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トリガを引く。
神経リンクシステムがアーコスの右腕に信号を叩き込み、人工筋肉で駆動する巨大な指が精密にショットガンの銃爪を引き絞る。内部のガス圧縮システムからリリースされた爆発的なエネルギーが、ショットシェルをチャンバから弾き出す。わずか数ミリ秒で銃身を抜け外気に触れた弾体は、内蔵の分散機構によって数十の金属ペレットに散開し、一つ一つが緩い円錐螺旋の軌道を描いて目標物に飛来する。
ヒット。
目前に迫ったネミス──タイプ・【スウォーム】の装甲に無数の散弾が突き刺さる。そいつは真っ黒い甲虫みたいな姿をしていて、多層のバイオフィルムで構成された翅を秒間二五〇〇回も振動させながら、空中でピン留めされたみたいに静止している。だけど一秒後には、未知の組成の合金で覆われた外殻は見るも無惨に穴だらけになっている。あらわになった内部組織からは異常に鮮やかな青色の体液が噴出し、飛行能力を失ったそれはひび割れたアスファルトの地面に落ちて沈黙した。同時に視界の隅で黄緑色に明滅するキルカウントの数値が更新される。
アーコスのマルチスペクトル・レーダーが次の敵位置を捕捉し、オペレーティングシステムが目標をロックオン。指先へ殺意を流し込み、対象へ鋼の雨を降らせる。
敵を探す。照準を定める。トリガを引く。
キルカウントが更新。
アカデミーのデータベースからこっそり盗み見た、ストライダー養成コースのカリキュラムで扱われる戦術理論マニュアルの一節が脳裏をよぎる。
曰く、青く美しいこの
──つまりは別途、通したい『本命』がある場合に動員される。
その推測を保証するように、突如アーコスから二時の方向・距離一五〇メートルの地面が爆散した。大質量の物体が着地する衝撃により、道路を舗装していたアスファルトがめくれ上がって砕け散り、無数の赤熱した破片となって四方へ飛び散る。だがそれが着陸する数秒前には既に、アーコスの索敵システムは巨大な影が大気を引き裂きながら落下してくる様子を捉えていた。
分かっていてもなお、街が丸ごと降ってきたのかと錯覚した。
たまったもんじゃない轟音と振動が、数値変換され気絶しない程度の刺激に減衰された上で五感に叩き込まれる。HUDに表示される戦術情報は、敵識別システムがそのデカブツをタイプ・【ベヒモス】と判定したことを示している。高層ビル並の大きさの本体に多関節の八本の脚が放射状に配置された、超大型のネミスだ。
吐き気がするほどの視線を感じる。そいつの体表にある無数のセンサが、余すところなくこちらを向いている。俄然、トリガに置く指に力が込もる。
【ベヒモス】の体表を覆う外殻は、無数のプレートによって構成されている。それぞれが独立して動くことで、外部からの攻撃を最適な角度で受け流す役割を担っているほか、露出した砲口の配置をフレキシブルに移動させることも可能にしている。
普段は三六〇度を均等に威嚇している砲口が一斉にこちらを向いた。熱源反応検知。それらの砲口から四十八発の弾頭が橙色の尾を引いて放たれた。個々が持つ独立思考制御により、敵として識別した対象を地獄の底まで追い詰める自動追尾ミサイルだ。
ミサイルがこちらへ到達するよりもコンマ数秒早く、アーコスは跳躍した。背面のプラズマ・スラスターを猛烈に駆動させ、青白い残像を大気に刻みつけながら【ベヒモス】へ接近。追加で放たれたミサイルをフレアをばら撒いて回避しながら、【ベヒモス】の頭上へ躍り出る。
【ベヒモス】はその巨体を動かすだけの動力を、中央部にある強力なエネルギーコアから供給している。攻撃行動を行った直後には、必ず天蓋部を開放して排熱動作を行う。その隙にマシンガンなりを叩き込み、徐々にエネルギー供給を鈍らせて機能停止に追いやるのがこいつの攻略セオリーだ。
だがそんなまどろっこしいことをするつもりはない。
背面のスラスターを全開にして、【ベヒモス】の天蓋部に着地。開きかけたプレートの隙間へショットガンをぶっ放す。ひしゃげたプレートをそのまま蹴り飛ばし、露出したエネルギーコアに向かって自由落下していく。排出される熱がアーコスの装甲を焼く。ビープ音と共に数十行のアラートがHUDの端を滝のようにスクロールしていくが気にしない。
ここに来て初めて左腕兵装へ信号を送る。
パイルバンカーが、起動シークエンスに入る。
機構部内のプラズマカートリッジが炸裂。パイルバンカーの機構部が、今にも破裂しそうな振動を見せる。エネルギーコアに照準を合わせ、トリガを引く。
タングステン・カーバイドの杭が凄まじい勢いで飛び出し、エネルギーコアを突き破った。
直後。
──戦闘環境シミュレーションが終了しました。
無機質な女性の声が響き、HUDの中央にはデカデカと「
「どう思う?」
シミュレータのバックログから再生したリプレイ映像を見ていた女子学生が、ふと隣のやつにそんなことを訊いた──『女子学生』なんて言ってみたものの、彼女をひと目で学生だと判断できる人間は少ないだろう。半脱ぎのつなぎにヘソ出しタンクトップ、露出した肩は眩しいくらいに小麦色で、おまけに身長は170を優に超える筋肉質で細身な女性。レンチの似合う若手の
「自己安全をもうちょっと考慮に入れて欲しいですねぇ。こういう戦い方は好きじゃないです」
「そういうことじゃなくて。ってかあんたがわからないはずないでしょ」
先輩が呆れたように言う。
「これ、あんたの大好きな【スレッド】のバトルログをモデルにして作られた戦闘シナリオだよ。つまりこのテスターは、UDFが誇る伝説のストライダー様にかなり近い動きができている」
「そこまでかなぁ」
「そこまでだろ。普通の乗り手なら、前半戦の【スウォーム】に囲まれて
「だれなんでしょうね、この人?」
「さあね──見ての通りゲストアカウントでログインしてんだもん。どっかの部隊のエースストライダーがお忍びでランキング荒らしに来たって言われてもアタシは信じるよ」
「うーん……」
アシュはディスプレイから視線を外して周囲を見る。ここは太平洋上に浮かぶ人工島【フォート・パシフィカ】に設立された、
話は数十分前に遡る。どっかの誰かがシミュレータのスコアに細工をしたバカがいると教務課にチクったらしく、メカトロニクス工学コースへ調査依頼が下りてきた。そしてその時偶然にもワークショップルームで管を巻いていた二人に声がかかったという顛末だ。どうやらアカデミーの先生様方は若きアーキニアを慈善活動家かなにかと勘違いしているらしい、とはシアン先輩の言だ。
確かにこれは細工をしたと誤解されても無理はない──とアシュは思う。当該戦闘シナリオの単独撃墜実績ランキングは、一位から十位までをゲストアカウントに埋め尽くされていた。間違いなく同一人物だろう。そうできゃ、今頃地球上からネミスはいなくなりUDFは役割を終えて解体されている。
しかしいざ映像データをつぶさに点検してみても、ノイズパターンに捏造を示すようなゆらぎひとつ見つからなかった。つまりこれは、通報者が想像しているようなセコい手段によるランキング簒奪なんかでは決してない。ほぼ間違いなく実力のあるストライダーが一人で打ち立てた記録だ。
「アシュさ、」シアン先輩が肩を小突く。「こいつなら、あんたの
「あーはいはい。そーですね」
そういうところだぞ──とアシュは思う。
シアン先輩だって分かっているはずなのだ。個人端末からのアクセスならばいざ知らず、アカデミーの共用端末であるシミュレータからのゲストログインでは匿名性の破りようがない。さらにログのタイムスタンプを見るに、こいつが現れる時間帯は早朝から深夜までかなりまばらだ。つまりはこのUDFきっての期待のニュービー……かもしれない誰かの身元を割り出すには、ドーナツ片手に二十四時間張り込みでもするのが一番確実ってわけだ。一応ある程度のリスクを前提とするならば、もっと手っ取り早い手段もあるにはあるが、それにはちょっとした準備が必要そうだった。
「そういえば、【スレッド】の歳の離れた妹ってたしかあんたと同学年じゃなかった? もしかしたらそいつなのかもよ」
シアン先輩がいきなりそんなことを言った。
ああ、とアシュは空返事。
もちろん知っているとも。彼女は有名人だ──【スレッド】の妹であるということを差し引いたとしても。セカンダリ・スクールの修了考査で堂々の全教科満点を叩き出し、首席として卒業、そのままの勢いでUDFアカデミーのバイオメディカルコースへ進学した博覧強記の秀才少女。バイオインプラント分野の麒麟児だの白衣を着た精密機械だの周囲を威嚇し続ける鋼鉄のチワワだの、あの小柄な二年生を称えてるんだか皮肉ってるんだかおちょくってるんだか分からない呼称はソーシャルネット上をいくつも飛び交っている。アシュ自身はと言えば、彼女の研究には一定の恩義を感じているので、そういった風潮に加担することはないのだが。
顔を合わせたこともないわけではない。カレン・カザミ、バイオメディカルコース学士二年の十八歳、つまりはアシュと同い年の同級生。オーバルフレームの黒い眼鏡を掛けて、肩で髪を切り揃えた、暴力とは無縁の華奢な女の子。いつも頭痛でも堪えるみたいな仏頂面で、必要に迫られる以外で人と話しているのは見たこともない。せっかく微笑みでも浮かべていれば街行く人の全員が振り返る器量の持ち主なのに、あんな表情ばかりしていては友人のひとりもできないだろう。
そのカレン・カザミがシミュレータに乗り込んで、仮想のネミスをそこらのベテランにも勝る速度で殲滅する様子を思い浮かべてみる。
ありえない──と思う。
そもそも戦闘環境シミュレータはストライダー養成コースのためのものだ。バイオメディカルコースの学生が使えるかどうかも定かじゃない。それに大体、単独撃墜実績ランキングを塗り潰したくて仕方がないような、血気盛んで自己顕示欲の強い連中はみんな養成コースの方へ行くものだ。そして血気と自己顕示欲から最もかけ離れた存在が、カレン・カザミである。
しかし、ありえないとしても、他に手掛かりがないのも確かだった。
それに──。
アシュは思い出す。十年前、地獄のような戦火の中の
彼女にはもともと興味があった。声くらい掛けてみてもいいのかもしれない。
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