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用途限定の搭乗ライセンスを発行するのに二週間かかった。これでも異例の早さだ。過去の試験実績が評価されたことで、本来十工程以上ある審査を半分以下に減らすことができた。
【インテグレーテッド・アリーナ】は、UDFアカデミー全敷地の約四割を占める大規模試走施設だ。そのメインドームを貸し切ったのだという。どのくらいの費用が掛かったか、考えただけでもお腹が痛くなってきそうである。
まずは軽めのテストランから、ということになった。
ドーム型のテストフィールドは既に晴天がシミュレートされていた。モジュール化された地面が盛り上がり仮想の市街地を形成。そこに【スウォーム】タイプが十六体と【ストーカー】タイプが四体、決められた周期に従って巡回している──言うまでもないが、全て教練用ドローンにホログラム投影された模擬ユニットだ。
ドームの隅に併設されたガレージに私はいた。見上げると、耐静電素材の簡易足場に囲まれたアーコスが静かに立ち尽くしている。装備構成は、私がシミュレータで使っていたのと同じでショットガンとパイルバンカー。アーコスの装甲は電磁波偏光特性を持つメタマテリアルの含まれた塗料でペイントされており、正面から見ると真っ黒なのに、角度を変えると油膜のような虹色に輝いて見えた。アシュの説明によれば、ネミスの感覚器官が照射する特定の周波数の電磁波を拡散し、奴らの認識を撹乱する機能があるらしい。とは言えこんなデカブツを奴らの目から完璧に隠すことなんてできず、せいぜい『高速でジグザグに動いていれば敵の照準をある程度外せる』という程度のものだそうだ。アーコスを間近で見るのなんてそれこそ四年ぶりだった。自分の中の錆びついた認知を、新たに得た知見によって一つずつアップデートしていく。
「システムの調整完了したよーっ」
背後から声がした。
振り返ると、つなぎを着た二人組が近づいてきた。片方はお馴染みアシュ・レンベルク。もう一人は知らない女性だ。長身の美人で、アシュと同じアカデミー指定のつなぎを着ているものの、上半身は脱いで腰のところで結ばれており、代わりにヘソ出しのタンクトップを着ている。露出の多い肌はおよそ完璧な小麦色で、どこに出しても恥ずかしくないほど引き締まった身体には無駄な肉ひとつ付いていない。そのくせ脂肪が付くべき場所にはしっかり付いているのだから人体って不思議。歳上みたいだから、先輩のアーキニアだろうか……? いや、それよりも広報用のキャンペーンモデルと言われた方がしっくりくる。
「この人は学生で、アーキニアだよ」
私の思考を見透かしたようにアシュが苦笑すると、「それ以外の何に見えるんだよ」と女性がアシュの頭を小突く。
「あの、初めまして。えっと、」
「修士一年のシアン・イツキ。シアンでいいよ。カレンちゃんだよね、アシュから聞いてる。よろしくー」
「よろしくお願いします、シアン先輩」
軽く頭を下げる。そういえばアシュの風評の一つに、修士の先輩を誑し込んでいるというのがあったが彼女のことか。誑し込んでいるというよりは、尻に敷かれている感じがするけれど……。
「それにしても様になってるじゃん。そのまま広報用のスチルにお出しして良いくらい」
シアンが腕を組んで大きく頷く。
「うん。いつ見てもNISはいいね……我々アーキニアのロマンが詰まっているね……」
こちらを見るアシュはどことなく怪しい目つきな気がする。
NIS。正式名称を
が、一つだけ無視できない欠点がある。神経接続用の装備であるという性質上、衣装は体表にぴったり密着させる必要がある。スーツの内側にはマイクロコンプレッションバンドが搭載されており、着用者の体型に合わせて自動的にフィットするようになっているのだ。ストライダーの第二の皮膚、なんて比喩は伊達ではない。
つまり、人前で立っているのすら恥ずかしくなるくらいには体型が出る衣装なのだ。
とてもじゃないけど大して親しくもないやつが無遠慮に見ていい格好ではないのである。
「じろじろ見るなっ!」
「ぶべっ」
私の鋭い回し蹴りが不躾な視線の主の鼻先数ミリを掠め、反射的に回避しようとしたアシュはたたらを踏んで尻餅をつく。そんな私たちを見て腹を抱えて大笑いするシアンの「だはははははは!」という笑い声に釣られて、ガレージの各所に散っていた学生や教員たちが一斉にこちらを向き、私はますます顔が熱くなる。
「いったいなぁもう……」
アシュがお尻をさすりながら立ち上がる。
「ただ見てただけじゃないか」
「……視線がいやらしかった」
「いやらしいとは失礼な。NISの機能美に浸っていただけだよ」
「そうだとしても嫌なものは嫌なの!」
「わっかんないなぁ。なにが嫌なんだよ」
「……この服、身体のラインが出るから」
ああ、とアシュは頷いて、
「心配しなくていいよ。【スレッド】ならともかく、あなたの身体にはこれっぽっちも興味ないから。見てたのはあくまでスーツの方だけだって」
「…………」
ここで姉を引き合いに出されると、勝てる気が全くしないのが悔しい。
なんやかんやありつつも各所で最終調整が完了し、規定の時刻がやってきた。
自動昇降式プラットフォームに運ばれて、アーコスの胸部装甲の前に立つ。アーコスは型によってコックピットの位置に違いがあり、今回乗るのは最もスタンダードな胸部コアタイプだ。真っ黒い装甲が重い駆動音を唸らせて上下に分かれて開き、内蔵されたカプセル状のコックピットが露出する。機械油と金属のブレンドされた工業的な匂いが鼻腔を強く刺激し、心拍数がやや上がる。
「何度か説明したけどおさらいね」インカム越しにアシュの声が聞こえる。「そのアーコスには【テンポラル・シンク】っていう新規格の体感時間遅延システムが組み込まれてる。本音を言うと高難度の戦闘シナリオで負荷実験を行いたいところなんだけど、今回はあくまで軽めのテストランだからね。お試しで使ってみる程度でいいから、無理はしないで」
「わかったわ」
コックピットの表面はバイオメトリクス認証用のインターフェイスになっている。掌を押し当て網膜をスキャンすることで、事前に登録した生体情報と照らし合わせて搭乗資格を確認する。
システムがカレン・カザミを認識し、カバーが滑らかな動きで左右に開いた。
不意に、どこか甘く油っぽい匂いが漂ってきた。
これに近いものを私は知っている。プライマリ・スクールの頃に文化体験施設で食べたバーベキュー。今や一般家庭の食卓に並ぶことのない、代替食ではない本物のビーフを焼いて食べたんだ。私には少し脂っこすぎたから、結局ほとんど残してしまった──そうだ、これはあのとき嗅いだ肉の焼けた匂いに似ている。
私はコックピットの中に目を落とす。
そこには先客がいる。
「──────お姉ちゃん、」
たちの悪い冗談だった。
アーコスの操縦席には姉がいた。サクラ・カザミ。コードネーム【スレッド】。UDFの誇る伝説的ストライダー。
私は呆然としながら、コックピットの方へ足を踏み出した。
足元から水音がした。私はそちらを見る。床には赤黒い水溜りが広がっていた。
もう一度、姉の方へ目を向ける。
──さっきの私はどうしてそれを姉だと思ったのだろう。
それがヒトの頭部だということはわかる。その右半分は頭蓋の形に沿って炭化した真っ黒い皮膚が張り付いていて、眼球があったはずの眼窩は大きく落ち窪んでいる。もう半分の皮膚は元の色を残しているものの、反対側の皮膚の収縮に引っ張られて唇がめくれ上がり、不自然に引き攣った表情が永久に刻み込まれている。まるで知らない人間の顔に見えた。だけどそれが姉であることを、私はどうしようもないくらい理解していた。
そのまま視線を下におろす。見るべきではないと分かっているのに外眼筋が勝手に眼球を動かす。その身体は頭から胸にかけて黒く焼け焦げていて、焦げた皮膚や破れた衣服の隙間からは淡い煙がまだ立ち昇っていた。腹部には私の腕よりも大きな金属の破片がいくつか突き刺さっていて、そこから血とも臓器ともつかないなにかがドロリとこぼれ落ち、床の血溜まりを少しずつ広げていた。
──ああ。
もうすぐ八つになる私は直感で理解する。
──さっきのは、
「うぐ、」
視界が明滅する。
喉に込み上げるものを必死に飲み下そうとする。身体がバランスを崩して両手が反射的に掴むものを探すがなにも見つからずに宙を掻く。
「──!」「──、────!」
インカムから誰かの声がするが聴き取れない。もはやどちらが上で下かも分からなかった。たまらず膝を折って冷たい床にへたり込む。
NISに搭載されたマイクロコンプレッションバンドが私の体勢に合わせてスーツを締め直した。そのわずかな圧迫が決定打だった。
「おぼ、おぇ、──────」
吐いた。
食道が全部めくれ上がるんじゃないかと思った。生理反応で溢れる涙が視界を揺らす。上手く息が吸えない。肉体が制御を丸ごと失ってビクビクと震える。身体がそれ以外の機能を失ったみたいに、何度も嘔吐を繰り返す。
「カレン!」
アシュの声が聞こえた。返事をしたくてもできなかった。もう吐けるものはほとんど残っていないのに、喉の奥が引き攣って声も出せない。
こちらへ近づく複数の足音を聞きながら、私の意識は消失した。
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