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 廊下を歩くたび、教室へ入るたびに自分に向けられる奇異の目にも、最近はいい加減慣れてきた。それらは鬱陶しくても邪魔はしてこない。ただ、カレン・カザミという個人に添えられたメタデータに物珍しさを感じているだけだ。だから私は無視し続けた。


 そいつは無視しきれなかった。


「ここで出てくる食べ物って味に深みがないんだよね。カロリー制限だか完全栄養食だか知らないけどさー、料理ってのはもっとこう、油分と塩分をふんだんに使うべきなんだよ。カレンさんもそう思わない?」


 食堂隅の決まりきった席に座って、決まりきったフレーバープリントのナノミールを口に運んでいると、無断で向かいの席に座ったそいつは何度目かの無意味な言葉を投げかけてきた。


 私はいい加減聞き流すのにも疲れて、その顔に目一杯のうんざりとした視線を送る。


 アシュ・レンベルク。メカトロニクス工学コースの学士二年、つまりは私と同級生。友達なんかでは絶対にないし、知り合いと呼べるほどの関係性もない、けれどフルネームを覚えているのは、彼が私と同じくらいには有名人だから。なにせ、年間数名しか選ばれないIRP革新研究プロジェクトの代表者に初学年で指名された逸材だ。IRPといえば、UDFアカデミー内でも革新的な技術や理論を開発・実験するプロジェクトで、外部企業や研究機関からの資金提供や技術提供も行われる、工学コースの花道だ。当然、毎年多くの学生が代表者の座を狙っている。そんな位地を入学してたった数ヶ月のひよっこが掻っ攫っていったという話題は、噂に疎い私のところにも届いていた。


「やっとこっち向いてくれた」


 にっこりと笑う。人好きのする笑みだ。アシュはオイルで汚れたアカデミー指定のつなぎを着た少年で、頬の辺りまで伸びたブラウンの髪を無造作にくしゃくしゃにしている。声変わりを途中で諦めたようなやたら透き通った声も相まって、歳上に好かれそうな雰囲気を醸し出している。もう少し幼さが抜ければ優男と呼ぶに相応しい風貌になるだろう。私とは違って社交的で、付き合いの幅も広い。最近では修士の先輩を誑し込んでいるなんて風評もある。


「それで何の用なの?」私は訊いた。「先月発表された新型自己修復ポリマのサンプル提供についてなら私じゃなくて教務課へどうぞ。申請書の書き方は先輩にでも教えてもらいなさい」 


「サンプル……? えっと、なんの話?」


 違うみたいだった。アーキニアといえは三度の飯より新素材が好きというのが定説じゃなかったのか。


「……まさかバイオインプラントの適応解析データがほしいなんて言わないわよね? 守秘義務って知ってる?」


「違う違う。研究そこから離れてよ」


 アシュが苦笑いを浮かべる。私は露骨に眉を顰めた。


「まさか雑談でもしにきたの?」


 アシュはこくこくと頷く。


「あ、もしかして忙しかった? ご飯のあとすぐ授業とか?」


「別にそういうわけではないけど……そもそもあなたと私って、一緒におしゃべりしながらランチを摂るような間柄ではないわよね」


「えー、暇ならちょっとくらいいいじゃん」


「やっぱり急に忙しくなってきたわ」


 小憎たらしい笑みを浮かべる顔から視線を外し、ナノミールを切り分けて口に運ぶ作業に戻っていると、不意にアシュが言った。


「戦闘環境シミュレータって使ったことある?」


 手が止まる。


「…………」


 失敗した。私はここで、そんなのあるわけないでしょ、と即答するべきだったのだ。


 呆気に取られた一瞬の間に何かを見出す奴がいたっておかしくないし、アシュ・レンベルクがそうでない保証もない。


「とある戦闘シナリオのランキングを、どこかの誰かがゲストアカウントで埋め尽くしてたんだ。かの伝説のストライダー、【スレッド】を彷彿とさせるようなスコアでね。そんなすごい人がいるならぜひ会ってみたいんだけど、心当たりとかない?」


「……さあ。どうして私に訊くのかわからないわ」


「そっか」


 目が合う。ダークグリーンの瞳が、何かを探るようにこちらを覗き込む。


「ところでさっきも訊いたけどさ──戦闘環境シミュレータって使ったことある?」

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