第9話


「ティル!!」

 ティルスディアの目が覚めたという知らせを聞いたシャーロットは、仕事を片付けるとティルスディアの部屋へと駆けこんだ。

「ああ、私の愛しい人! 良かった……お前の目が覚めなかったらどうしようかと……」

 シャーロットに抱き締められたティルスディアは、腕の中で小さく息を吐く。

「ご心配をおかけしました」

 毒の影響が抜けきらないのか、囁くような声だった。

 ティルスディアとしてのアルトの声と、サファルティアの優しいテノールが混ざったような音は、シャーロットの鼓膜を擽る。

「ふ、掠れた声もいいな。とてもそそられる」

 唇を撫でられ、触れるだけのキスをされると恥ずかしくなって俯く。

「そういうつもりでは……」

「わかっているとも。だが、ティルがいない間、私は寂しくて死にそうだったんだ。もう少し触れ合ってもいいだろう?」

 言いながらティルスディアの手を取り、甲にキスをする。

「しょっちゅうこの部屋に来ていたと聞いていますが?」

「照れているティルも愛らしいな」

 もはやティルスディアならなんでもいいという状態のシャーロットに、喜ぶべきか悲しむべきか、呆れるほうがいいだろうかと考え始めてしまった。

「陛下。ティルスディア様は目覚めたばかりですので、あまりご無理はさせないように」

 控えていたメイド長がシャーロットえをギロリと睨み釘を刺す。

 サファルティアが幼いことから世話になっているメイド長には、シャーロットも頭が上がらない。

「はぁ。もう少しティルと触れ合いたいが、そうもいかないか……」

 至極残念そうにシャーロットため息を吐く。

「まぁ、テイルスディアもあの後のことは気になっているだろうしな」

 茶会で倒れた後、ティルスディアは王宮医から何の毒を盛られたのか、という話は聞いていたが、その場にいたご夫人方はどうなったのかは聞かされていない。

 ただ、毒に倒れたのはティルスディアだけだったというのが救いだろうか。

「教えていただけますか?」

 ティルスディアがシャーロットに聞けば、「もちろん」と返ってくる。

「だが、声を出すのが辛ければ、相槌だけでもいい。ティルに無理をさせたいわけではないからな」

「お気遣い痛み入ります」

 律儀にベッド上でもお辞儀するティルスディアに苦笑しながらも、シャーロットはティルスディアの手を握りながら現在の状況を共有する。

「まず、毒を盛った実行犯は既に掴まっている。王宮に奉仕するようになって間もないメイドだ。金を握らされて、頼まれたと言っている」

 ティルスディアは頷く。

「今回の茶会、毒見役はつけていたが、毒を盛ったのはその毒見だった。おかげですぐに見つかったのは幸いだが、毒を持ち込んだ黒幕とも呼べる人物の特定はまだできていない」

 ティルスディアは首を傾げる。

 黒幕の特定はできていない、と言いつつも恐らくシャーロットは目星くらいはつけているはずだ。

「もちろん、目星はつけている。メルセガヌ伯爵だ。メイドの白状した人物像と、彼の人相画がほぼ一致していることを、ティルが目覚める少し前に確認した」

 であれば、後はメルセガヌ伯爵を取り押さえ、聴取無いし、調査する方向に動いているのだろう。

 しかし、何故ティルスディアに毒を盛ったのか。

 動機が見えない。

 考え込むティルスディアの頬を、シャーロットが撫でる。

「ティルはもう少し休んでいろ。後は私の方で処理しておく」

「……ですが」

「私の大切なティルに毒を盛ったんだ。それ相応の報復は必要だろう?」

 シャーロットの言葉に、ティルスディアはゾクリと背筋が悪寒で震える。

 昔からこの兄は一度理性が切れると案外過激なのだ。年を重ねて落ち着いたかと思えば、そうではなさそうだ。

「ほ、ほどほどにしてくださいね……?」

 せめて法に触れるようなことだけはしてくれるな、とティルスディアは目で訴える。

「ああ、やっぱりティルに見つめられるのは良いな。その瞳を食べてしまおうか」

「ちょっ、ひっ……!」

 眼球を舐められそうになり、ティルスディアはとっさに身を引く。

 シャーロットは「冗談だ」と笑っていたが、今回の件でティルスディアはシャーロットの開けてはいけない箱を開けたのかもしれないと、ちょっとだけ怖くなる。

「シャーロット陛下、お戯れもほどほどに。ティルスディア様はまだ病み上がりなのですから」

 二度目のメイド長の忠告に、シャーロットもぎくりと固まる。

 このメイド長は亡き母よりも厳しいのだ。

 サファルティアを息子のように可愛がっている彼女も、今回のことは内心腸が煮え繰り返っているだろうが、表に出さないのは長年王宮とサファルティアに仕えてきたからだろう。

 その忠誠心をシャーロットは高く評価している。だからこそ、頭が上がらないというのもある。

「名残惜しいが、そろそろメルセガヌも王宮に着く。自白が得られればすぐにでも処分が決まるだろう」

 そうなれば、メルセガヌ伯爵は確実に処刑される。

 罪人の処刑を見るのは初めてではないにしろ、見るのは慣れないし楽しめるものではない。

 ただ、処分を決めた王族のひとりとして、命の重さを実感しながら、シャーロットだけに背負わせるわけにはいかないという決意だけが胸にある。

「はい。その日は必ずおそばにおりますわ」

 幼い頃から、未来を背負う王族として2人で支え合ってきた。

 今も、隣に並ぶことが許され、互いを支え合っている。

 シャーロットもティルスディアの想いが嬉しくて、触れるだけのキスをする。

 それから名残惜し気にティルスディアの部屋を後にした。



 メルセガヌを捕えている牢では、拷問が行われていた。

「陛下!? 何故このような場所に……」

 尋問を担当していた兵士が驚いた顔をする。

「私のティルを殺そうとした男の顔を、一度くらいは見ておこうと思ってな」

 その瞳は、ティルスディアに向けるものとは真逆の憎悪の色に染まっている。

「で、クロウィセン・メルセガヌ伯爵。何故私のティルを殺そうとした?」

 鞭で散々痛めつけられたのだろう。動きは緩慢ではあったが、シャーロットの顔を見れば真っ青になる。

「っ、わ、 私はただ、ティルスディアを殺せば金をくれてやると……!」

「なるほど、金よりも私のティルスディアの命の方が軽い、か」

 シャーロットは酷薄な笑みを浮かべる。

「私だって、こんなことはしたくなかった! だが、金がなければ家族を守るなんて……」

「だとしても、王族を手にかければどうなるか、などこの国に生まれたものなら幼子でもわかるだろう。家族諸共破滅を選ぶ愚か者など、私の臣下としては相応しくない」

 この国の法では、王族に手を出せば処刑だ。

 ティルスディアは側妃だが、シャーロットに輿入れした時点で王族と同じ扱いになる。そうでなくとも、ティルスディアの本当の姿はこの国の第二王子、サファルティア。いずれにしてもクロウィセン・メルセガヌはその責任を取らされる。

 そして、その家族は処刑を免れたとしても国外追放、あるいは路頭に迷うしかない。

「まぁいい。貴様の処刑は既に決定事項だ。それで、その金をくれてやると言ったやつは誰だ?」

 メルセガヌは絶望的な顔をしながらも首を横に振る。

「し、知らないっ! 突然手紙と毒薬と金が送られてきて、名前も無くて……」

「随分と気前がいいことをするな。本当に心当たりはないのか?」

「ほ、本当だ! 私は知らないっ!!」

 嘘を吐いているようには見えない。

 最も、知っていたとしても死ぬのが決まっている時点で本当のことは言わないだろうことはわかっていた。

 シャーロットは詰まらなさそうな表情をした後、小さく舌打ちする。

「もう少し痛めつけておけ。私のティルが受けた苦痛をその身に刻んでから殺してやる」

 尋問官にそう指示を出すと、シャーロットは牢を後にした。

 

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