第3話
父王が危篤、その知らせを聞いたシャーロットとサファルティアは政務を放り出して、父の寝室へと向かった。
3年前に病に斃れた時からある程度覚悟していたとはいえ、先月のサファルティアの誕生パーティについて話していた時は、それほど深刻には見えなかった。
「陛下!」「父上!」
駆け込んだ寝室では、王宮医が沈痛な面持ちで項垂れていた。
「シャーリー、サフィ、か……」
弱々しい父の声に、二人は寝台のそばに行くと父王――ノクアルドの表情は土気色を通り越して紙のように白かった。
生気も感じられず、本当にこれが最後なのだと察せられた。
「立派に成長、したな……。シャーリー、苦労をかける」
「そんなことを仰らないでください。まだ、父上には元気でいてもらわなくては」
そんなこと無理だとシャーロットもわかっている。厳しくも愛情深い父を尊敬していたから、別れはやはり切ない。
ノクアルドは「彼女が迎えに来てくれたんだ」と嬉しそうに笑った。
ノクアルドの妻であり、王妃だったクルージア・フェリエールは、シャーロット達が幼い頃に病で亡くなっている。
彼女の忘れ形見である息子達は立派に成長し、父としての役目は果たしたとばかりにノクアルドは深い息を吐く。
「サフィ」
「はい、父上」
サファルティアも父のベッドのそばへと近づく。
「お前は、好きに生きなさい。もう立派な成人男子だ。お前が望めば、シャーリーがその通りにしてくれるだろう」
「っ……」
父の突き放したような言葉に一瞬衝撃を受けた。
だけど、これが父の優しさだと、サファルティアは理解している。
「僕は、もうすでにやりたいことをやっています。僕は、父上や兄上の役に立ちたい……」
紛れもないサファルティアの本心だった。
ノクアルドは真面目で家族思いで、優しいサファルティアにかつての友人の面影を見る。
(ああ、あの男も本当に頑固で困ったやつだったな……)
もうこの世にはいない、幼馴染みの青年を思い出して、ノクアルドは小さく笑う。
シャーロットもサファルティアも兄弟としてとても仲が良く、互いを支え合っている。
きっと、シャーロットの治世もこの国は大丈夫だろう。
そのうち素敵な女性を妃に迎えて、結婚して、孫が生まれる。
サファルティアも同じように、愛する人が見つかればいいと切に願った。
それが見られないのは、少し残念ではあるが、ノクアルドは最愛の息子たちに看取られて、十分幸せだった。
「後は、任せたぞ」
国王としてそれだけ伝えると、ノクアルドは目を閉じた。
そしてその目は二度と開かれることはなかった――。
残された兄弟は、悲しむ間もなく葬儀や手続きといったものに追われた。
ノクアルドが崩御した数か月後に、シャーロットが即位した。
「お疲れさまです、兄上。いえ、もう兄上とは呼べませんね、シャーロット国王陛下」
サファルティアが即位後のシャーロットを訪ねて行くと、シャーロットは少しだけ寂しそうな表情をした。
「やめてくれ。サフィに他人行儀にされたら私は寂しくて死んでしまう」
「あはは、それだけ冗談が言えるなら大丈夫ですよ。それよりも儀式が滞りなく終わって良かったです」
シャーロットが即位するまでのこの数か月、先王ノクアルドの葬儀やそれに関わる儀式や国民への通達など、やることは山のようにあった。喪に服す、なんて言いながらも悲しみを癒す時間もなくシャーロットの国王即位の儀式をいつやるか、なども同時進行で進めなくてはならず、それはそれは忙しかった。
しかし、それもやっと一区切りがついた。
まだ残っている儀式や祭典等はあるが、それでも一息入れるくらいの余裕が出来た。
「はぁ……。それにしても父が亡くなってまだ数か月だというのに、これはヒドイ」
シャーロットの執務机の上には国内外から縁談の紹介状や推薦状が積まれていた。
「仕方ないですよ。兄上には婚約者がいませんし、皆次の王妃に期待を寄せているのでしょう」
「お前も王位継承権を持っているのだぞ。サフィが結婚することもあり得るだろう」
シャーロットの言葉にサファルティアは首を振る。
「僕は、王に向いてませんし、結婚するつもりもありません」
サファルティアは、王族に相応しく優秀だと誰もが褒めたたえる。だけど、それはひとえに愛する人の為であって、自分が王になりたくてしたことではない。
「僕に王位継承権があっても、相応しくないのは陛下が一番よく知っているでしょう?」
サファルティアの出自に疑いがあるのは、王宮内の誰もが知っていることだ。
王弟にはよくあることだが、その正解を知っているのはもう兄でるシャーロット以外にはいない。
「私は、サフィが王に相応しくないなんて思っていない。というか、誰も思わない。お前の努力は誰もが認めるところであり、だからこそ派閥なんて出来るのだからな」
「ああ、そんな話ありましたね。僕は興味ないので適当にあしらってますが……」
「そんなんだから、過激派も出てくる」
「無駄なことですね。まぁ、見つけらたこちらで処理しておきます」
と、呑気なことをサファルティアは言うが、実際はそれほど穏やかではない。
サファルティアもわかってはいるが、シャーロットが即位したばかりでそんな馬鹿なことを考える人間がいるのか、と疑いたくないだけである。
サファルティアもこの数か月、シャーロットの為に奔走し、少し疲れていたのもあっただろう。
「サフィ、お前が平和主義者で私は嬉しいよ。でも、お前が思っているほど、王宮内は一枚岩じゃないぞ」
「わかっています。でも、僕は陛下に叛意はありませんから、それだけは信じてほしいです」
切実なサファルティアの気持ちを疑っているわけではない。
しかし、シャルスリア王国は法治国家と言えども、最終的な権限は王族にある。そこを利用しようとする輩は少なからずいるのも事実だ。
シャーロットは立ち上がるとサファルティアに近づく。
「へ、陛下!?」
驚いたサファルティアは距離を取ろうとするが、それより早くシャーロットがサファルティアを抱き締めた。
「私の可愛いサフィ」
「ひぅっ!」
耳元で囁かれ、思わず変な声が出てしまった。
「へ、いか。近いです……」
逃れようにもシャーロットの腕の力はサファルティアが思っているよりも強く、逃がさないとばかりにさらに力を込められる。
「サフィが私に叛意がないのも、私を慕ってくれているのもわかっている」
サファルティアはハッとする。
まさか、サファルティアが長年秘めていた気持ちに気付かれているなんて思ってもいなく、どうしていいかわからず羞恥で埋まってしまいたい。
「私もサフィを愛しいと思っていると言ったら、どうする?」
「……はい?」
シャーロットの思わぬ告白に、サファルティアは動揺する。
王弟としてなら、戯れだと突っぱねればいい。その真意を確かめるべくサファルティアが顔を上げると、真摯な眼差しのシャーロットと目が合う。
「ぁ……」
ドクリと心臓が跳ねて、何か言いたいのに声が出ない。
シャーロットの欲を秘めた瞳から目が離せなくて、サファルティアが戸惑っていると唇を撫でられ、口付けられる。
「んぅっ!?」
突然のことに身動きが出来ない。触れるだけのそれは、すぐに離れてしまいサファルティアはほんの少し寂しく思う。
「私が戯れでこんなことをすると思うか?」
問いかけるシャーロットに、サファルティアは緩く首を振る。
兄弟で冗談を言い合うことはあっても、こんな表情で、こんな冗談を言えるような人ではないのは、サファルティアがよく知っている。
「ぼ、くは……」
「サファルティア。どうか私の妃になってほしい」
シャーロットの言葉には力がある。本人にその意図がなくとも、そう捉えるさせることが出来てしまう。
懇願するようでいて、命令にも近い言葉は特に。
「馬鹿なことを言わないでください!」
それでもサファルティアは僅かな抵抗を示す。
「王が自ら法を破ってどうするんです! だいたい、僕は弟で、あなたは王だ。僕にはその資格がないっ……!」
シャルスリア王国は同性婚を認めていない。
そして、シャーロットとサファルティアは“兄弟”なのだ。当然、世継ぎも産めない男で弟であるサファルティアが妃になんて認められるはずがない。
「ならば女になればいい」
「は? そんなの無理に……」
シャーロットがサファルティアの喉を撫でる。
「女声はお前の特技だろう」
それはそうだが、それは遊びの範疇であって、政務には何の役にも立たないし、女声が出せるからと言って女になれるわけではない。
「私は、お前が見知らぬ令嬢と結婚するのを見るのが嫌だし、誰かにとられるのも嫌だ。政敵になるのも、私自身が他の誰かと結婚するのも。サフィ以外には考えたくない」
王として、それはイケナイことだとわかっている。それでも、サファルティアの出自を知り、彼と共にいることで芽生えたこの気持ちに嘘はつきたくなかった。
「愛している、サファルティア」
再び口付けられて、サファルティアは胸が締め付けられる。
シャーロットの気持ちは分かった。だけど、王族としてはきっと間違った恋だ。
「……少し、考えさせてください」
好きな人に告白されて、嬉しくないわけではない。
だけど、王族である以上国のことも考えなくてはならない。板挟みになっているサファルティアの心は、シャーロットにも痛いほどわかる。
「わかった。だけど、あまり長くは待てない」
長引かせれば、サファルティアを懐柔しようとする輩が彼に接触しようとするだろう。
もしくは、シャーロットに直接危害を加える可能性もあるし、望まない結婚も視野に入れなくてはならなくなる。
サファルティアもそれはわかっているので、小さく頷いた。
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