16.無自覚の罪

「私はそのまま、アーウェン男爵家のお抱え医師となりました。アーウェン男爵家では、クラリッサの異常性を外へ漏らしたくなかったのです」

 医師は続ける。


 子供から少女になる頃、女学校へ通いだした十二歳の頃には一見クラリッサの異常性はなりを潜めたかに見えた。女学校に通い、作法や勉学を学ぶクラリッサは少しずつ自分の周囲の人間に興味を持ちだしたように思えたのだ。

 しかしそれは表面上のことだった。

 相変わらずクラリッサは、他人が自分と同じ存在であることを認識していなかった。


 クラリッサは女学校でも、自分の欲しいものは我慢しなかった。なぜならそれは自分のものであるからだ。


 クラリッサの部屋を片付けるメイド達が、彼女が女学校から帰って来ると、見覚えのない物品をテーブルに放り出すのを不審に思ってレベッカに告げた。


 レベッカが問い詰めると、クラリッサはにこにこと笑って言うのだ。

「それはシェリーが髪につけていたの。これはアリサが持っていたペン。わたくしのものだから持ってきたのよ」


 そしてその頃、クラリッサのゲームが始まった。それは不気味な人心掌握術だった。

 クラリッサはあちらで少し、こちらで少しと言った塩梅で、自分の悲劇と他人への哀れみと小金を巧みにばら撒き、自分の信奉者を集め始めた。自分の役に立つからだ。

 悲劇と哀れみは偽物だったが、金は本物だ。金が絡めば自分より下の人々は面白いようにクラリッサを信用する。

 アーウェン家では、クラリッサに従う者ばかりになっていった。

 クラリッサが

「だってわたくしのものですもの」

 と言えば、他所から盗みをする者さえ出てきた。


 クラリッサは対価である金さえ払えば、店や商人から欲しいものが手に入ることは重々承知していた。

 しかし、それがなんだというのだろう。

 それらは元から自分のものなのだから。

 手に取れば父親が金を払ってくれる。金とは便利なものだと学んだ。

 影のような他人が持つものは、奪えばいい。「奪う」と言う言い方はおかしい。なぜならそれらはなのだから。


 クラリッサの楽しみは、人の心を掌握し、自分の手を汚さずにや快適さを手に入れることだった。


 クラリッサはことあるごとに、自分に注意する母親のレベッカが邪魔だった。

 そこで使用人にありもしないを混ぜ込んだ不満をばらまき、母親を孤立させていった。


 レベッカは娘の将来を悲観し、クラリッサが十四になった時、夫に申し出た。

「クラリッサは修道院に入れましょう」

 娘に甘い父親は何もわかっておらず、その提言を無視した。使用人達からレベッカがクラリッサにきつく当っていると、度々注進を受けていたからだ。

「実の娘を修道院にいれようなんて考えるとは、やはりレベッカは使用人達やクラリッサが言うように、クラリッサの可愛さに妬いているのだろう」

 と信じた。


 クラリッサは十五歳になり成人を迎えた。

 そして恋をしたのだ。

 レオンハルト王太子に。


 クラリッサには婚約者がいたが、彼女はそれを認識していなかった。ただ、夜会や催し物に連れて行ってくれる人という認識だった。


 クラリッサにとってレオンハルト王子への恋心は、世界がぱっと開けたような思いだった。

 レオンハルト王子の周りがぱっと広がり、煌めいて見える。

 しかし相変わらずその他の人々は、影のような存在だった。


 レオンハルト王子は自分のものだし、その周りの影が自分のものを着けているから取る。

 クラリッサの根本は変わっていなかった。


 レオンハルト王子と踊った数回の記憶は、それを毎日夢見るように反芻するので、クラリッサにとっては毎日踊っていることになっていた。

 自分とレオンハルト王子は愛し合っていると公言しだした。


 医師はそんなクラリッサの繰り言を聞いて、危険を感じた。

 母のレベッカとクラリッサのことを相談していた。修道院へ入れるのが一番だと話し合っているのを使用人がアーウェン男爵に注進し、怒った彼によって医師は解雇された。


 その後に起こったことは、国王も王妃も周知の事実だ。


 医師は言った。

「クラリッサ・アーウェンがロサリンド・ダンスベルに生まれ変わったとしたら、待つべきではありません。甘い処置をすれば、再び悲劇がおこるでしょう。彼女に必要なのは死の自覚です。お前は罪を犯したから死ぬのだと知らしめて、その上で死を認識させる刑を執行すべきです」


 次に国王と王妃はダンスベル男爵に話を聞いた。


 ロサリンド・ダンスベルは、十二歳までまともだったと言う。マリーズ・エヴァーグリーンに出会って一目惚れするまでは。


 初めて他人の物を欲しいと思ったロサリンド・ダンスベルの心に、前世のクラリッサ・アーウェンが蘇り始めたのはこの頃らしい。

 十二歳で子爵家との婚約が内定すると、ロサリンドは急に、

「自分は前世、クラリッサ・アーウェンだった。レオンハルト王子と悲劇の恋に落ちて引き裂かれ、来世で結ばれることを誓って共に死んだ。そのレオンハルト王子は、マリーズ・エヴァーグリーンだ。だからこんな婚約はいやだ。マリーズ・エヴァーグリーンが私の運命の相手だ」

 と言い始めたのだ。


 レオンハルト王子とクラリッサ・アーウェンの事件は、ダンスベル男爵もよく知っていた。

 きっとどこかで間違った話を聞いてきたのだろう。

 婚約の相手が気に入らなくてごねているのだろう。


 ダンスベル男爵はロサリンドの話を無視した。代わりにたっぷりの小遣いを渡した。


 ロサリンド・ダンスベルの中のクラリッサ・アーウェンが、この金の使い道を知っていたのだろうと、国王と王妃は納得した。

 そして二人に共通するのはがないことだ。

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