19.目覚めた者達
「エンラル地区の酒場『狐の剃刀亭』の主人のサイモズ・ダンとその妻で女将のリリアン・ダンで間違いないですね?」
裁判官が入廷してきた男女に問う。
「はい」
ふたりは小さな声で答えた。場に気おされている。
「ここにいる方を見てください。ご存じですね?」
「はい。うちではローズ・リンと名乗っていました」
女将が頷く。
「ではローズ・リンを匿った詳細を説明してください」
裁判官の言葉にサイモズもリリアンも、首を振っておどおどとした。
「そんな、匿うだなんて」
女将のリリアンが言う。
「そうです。この女は常連のごろつきが連れてきたんです」
サイモズが続ける。
「けっこうな大金を渡されて…その、騙されたんです」
「そうです。あたし達もこ女に騙されたんです」
二人は必死に言い募った。
『狐の剃刀亭』は下町にある酒場兼宿屋だ。ロサリンド・ダンスベルはクーリッジ監獄を破ったごろつき達を雇っており、その男達に『狐の剃刀亭』に連れてこられた。ロサリンドはローズ・リンと名乗り、大金を払ってここに置いて欲しいと交渉してきた。ローズ・リンはそのまま『狐の剃刀亭』の給仕として住み込んだ。
そこでローズ・リンは客として逗留していた旅芸人にも金を払って、自分のための歌を何曲か作らせ、街で歌うように指示した。そして自分も歌った。
それは悪辣な侯爵令嬢に虐げられて前世からの運命の恋人と引き離された、かわいそうな男爵令嬢の歌だった。また、濡れ衣を着せられて幽閉された哀れな乙女の歌、前世からの恋人を待ち続ける健気な乙女の恋歌、引き裂かれた運命の恋人達の悲しい歌だった。
「ローズ・リンは健気ないい子に見えました。あたし達はすっかり騙されていたんです」
女将はなおも言った。
「しかし」
裁判官が受けて言う。
「あなた方はそのローズ・リンが、クーリッジ監獄を脱獄した、ロサリンド・ダンスベル男爵令嬢であることを薄々わかっていたのではありませんか?」
「そりゃあ、その…」
サイモズと女将は言い淀んだ。
「わかっていたのですか?それともまったくわからなかったのですか?」
裁判官がに問うと
「わかっていました。でもすっかり信じ込んでいたんです」
「何を信じていたのですか?」
「侯爵令嬢に虐げられた可哀想な男爵令嬢だと」
「あたし達はすっかり騙されていたんです」
裁判官は問うた。
「いつ騙されていたと気づいたのですか?」
女将が叫ぶように言った。
「この女が広場で、侯爵令嬢を絞首台に吊るせと言った時に、すっかり目が覚めました!」
「この女はとんでもないヤツです!自分では何もしていない顔をして、みんなに侯爵令嬢を攫って殺すように仕向けたんです!俺達はただ、脅すだけのつもりだったんです」
サイモズも言う。裁判官はそれを聞いて問うた。
「脅すとは何をですか?」
「脅して、ローズ・リンの恋人を返すようにしようとしただけです」
「そうです!あたし達は殺そうとなんて思っていませんでした」
裁判官はロサリンドに向かって問うた。
「ロサリンド・ダンスベル、何か言うことはありますか?」
ロサリンドの口枷が外された。
きっとロサリンドは『狐の剃刀亭』の二人を睨んで言った。
「お金をあげたのに!!私はあんなことを計画しろなんて一言も言ってないわ!あんた達が勝手に盛り上がって計画したくせに!!」
そして裁判官に向かって叫んだ。
「私は悪くないわ!!私は何もしていないもの!!」
「ロサリンド・ダンスベルに口枷を」
裁判官が命じ、再びロサリンドの口は封じられた。
「二人を連行してください。あなた方にも追って処分を言い渡します」
がっくりと肩を落として、『狐の剃刀亭』の二人は連行された。
「さて、ロサリンド・ダンスベル」
裁判官はロサリンドに向かった。
「エリーズ・エルムフット侯爵令嬢を拉致した者達は、別の場所で全てを話して収監されています。確かにあなたは何も命令していません。しかし、そうするように仕向けたと証言しています」
ロサリンドはただ首を振るばかりだ。
「絞首台を設置した者も、あなたは反対しなかったと証言しています。そして、あなたが舞台の上でエリーズ・エルムフット侯爵令嬢を絞首台に吊るして殺せと叫んだと、全員が証言しました」
裁判官は静かに告げた。
「一番近くでそれを見聞きしたものを呼びましょう」
入ってきたのは、元下級文官のトマス・アナクスだった。
「あなたが何をしたか、何を見て何を聞いたか話してください」
「私は元下級ですが文官でした。それで、ローズ・リンに罪状を書いてそれを読み上げる役をして欲しいと言われたのです」
トマスが語る。
「言われた時は、悪を成敗する気持ちで高揚していました。でも…」
少し黙ると、トマスはロサリンドを見た。
「侯爵令嬢はローズ・リンと比べ物にならないほど華憐で優しげでした。真っ赤なドレスでけばけばしく着飾っているローズ・リンと見比べて、自分はとんでもない間違いをしているのではないかと思いました」
首を振る。
「実際に間違っていました。その女は訳の分からないことを喚き散らして、侯爵令嬢を吊り殺せと命令したんです。侯爵令嬢は私達を庇って逃げるようにすすめてくれたのに」
「では」
裁判官が確認する。
「このロサリンド・ダンスベルが、エリーズ・エルムフット侯爵令嬢を絞首刑にして殺せと言ったことは間違いないのですね?」
「間違いありません」
トマス・アナクスは答えた。
ロサリンド・ダンスベルは涙を流すことはやめ、憎悪で燃えるような瞳をしていた。
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