もしも過去に戻れたら
私が小説家デビューを果たしたのは、けっして小説が好きな訳でも、幼い頃から書いていて、なるべくしてなったというような明るいストーリーではなかった。
あの時、私はただ、一刻も早く大金が必要だっただけだった。
「行ってきます」
いつも通り、私は誰もいなくなった家の中に向けてそう言い残し、扉をくぐる。やはり「行ってらっしゃい」の言葉はない。
昨日まで満開だった庭の桜の花びらも、風に散らされ緑が目立つ。
時の進みを感じ、チクリと痛む胸の痛みが、あの日の記憶を想起した。
……母が倒れた。小雪の降る寒々しいある日の事、私はその知らせを、バイトへ向かうバスの中で聞いた。母はある病気になったらしい。それは最も有名で、最もなりたくない最悪の病。
「治療には三百万も必要だって……」
電話越しで、母は涙ながらにそう言った。
私は、そんな母の声を聞きたくなくて、とっさに「安心して、そのくらい私がなんとかするから!」と言ってしまった。当然ながら、私にそんな額の貯金はない。
でも、あてはあった……数日前に見かけた、ラノベコンクールの賞金三百万円。そんな、不可能としか思えない、針の穴程の希望に私は賭けるしかなかった。
それからはもう地獄だった。一から小説について学び、過去の大賞作品を読み漁った。並行してバイトも行い、少しでもお金を作ろうとした。体調を崩したって辞めることはできない。当然だ……ただの素人がプロ相手に張り合おうとしてるんだ、こんなことで休んでいる暇なんてない!
動け!動け!と自分を鼓舞し、日々弱々しくなっていく母のためにも努力を続けた。
でも、全てが終わってから思ったんだ……私の選択は間違っていたって。
お金がなくたって、母のそばにいれば良かった。三百万は手に入った。でも、三百万が手に入ったって、今更こんなものに意味はないってのに。
もっと一緒に、あと、ほんの少しでも、話したっかた。
「ねぇ……お母さん」
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