれば、先祖代々から受け継がれてきた血統を重要視するものもいる。

 理解できないわけではないが、かといってアリアロスの政策に諸手を挙げて賛成できるかと言えば、否だ。

「なるほど、逆恨みですか。そもそもあなたのいう政策とは国を滅ぼすためのものですか?」

「なんだと?」

「わたくし達王族や貴族に権力や金が必要なのは、国と民を守る為です。民があってこその国であることを忘れた貴族に、与えられる権力などありません。オルガーナ侯爵もアドリー伯爵も、領民をとても大事にされる方です。処刑されたクロウィセン・メルセガヌも同様です」

 領地を持つ貴族は領民に心を砕き、領民を守る為の権力を与えるのが王族の仕事だ。そうした小さな積み重ねのひとつひとつが国を繁栄させてきた。

 シャーロットもサファルティアも、父王や彼を慕う貴族たちにそう教えられてきたし、自分の目で見ればそのことを実感する。

「罪人よりも私の方が劣ると? 女のくせに生意気な!」

「っ!」

 パンッ! と小気味のいい音を立ててティルスディアの頬が叩かれる。

「貴様のようなゲスな女が政治を語るな! お前に私の何が分かるという!」

 ティルスディアは嘲るように小さく笑う。

「わかりませんわ。あなたの言うように、ゲスな女ですので。目の前の真実にも気付かず、陛下への叛逆や王族を侮辱したこと、貴族の義務を放棄するような発言に、王族の誘拐……。他にも余罪を調べればまだ出てきそうですわね。さて、これ以上どんな罪を重ねていただけるんでしょう?」

 ティルスディアが煽ることを言えば、アリアロスの顔が憤怒で真っ赤に染まる。

「そんなに死にたいか、ティルスディア・キャロー。女と思って少しは優しくしてやろうかとも思ったがやめだ。貴様にはこの世の地獄を味わってから死んでもらおう」

「あがっ!?」

 おもむろに首を鷲掴みにされる。

 後ろ手に縛られたままで抵抗は出来ず、ティルスディアは身を捩る。

「ふん、プライドの高い女の程こういうことには弱い。たっぷり遊んでもらうといい」

「うぐっ!」

 地面に叩きつけられ、節々が痛む。

 アリアロスがティルスディアに馬乗りになり、首を押さえつけるとポケットから出した液体の入った瓶の中身を口の中へと流し込み、鼻と口を押える。

「んんーーーッ!!」

 足をばたつかせ、必死に首を振ってみるが息が苦しいだけで離れる気配がない。

 甘ったるい、腐った果物を濃厚に煮詰めたような味だ。気持ち悪くて仕方ない。

 意識が朦朧とするなか、無意識に液体を呑みこむ。

 ティルスディアが飲み込むのを確認して、ようやくアリアロスの手が離れる。

「げほっ、げほっ、はっ、何を、飲ませ……っ!?」

 ドカドカと数人の靴音が聞こえる。貴族よりも粗野な足音、騎士にしては統率も取れていない。嫌な予感は的中し、そこにはティルスディアを攫った男達がいた。

「へえ、さっきも思ったが、なかなか上玉だなぁ」

「これなら売れれば高くつく。それに、貴族の女ってのは娼館に喜ばれるからなぁ」

「まぁ、その前に味見は必要だろう」

「そうそう、具合を確かめておかないとなぁ」

 盗賊崩れのような風体の、下卑た表情をする男達が部屋の中に入ってくる。

「遅効性の薬だ。我を忘れて男を求めるようになるのも一興だが、貴様は絶望を味あわせてから家畜に貶めてやろう」

「なるほど。最低ですね、マーシャル公爵」

「誉め言葉と受け取っておこう」

 飲まされた薬と入って来た男達の言葉から察するに、この後自分は弄ばれるのだろう。

 その前に、男とバレて殺される方が先かもしれないが。

 男達がティルスディアのドレスを引き裂こうとナイフを布に滑らせる。

 シャーロットに迷惑をかけるくらいなら、この場で舌を噛みきって死んでやろう。そう思って、歯の間に舌を挟んで力を入れようとした時だった。

 バンッと大きな音を立てて扉が開かれる。

「そこまでだ、マーシャル公爵。私のティルスディアを返してもらおうか」

 ティルスディアがハッとしたように顔を上げる。

「陛下……」

 炎に照らされてもなお輝く金色と、薄暗いせいか海の底にも見える深い碧の瞳。

 厳しい目でアリアロスを見据えるその姿は、ティルスディアが愛してやまない人のものだった。

「ふん、ようやくいらっしゃいましたか、シャーロット国王陛下」

 シャーロットはさっと視線を巡らせ、状況を確認する。

 ティルスディアが男たちに下敷きにされているのを見て、眉間に皺が寄る。

「貴様達、私のティルに何をしている」

 低く唸るような声に、男達は鼻で嗤う。

「はんっ、俺達はこの旦那に雇われただけだ。女を攫ってメス豚のように犯してやれってな」

「ほう。随分と面白いことを考えるな、アリアロス・マーシャル。速攻で部下に見捨てられるわけだ」

 シャーロットが嘲笑えば、アリアロスはギリッと奥歯を噛み締める。

「ええい、バレたところで構わん。お前たち、この男も殺せ! 殺した奴には後でたっぷり金を払ってやろう。ついでにその女も好きにすればいい!」

 アリアロスが命令すれば、男達はニタリと笑う。

「その言葉、違えるなよ」

 数人の男達はシャーロットに向って駆け出す。

 シャーロットは小さくため息を吐くと、佩いていた剣を抜く。

「肩慣らしくらいにはなるか」

 正面から突っ込んできた男を剣で受け止め、横から襲ってきた男を薙ぎ払った剣の返しで打ち返す。後ろから短剣を突き立てようとしていた男をしゃがんで足払いすると簡単に体勢を崩した。

 まるで遊ばれているようだと気付くのにそう時間はかからない。

「くっ、優男だと思って油断した。ちっ、それなら女、お前も来い!」

「っ、誰が!」

 シャーロットに勝てないと思い、ティルスディアを人質に取ろうと一人の男が手を伸ばす。

「このっ、逃げるな!」

「こんな状況で逃げない馬鹿はいないでしょう!」

 ティルスディアは慌てて起き上がり、逃げようと背を向けると、ちらりと銀色の刃が見えた。

 ざくり、と縄と縄が触れていた場所が切れた。

「っ……!」

 手首に焼けるような痛みが走ったが、幸い拘束は外れている。手首を見れば左手首に赤い線が出来ていた。

 ティルスディアはふっと笑う。

「拘束を解いてくださりありがとうございます」

 ティルスディアは花のような笑みを浮かべる。

「これで心置きなく……」

 ティルスディアは男の肩を掴むと、ぐっと引き寄せ、拳で男の鳩尾を叩き、そのまま股間を蹴り上げる。

「ごはっ!?」

 油断していた男はあまりの痛みに悶絶する。

「ふふ、か弱い御令嬢が本当に襲われては可愛そうですから、ついでに去勢もしておきましょう」

 甘いアルトの声。涙目でティルスディアを見れば、先ほどまで男が握っていたナイフがその手にあった。

 そして、ナイフの切っ先は、男の股間に据えられていた。

「ま、待て、それだけは……! ぎゃあああああああっ!!」

 ナイフは男の太腿に深々と刺さっていた。

「暴れるから狙いを外してしまいましたわ。可哀想に、この後王宮でちゃんと去勢してもらいましょうね」

 まったくもって可哀想と思っていない声音と表情だった。

 もう興味はないとティルスディアが立ち上がると、首に腕を回され、ぐいっと引っ張られた。

「ぐっ、アロアリス・マーシャル……」

 振り向けば、アリアロスがティルスディアを拘束していた。

「ふん、盗賊もどきを倒したくらいで、いい気になるなよ。シャーロット・フェリエ―ル、この女を解放してほしければ剣を捨てろ」

 アリアロスがシャーロットへ向かって言う。

 シャーロットの周りには彼に倒された男達が山積みにされていた。

 それを見てアリアロスは焦ったのだろう。ティルスディアを人質に取り直接脅すという行動に出た。

 シャーロットは言われた通り、剣を捨てる。

「これでいいか? いい加減、私のティルをその汚い手で触るな」

「ふん、よほどこの女が大事なようだな。やはり、私の目に狂いはなかった」

「狂いか。むしろ狂いまくっていると思うが?」

 シャーロットが不敵な笑みを浮かべる。

「私を殺して、第二王子であるサファルティアを王位に就けようとしていたのは知っている。だが、当の本人はその気はないそうだが?」

「貴様が死ねば仕方なくでも王にならざるを得ない」

「確かに、それならサフィに逃げ場は無いな。けど、サフィはお前を許しはしないだろう。むしろ憎んで、貴様を殺すと思わないのか?」

「何、バレなければいい。“シャーロット陛下は事故死”だったとそう処理すればよいのだからな。その後娘を正妃に据え、私はこの国の頂点に立つ!」

 シャーロットはもはや何とも言えない気持ちだ。

 自分が死ぬ云々以前に、何故父はこの男を宰相に据えたのかが不明過ぎた。

「バレなければ、か。どう思う? 私の可愛いサファルティア」

「ふん、恐怖で頭がおかしくなったか。サファルティア殿下は今頃王宮に……」

「いませんよ」

「は?」

 すぐそばで、男の声がした。聞いたことあるような、ないような。

「さて、茶番もここまでにして、帰ろう、私のサフィ」

「そうですね。“僕”もそろそろ飽きてきましたし」

 シャーロットと拘束しているティルスディアの会話は、声だけ聞いていればフェリエール兄弟の会話だ。

 だが、肝心のサファルティアの姿がない。

 いや、認めたくないだけかもしれない。

「うぐぁっ!?」

 突然、足の甲に鋭い痛みが走った。ティルスディアが思い切りアリアロスの足を踵で踏んでいた。

 思わずティルスディアを放してしまい、片足を抱えてぴょんぴょんと飛び跳ねる可愛くもないおっさんの兎ダンスに呆れながら、ティルスディア――サファルティアはシャーロットの元へ駆け寄る。

「シャーリー!」

「お帰り、私のサフィ」

 抱き締め合って再会を喜ぶのも束の間、血走った眼でアリアロスが二人を睨んでいた。

「き、さまらぁ……っ!! 殺してやる、2人まとめて殺してやるっ!」

「まさか、まだ僕に気付いてないんですか?」

 サファルティアが信じられないと目を見開く。

「気付いていても信じたくないのだろう。私のサフィがこんなに可愛いなんて」

「そんなこと言うのは陛下だけですよ」

「ティルスディア・キャロー、貴様は一体……」

 サファルティアはちらりとシャーロットの顔を見る。

 好きにしろとその目が優しく伝えてくれる。

「アリアロス・マーシャル。踵で踏まれた時、ヒールじゃなくて良かったですね。ヒールだったら足に穴が開いているところでしたよ?」

 言いながらサファルティアはウィッグを外す。

「お久しぶりです、マーシャル公爵」

 黒い髪に碧い瞳。女の時よりもずっと短い髪と、穏やかなテノールの声。

 兄とは異なる美しさを持つ第二王子、サファルティア・フェリエールがそこにいた。

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