15件目 臆病で、ずるい私の声

 はぁ〜っ、どうして私は聞こえてなかったふりなんてしたのかなぁ……。

 心の中で大きくため息をつく。

 その『聞こえてなかったふり』の結果として、今は康太くんと近所のスーパーに買い物に来ている。

 

「里見さんはすき焼きには鶏肉派ですか?牛肉派ですか?」


 隣で嬉しそうに問いかけてくる彼を見ていると、なんだかそんな後悔も吹き飛びそうになる。


「んーっと、私は普段鶏肉入れてるけど…」

「えっ、俺もです!とは言っても、自分で料理してたわけじゃないんですけどね…」

「そうだったんだ。それじゃあ、今回は鶏肉にする?」

「そうしましょう!」


 目を輝かせながら、かごに鶏肉を入れる。

 あぁ、幸せだなぁ——。

 そう思ったときには、私は彼と腕を組んでいた。


「えっ、里見さん…!?」

「ん、なぁに?」

「いや…そんなにくっついたら転んじゃうかもしれないですよ…」

「嫌ではないんだ。じゃあ、このままくっついとくから、転びそうになったら支えてね」

「ま、まぁ、里見さんがそれでいいのなら……」


 これくらいは、許してくれるわよね——。


「次こそはちゃんと受け止めるから…」


 彼には聞こえない程度の小さな声で囁く。臆病で、ずるい私の声。

 今はもう少しだけ、このままで。

 なんて思っていると、どこからか聞き慣れた声が私の名前を呼んだ。


「あれ、里見じゃん。それとお兄さん、二人でなにしてんの?」


 響子だ。今までここで会ったことなんてないのに。どうして今日に限って買い物しに来るのよ。

 腕を組んで歩く私たちを見て、彼女は不愉快なほどに口角を上げる。


「あれーっ、もしかしてデートだったぁ?てか、わんちゃんもう結婚してたり?」


 その言葉を聞いて、康太くんは顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。


「もうっ、変なこと言わないの。康太くんとは、まだそんな関係じゃないんだから」

「へぇー。まだ、ねぇ」


 案の定揶揄ってくるが、否定することはなかった。


「ほら、こんな万年独身の女は放っておいて行きましょ、康太くん」

「あっ、はい。それじゃあ響子さん、また」

「またねー」


 逃げるようにその場を後にする。

 そして、振り返ってみると、相変わらず響子は口角を上げながらこちらを眺めていた。

 そんな彼女の唇が大袈裟に動く。


『が・ん・ば・れ』


 なんとなくだけれども、そう読み取れるように感じた。

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