第10話


 ティルスディアが毒の影響から回復し、動けるようになってから数日後、クロウィセン・メルセガヌの処刑が行われることになった。

 処刑場となる広場には大勢の民衆が集まっていた。

 王族の為に用意された席には、シャーロットとティルスディアが座っている。

「ティル、辛ければ見なくていい」

 シャーロットは沈痛な表情で、着々と処刑の準備が進められている中央の台を見ているテイルスディアの目を手で覆う。

 ティルスディアはその手をそっと外す。

「大丈夫です。これも務めですから……」

 ティルスディア――サファルティアは幼い頃から王族の務めを放棄することだけはしなかった。

 本当は、処刑も争いも大嫌いな平和主義者であるサファルティアにとって、人が死ぬ瞬間は何よりもストレスだ。

 シャーロットにとって、今回の処刑は何の感情も浮かばないが、最愛の伴侶である彼に負担をかけたいわけではない。

 だけど頑固なサファルティアは、これも務めだからと言って譲らないし、何よりもシャーロットの責務を一緒に背負いたい。そんなサファルティアの気持ちがシャーロットは、愛おしくて仕方ない。

 やっぱり、自分に相応しい妃は彼しかいないと、シャーロットは思う。

「ところで陛下、メルセガヌがわたくしを殺そうとしたのは、本当にお金が動機だったのですか?」

「本人はそう言っているな。実際、調査してみたところいくつもの事業に失敗して、あちこちで借金を作っていたようだ」

 ティルスディアは考え込むように扇で口元を隠す。

 それを見ながら、女性の振る舞いが本当にうまくなったなぁ、とシャーロットは感心する。

「ティルを殺してどれくらいの金が入るのか、誰が得するのか、はまだ調査中だ」

 ティルスディアが聞きたいだろうことを先回りして答えれば、ティルスディアはちょいちょいとシャーロットの袖を引く。

 はた目には王に甘える寵妃に見えるだろう。

「それ、“僕”が調査に介入することは可能ですか?」

 サファルティアの声で甘えるように小さく聞けば、シャーロットの耳はゾクリと震える。

「サフィ、私を弄んで楽しいか?」

「弄ぶなんて人聞きの悪い……。僕はただ、陛下にお願いしているだけですよ」

 サファルティアの表情で微笑めば、シャーロットの頬が赤くなり「この小悪魔め」と悪態を吐く。

「危険なことはしないと約束できるか?」

「保証はできませんが、努力します。それに、多分今回の件は僕の派閥を名乗る人間が絡んでるような気がします」

「まぁ、可能性はあるな」

「なら、僕が動いたほうが早く調査が進むと思います」

 サファルティアが王子の権限で騎士たちを動かせば、向こうから何かしらの接触はあるだろう。

 ティルスディアを狙ったということは、ティルスディアが邪魔だという人間。もしくはシャーロットへの遠回しな脅迫をする動機がある人間ということになる。

「わかった。この件はサフィに任せよう。後で正式な任命書を出す」

「ありがとうございます。僕は陛下のそういうところが大好きです」

 こっそりシャーロットの頬にキスをして、ティルスディアの表情を作って座り直す。

 横でシャーロットが理性と戦っているということには気づいていない。

 そんな夫婦のやり取りの間にも処刑の準備が進んでいく。

 最終的な調整が済んだのか、しばらくするとわあっと民衆から声が上がる。

 その大半は罵声と嘲笑と娯楽に対する愉悦だ。

 ティルスディアの膝の上にある手が、ぎゅっと握りしめられる。

 シャーロットはその手をそっと握り、事の成り行きを見守る。

「これより、クロウィセン・メルセガヌの処刑を行う。罪状は、ティルスディア・キャロー殿下の殺害未遂。これは、王族への叛逆とも捉えられる行為。法に従い、この者を斬首とする」

 絶望の表情をしたクロウィセン・メルセガヌが断頭台へ乗せられ、首を木の輪で固定されると、処刑専門の騎士が横に立つ。

 そして、メルセガヌの首が剣によって胴体と切り離される。

 飛び散る血飛沫や、人々の歓声に吐きそうになる。

「ティル……」

「っ、大丈夫、です」

 シャーロットはティルスディアを今すぐ抱き締めて、もう見なくていいと言ってやりたいが、本人が望まない。

 ティルスディアは――サファルティアは優しすぎる。どんなに残酷な結果になっても、受け止める覚悟はしているが、それに慣れることはないのだろう。

 その清さが、シャーロットには好ましく映る。自分は、そんなものを当の昔に捨てた。王になる以上、個人の感情に振り回されていては、国を導くことなど出来ない。

 死体はゴミのように扱われ、これから罪人を郊外にある墓場に打ち捨てられる。

 彼の親族は、この後国外へ無一文で放り出される。

 罪人の末路とは、こうも残酷で悲惨なのだと民衆に見せつけて、国の平和を保つのだ。

 正義感だけでは国は成り立たない。サファルティアとてわかっている。

(でも……)

 ティルスディアはちらりとシャーロットを見る。

 その背に大きすぎるものを背負っている。

 小さな頃からそう教えられてきた。そして、それに見合う努力をしていることを、知っている。

 シャーロットが唯一個人的な感情を表に出せるのは、サファルティアのことだけ。

 それほどまでに周りは彼を追い詰めている。なら、それを支えるのはやっぱり自分の役目だと、今日の処刑を見て思うのだ。

「もういいだろう。行こうか、ティルスディア」

「はい、陛下」

 差し出されたシャーロットの手を取り、ティルスディアは処刑場を後にした。


 翌日、シャーロットの名前でサファルティアに対して正式に、今回の“側妃ティルスディア毒殺未遂事件”について調査するよう命令が下った。

(とはいえ、僕が昼間に堂々と動けるわけじゃないんだけど……)

 昼間はティルスディアとしての仕事がある。それでも毒から回復したばかり、ということでいつもよりは仕事量が抑えられている。どうしても時間が欲しい場合は、ティルスディアは寝込んでいることにした。

「ティル! 具合が悪いとはどういう……」

 ティルスディアのままだとドレスが邪魔で動きにくいので、隠し通路を使って自分の部屋に戻ろうとしていたところだった。

 シャーロットがティルスディアの不調を聞きつけてすっ飛んできた。

「陛下……」

 ちゃんと伝えられなかった自分が悪いとはいえ、いくら何でも仕事を放りだしすぎだ。

 いや、毒殺されそうになったことが尾を引いているのかもしれないが、それにしたって早すぎる。

 事件の調査が難航するより、シャーロットのことの方が頭が痛い。

「陛下、こちらへ」

 ティルスディアはシャーロットを寝室に誘導する。

「ん? 添い寝が必要か?」

 嬉しそうな表情のシャーロットだが、ティルスディアはにっこり笑う。そして、その目は一切笑っていない。

「そんなわけないでしょう」

 ティルスディアの声ではなく、サファルティアの冷たい声が麗しい唇から紡がれる。

「まず最初に、僕はいたって元気です」

「そ、そうか。それは良かった」

「いいですか? 陛下。最初から何度も言いますが、僕は昼間ティルスディアでいなくてはなりません」

 サファルティアが淡々としゃべり始める。

「そうだな」

「ですが今回、僕は陛下にお願いして、ティルスディア毒殺未遂の裏にいる黒幕を探すよう命じてもらいました」

「そうだな」

「さて質問です。僕は、いつ調査をすればいいですか?」

 正直に言えば、サファルティアが犯人を捕まえようが逃がそうがどうでもいい。そばにいてくれさえいればいいのだ。

 だが、サファルティアの“シャーロットの為に何かしたい”という気持ちを汲むのであれば見守るべきだが、昼間はティルスディアとして生活しているし、夜は一緒に寝てほしい。

 当然、サファルティアとしていられる時間はシャーロットの時間に宛がわれることになるだろうが、そうするとサファルティアはシャーロットが部屋に来るまでの時間か、或いは明け方のほんのわずかな時間しかない。

 さすがに徹夜で調査はサファルティアも難しい。

 結論、サファルティアには無理。ということになってしまうのだが、それはサファルティアの矜持を傷つける。

 となると何かしらの時間を犠牲にしなければならない。

 そして、毒殺されそうになったティルスディアだからこそ、今は多少の融通が効く。

 と、答えは簡単に出たが、それでなぜサファルティアが怒っているのかがわからない。

「そもそも、お前の権限ならある程度人は動かせるだろう」

「はい、そうですね。でも、ティルスディアが指示書を出したらおかしいでしょうが!」

「それこそ人を使えばいい」

 あっさり言ってのけるが、サファルティアはブチリと何かが切れる音が、頭の中で聞こえた気がした。

「だ・か・ら! ティルスディアの部屋からサファルティアの指示書が出てきたらおかしいですよね!? そう何度も同じ手が使えると思ってるんですか? 何のために僕が正体隠してまで側妃してると思ってるんですか!?」

 そもそも、女装して側妃になったのは、シャーロットとの派閥争いと、彼の縁談避けの為である。同性婚が許されないうえ、ティスルディアの正体がバレればシャーロットの立場が悪くなることが嫌だからサファルティアも必死になって正体を隠そうとする。

 シャーロットはバレてもいいと思っているが、サファルティアの努力を無駄にしたくは無いし、下手にバラせばまた派閥争いになる。

 シャーロットにその意志がなくても、サファルティアが殺されるか、その逆もあり得るのだ。

「今回はティルスディアが狙われましたが、陛下が一番危険な立場なんです。……僕に王としての器はありませんし、絶対王になんてなりたくありません。何より、あなたがいなくなるのは耐えられない……」

 泣きそうなサファルティアを抱き締める。

「その、すまなかった……」

「謝るくらいなら、僕の不調ぐらいで仕事を放り出さないでください」

 底冷えするようなサファルティアの声が、シャーロットの耳元から聞こえる。

 快感とは違う悪寒が背筋を這った。

「痛い痛いっ! サフィ、少し加減してくれ!」

 サファルティアはシャーロットの尻肉を思い切り抓り上げる。

 この後の仕事を痛みで悲鳴をあげながらすればいい、と心の中で思いながら。

「いいですか。本当に僕が不調ならちゃんと知らせを出します。ティルスディアじゃなくて、サファルティアとして。そうじゃなかったら仕事だけは絶対にしてください!」

「う、わ、わかった……」

「次やったら離婚ですからね!」

「それは困る。サフィがいなくなったら私は仕事なんて手につかない」

「馬鹿なこと言わないでください。あなたは、この国の王なんですよ」

 シャーロットは小さく息を吐く。

「お前は、私が王じゃなかったら結婚しなかったか?」

「まさか。僕はシャーリーが好きですよ。ただ、あなたが王になろうとする姿を見て育ちましたから、その仕事をぶりをそばで見ているのも好きなんです」

 幼い頃から、兄シャーロットは、サファルティアの憧れだった。強く、賢く、美しくて、愛情深い。サファルティアが好きな兄。それが恋心に変わっただけで、気持ちが変わるわけではない。

「はい、わかったら仕事に戻ってください! あなたがこの部屋にいると僕も自由に動けませんので」

 甘い言葉のあと、あっさりと寝室を追い出され、シャーロットはがっくりと項垂れる。

「本当に、頑固だなぁ……」

 一途と言えば聞こえはいいのだろうが、その真っ直ぐさが、シャーロットには眩しく映る。

 もっと甘えてくれていいのに、と思ってしまう。

 好きな人の為に何かしたい、というのはシャーロットも同じだ。

 しかし、任せると言った手前仕事を取り上げるのは、サファルティアの信頼を裏切り、矜持を傷つける行為でもある。だからこそ、もどかしい。

「サフィ……」

 シャーロットはもうしばらく様子を見ようと、ティルスディアの部屋を後にした。

 シャーロットを追い出したあと、寝室からサファルティアの部屋へと抜ける隠し通路へと入る。

(最近、過保護すぎる……)

 ティルスディアに毒を盛られたせいだろう。大切にしてもらえているという実感はあるし、嬉しくないわけではない。

 だけど、何もしないお飾りの王弟や側妃のままでいたくない。もっとシャーロットの為に慣れる自分でありたい。


 ――彼を、独りにはしたくない。


 その為にもまず、今回のティルスディア毒殺未遂事件の黒幕を探さなくてはならない。

 サファルティアはウィッグや女物のアクセサリーを外しながら今後を考える。

 

 

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