15.無邪気で邪悪
国王と王妃は八方手を尽くして、クラリッサ・アーウェンとロサリンド・ダンスベルを調べていた。
そんな時、クラリッサ・アーウェンの主治医をみつけた。
彼はクラリッサ・アーウェンが幼い時から、アーウェン男爵家に囲い込まれるように招聘された医師だった。
主にクラリッサ・アーウェンを診ていたという。
医師は語る。
「クラリッサ・アーウェンは体が弱いとか、病気がちというわけではなかったのです。母親のレベッカが心配したのは頭の中、その心でした」
「心配性な母親と思われるかもしれません」
レベッカ・アーウェンは前置きした。
「わたくしはクラリッサが、どこか、いえ、何か根本的なところで他の子供と違うような気がするのです」
それに医師は、男ばかりの子供の中で初めての娘に戸惑っていると、はじめは思った。
「女の子は、とかく難しいものですよ」
慰めるとレベッカ・アーウェンは首を振った。
「あの子は、わたくし達と見ているものがちがうの気がするのです。まるで違う世界に住んでいるかのような…」
医師は首を傾げる思いだった。違う世界?
「具体的には?」
レベッカ・アーウェンは語った。
「あれはクラリッサが五歳の時です」
父親が珍しい小鳥を連れてきた。鮮やかな黄色の羽の、可愛い声で鳴く小鳥を三羽。
皆、その姿や鳴き声を楽しんだ。特にクラリッサはいつまでも小鳥達を見ていた。
よほど気に入ったのだろうと、その時は微笑ましく思っていた。
しかし翌日、レベッカは悲鳴を上げた。
レベッカが見ている前で、クラリッサは鳥籠を暖炉の火かき棒で叩き落としたのだ。そして堕ちた鳥籠から小鳥を一羽取り出すと、それはもううっとりとした目で見た。
「クラリッサ、鳥籠を落としてはいけません。小鳥も鳥籠に戻しなさい」
レベッカは叱ったが、クラリッサは目をキラキラさせて、小鳥を握ったままだった。
そして小鳥は一声上げて絶命した。
するとクラリッサは、小鳥を投げ捨てて次の小鳥を握り、二羽目も殺してしまった。
レベッカは悲鳴を上げた。
それでもクラリッサの手は三匹目に伸びた。レベッカが必死で止めようとしたが、五歳の子供の力とは思えない抵抗にあって、三羽目も命を落とした。
三羽目の死んだ小鳥をポイと投げ捨てたクラリッサは、さもつまらなそうにレベッカに言った。
「お母様、小鳥はどこですか?」
レベッカは震えながら床を指さして
「そこに倒れているではありませんか。あなたがやったのですよ」
と言うと、クラリッサは周りを見渡した。
「小鳥はいません。あんなに綺麗な小鳥だったのに」
とつまらなそうに言うのだ。
「それは…」
確かに異常な出来事だ。医師は思った。
「クラリッサが小鳥を殺したからおかしいと言っているのではありません」
レベッカは言う。
「あの子は、自分の見たいものしか見えないのです。見ようとしないのではなく、見えないとしか言いようがありません。そして…」
レベッカは少し間を置いて続けた。
「見たいものは欲しいもの。欲しいものを我慢しません。それでいて、強請ることはないのです。欲しいと言うこともないのです」
矛盾した言葉に医師が戸惑っているとレベッカは続けた。
「あの子にとって、欲しいものはみんな自分のものなのです」
クラリッサは欲しいものや気に入ったものは、何もかもを自分のものにした。
小さいうちは自分と他人の者の区別がつかないものだ。他人の持っているものを奪うこともある。
しかし十歳になった今も、クラリッサは自分のものと他人のものの境界がない。欲しければ目の前の人の身に着けているものを奪うのだ。
もちろん注意は再三行っている。しかしその度にクラリッサは、きょとんと無邪気な顔で
「これはわたくしのものよ」
と言うのだ。
レベッカはこれが繰り返され、気づいた。
クラリッサは自分の欲しいものを持っている人さえ目に入っていない、見えていないのだと。
物理的には見えているのだが、その人が自分と同じ人であるとは思っていない。だから無視していいものなのだ。
買い物でもそうだ。商店であろうと家に商人を呼んだ場合であろうと、レベッカは欲しいものしか見ない。欲しいものを全て取って、元から自分の物であると疑わない。
アーウェン男爵家は裕福だったので、父親は何も疑問に思わずに金を支払う。
レベッカがいくら注意しても聞き入れなかった。
「欲しいものはなんでも買い与えていいだろう」
男兄弟の中の一人娘に、とことん甘いのだ。
とにかく医師は、クラリッサと話をしてみることにした。
「こんにちは。アーウェン男爵令嬢」
医師が挨拶すると
「こんにちは」
と返ってきた。
「こちらに座って少し話をしましょう」
と椅子に座らせて、自分もその前に座る。
医師はクラリッサ・アーウェンを見て直感した。
この娘は自分に関心がない。目の前にいることはわかっているが、自分との関わりに一切興味を持っておらず、その目に姿が映っていても自分は認識されていないのだ。
その時、医師は赤い薔薇の意匠のカフスボタンを着けていた。それを外してクラリッサ・アーウェンの目の前に差し出した。
するとクラリッサ・アーウェンは無邪気に笑って、無言でそれを手に取った。
しかし、依然として目の前の医師の存在を認識していないことは明白だった。
他人の物を躊躇なく奪う少女。
医師は総身が震える思いがした。
「クラリッサ・アーウェンは無邪気な故に邪悪だったのです。人として大切な何かが欠けていたのです」
医師が国王と王妃に言った。
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