丸山麻美
第5話 呪いの猫!茶太郎捜索依頼!
麻美の溌剌とした肢体は、渋谷の雑踏の中でも際立っていた。上背は165センチ、年齢は17歳。亡きロシア人クォーターの母親から受け継いだ端正な顔立ちは、日本人離れした派手さをさらに際立たせている。
渋谷のスクランブル交差点で信号待ちをしていた丸山は、対角に立つ麻美が大きく手を振るのを見つけて、苦々しくため息をついた。
渋谷と麻美は、最悪の組み合わせだ。
職業柄、目立つことを極端に嫌う丸山にとって、ただそこにいるだけで人目を引く麻美のような存在は本来なら敬遠すべきものだ。それがどうした因果か、五年前に起きたある事件をきっかけに、彼女と養子縁組を結ぶことになった。それ以来、中野の古びたボロアパートで寝食を共にし、今では戸籍上もれっきとした父子だ。
信号が青に変わると、人の波が一斉に動き出した。麻美はその中を軽やかに縫いながら走ってくる。
「お待たせー! ねえ、珍しい依頼ってなに?」
「声が大きい」
「自意識過剰。誰も聞いてないよ、うちらの話なんか」
丸山が顎をしゃくると、麻美は周囲を見渡した。行き交う人々の視線がちらちらと彼女に向けられている。麻美の華やかな外見は、それだけで目立ってしまうのだ。
「可愛いって罪だねえ」
「バカ言うな。さっさと事務所に戻るぞ」
「はーい」
✢✢✢✢✢
道玄坂の奥まった雑居ビル。その一室が丸山探偵事務所だ。狭い室内には、客用ソファと小さなテーブル、そして年代物の探偵机が置かれている。飾り気のない殺風景な空間だが、この場所で十数年、ギリギリの暮らしを続けてきた。
転機が訪れたのは五年前。麻美をアルバイトとして雇い入れてから、事務所の評判は一気に広まった。麻美がデザインしたポスターと、街中に配ったチラシがそのきっかけだった。
「ペットの捜索なら丸山探偵事務所へ! 圧倒的な捜索力で愛するペットを迅速に飼い主の元へ!」
三毛猫にトレンチコートとルーペをあしらったイラストは話題を呼び、依頼が殺到した。結果、彼らの事務所は「ペット捜索」において右に出る者のいない存在となった。
それもそのはず。丸山の嗅覚は、常識を超えている。嗅覚受容体の数は犬の数十倍に達し、性別、感情、対象物との距離さえも「匂い」として読み取ることができる。例えば、猫が触れた草の匂いを嗅げば、どの方向に進んだのか、さらにはその時の体温や警戒心の高まりまでを把握できる。
彼の脳は、匂いの分子を解析し、周囲の空間を三次元モデルとして組み上げる。目には見えない匂いの軌跡が、色付きの糸のように空中に浮かび上がる感覚だ。その糸をたどれば、行方不明のペットに確実にたどり着ける。丸山にとって、匂いを追うことは視覚で景色を見るのと変わらない。それが彼の探偵としての最大の武器だった。
そして麻美がいれば、どんな動物——たとえ空を飛ぶ鳥であっても——捕まえられないものはない。
「ねえ、おじさん。珍しい依頼って?」
麻美はソファに腰掛け、板チョコをかじりながら尋ねた。丸山は机の引き出しから書類を取り出し、無言で差し出す。
「普通の捜索依頼じゃん。どこが珍しいの?」
「最後まで読んでみろ」
麻美が眉をひそめながら書類をめくる。最後のページに目が留まった瞬間、表情が硬くなった。
「……なにこれ?」
「依頼人は、該当の猫を発見した後、殺処分してほしいと言ってる」
麻美の顔に怒りが走る。だが、それ以上に目を引いたのは別の箇所だった。
「それより、この猫……『人間の言葉を完全に理解している』って、どういうこと?」
「書いてある通りだ。杉沢って資産家夫婦が飼ってる三毛猫『茶太郎』は、人間の言葉を理解し、あらゆる不幸を呼び寄せる呪いの猫だそうだ」
「かなり嘘くさい話だけど……人間の言葉を理解する猫なんて本当にいるの?」
「この世に絶対はない。俺たちの存在だって、常識を超えてるだろう」
丸山の言葉に、麻美は自分たちの特殊な力を思い出す。次の瞬間、部屋の中央で板チョコと書類がふわりと宙に浮いた。
「なにしてる」
丸山の問いに、麻美はニヤリと笑った。
「ほら、常識を超えた存在を証明してるの」
その手のひらに浮かぶのは板チョコの欠片だった。宙に浮かんだ破片は、無重力空間にあるかのようにゆっくりと回転を始める。
「やめろ」
「なんで? 訓練だよ?これ。おじさん、こういう地道な努力をバカにしちゃダメだっての」
板チョコの破片がひとつ、ふわりと前に進む。続いて別の破片が逆方向へ滑り、さらに別の一片は円を描き始めた。まるで見えない指が操っているようだ。
「ただ浮かべてるだけじゃないんだよ。ほら」
麻美の指がピクリと動くと、破片たちはそれぞれ異なる軌道を描きながら、瞬時に回転方向を変えた。同じ破片が急停止し、逆回転し、また滑らかに前進する。繊細な動きの連続に、丸山は思わず眉をひそめた。
「ほらね、この破片、5つの方向に同時に動かしてるんだよ。これ、地味に集中力使うんだから。わかる?」
麻美の視線は、破片の一つひとつを追うことなく、それら全てを的確に操っていた。その動きは次第に複雑化し、板チョコの破片が空中で形を変え始める。ピース同士が組み合わさり、再び板チョコの原形を取り戻したかと思うと、今度は中央からパズルのように割れていった。
「ほら、この応用力。便利でしょ?」
破片が再び一体となり、元通りの板チョコになった。麻美はそれを静かにテーブルに戻すと、片眉を上げて得意気に丸山を見た。
「無駄に力を使うなと言ってるだろ」
「訓練だって言ってんじゃん。これくらい朝飯前でできないと、呪いの猫相手に失礼でしょ?」
丸山は呆れたように肩をすくめる。麻美の能力は、異常なまでの精密さを持つ。それが彼女の得意気な態度を正当化していることを、丸山も否定できなかった。
「まあいい。お前が必要以上に力を使う場面が来ないことを祈るだけだ。無駄に騒ぎを起こすなよ」
「そっちこそ、おじさんの“スーパー嗅覚”で変なトラブル拾ってこないでね」
麻美はウインクをしながら笑う。彼女の軽口は、どこか場の空気を和らげる効果があった。丸山は深く突っ込む気を失い、机に手をついて立ち上がる。
「準備しろ。杉沢邸に行くぞ」
「オッケー! 呪いの猫『茶太郎』かぁ。ワクワクするぅ~!」
麻美は立ち上がると、板チョコを手にしてポケットに押し込み、軽快な足取りで丸山の後に続いた。その後ろ姿には、彼女の年齢らしい無邪気さと、どこか計り知れない危うさが同居していた。
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