11.邪悪な魅力

 クーリッジ監獄では、責任の所在を追及されていた。

 そこで初めて刑務司長が命令を聞いていなかったことがわかった。

 クラリッサ・アウェンだったロサリンド・ダンスベルの奇妙な魅力に誑かされないように、厳重に言いつけた処置だったというのに。

 刑務司長は

「あのような可憐な少女が、たかが窃盗の罪で幽閉塔に封じられ、さらにあのような過酷な扱いを受けることに納得がいかなかったのです」

 と言い訳をした。

「話をしてみれば貴族だというのに気さくで邪気のない少女でした。侯爵令嬢の婚約者と恋仲になり、その怒りに触れて不当な刑を受けていると信じてしまったのです」

 ロサリンド・ダンスベルの脱獄に関わってしまった刑務官達は言った。

「話を聞くとあまりにも可哀想で…」

「あのようなことをするような少女には、とても見えませんでした。まさか下町のごろつきを雇っているなどと…」


 このように、ロサリンド・ダンスベルの不気味な魅力に毒されないように、医師以外との接触を断とうとの処置だったというのに。


 前世云々の話は、あまりにも荒唐無稽なので伏せていたのが仇になった。


 じわじわと、ロサリンド・ダンスベルは下町の人々を味方につけて行った。

 下町の人々がロサリンド・ダンスベルを信奉している様子は、下町から市街地へそして貴族達へ届いて行った。

 まずは下町から始まった流行り歌が聞こえ始めた。


 悲劇の令嬢が前世からの恋人を奪い取られ、あらぬ罪を着せられて幽閉されたという内容の哀歌から始まり、前世からの恋人を待ち続ける健気な乙女の恋歌、引き裂かれた運命の恋人達を悲しく歌い上げたものなどだ。


 ロサリンド・ダンスベルは、下町に潜伏し、人々を洗脳していた。


 貴族社会のことを知らない人々を、ロサリンド・ダンスベルは易々と騙しているらしい。そういう人々にとっては、上つ方のスキャンダルはたまらない娯楽だ。嘘か誠か調べるすべなどないし、そのようなことはどうでもいいのだ。ただ彼らにとって、非日常の話題を提供してくれる。それをペラペラと話してくれるロサリンド・ダンスベルを信じる者は多かった。


 しばらくするとエルムフット家に、エリーズを誹謗中傷する投げ文や張り紙、投石などが行われるようになった。

 そのうちの一部は捕縛された。


 捕縛された者は、ごく普通の下町の町民だった。ほとんどの者が、義憤にかられた善良な動機から行動していた。


 未だに行方のしれないロサリンド・ダンスベルはローズ・リンと名乗り、下町の大衆酒場で給仕として働いていた。

 しかし、そのローズ・リンがクーリッジ監獄の幽閉塔から脱獄したロサリンド・ダンスベルであることは、下町の多くの人々が知っていた。


 秘密は知っている者が多いほど露見しないものだ。


 ある意味で正気を取り戻したロサリンド・ダンスベルは、不気味なほどの狡猾さを取り戻していた。

 自分の妄想に、彼女が真実と思いこんでいる作り変えられた記憶に、人々を巻き込むことに成功していた。

 人々はロサリンド・ダンスベルを、侯爵令嬢に虐げられ恋人と引き裂かれた悲劇の男爵令嬢として同情していた。


 ローズ・リンとなったロサリンド・ダンスベルは、気さくで元気で無邪気そのものだった。

 貴族令嬢が下町の酒場で身を隠しながら、健気に働き身を立てている。


 ロサリンド・ダンスベルには多額の懸賞金がかけられていたが。公的機関からだけではなく、王家とエルムフット侯爵家とエヴァ―グリーン侯爵家、それにエリーズの伯母マデリーンの嫁ぎ先のリンデンバウム侯爵家からだ。を告発する者はいなかった。


 ローズ・リンは思うさま、悲劇のヒロインを演じていた。いや、本人は本気でそう思っているのだ。

 普段は元気で気さくで働き者の健気な娘。しかし貴族育ちなので労働は長くは続かない。そこでふらついて体の弱い振りをし、涙ぐむのだ。

「こんな役立たずでごめんなさい」

 と。

 ローズ・リンには軽い仕事を少ししかあてがわれていなかった。

 少しばかりの給仕をし、酔客相手に悲劇を語り、時折自分のために作られた流行り歌を歌う。そして涙して、同情をさそうのだ。

 そこから下町の人々へ、の話は広がって行った。


 じわりじわりと、ロサリンド・ダンスベルは人々を篭絡していった。


 そのうち町のならずものがエリーズ・エルムフットに天誅を与える計画を立てだした。それをローズ・リンにほのめかすと、ローズ・リンの中のロサリンド・ダンスベルは自分の計画の成功を思ってほくそ笑むのだが、

「いけないわ、そんなこと。私はもう諦めているの。ただ…」

 涙ぐむ。

「いつかきっとマリーズ様が私を探し出してくださる夢を見るだけ」


 そんな様子を見て、男達は、いや女達も

「恋人を盗んだエリーズ・エルムフットに目に物をみせてやる」

 と奮い立つのだった。


 少しずつ少しずつ、エリーズの身に、下町の人々の悪意が迫ってきていた。


 エルムフット家ではそんなことは知らなかったが、狡猾なロサリンド・ダンスベルを警戒し、エリーズを守るために手をつくしていた。

 今ではエリーズは外出も控えていた。


 そんなある日、マクスウェル修道院から手紙が来た。エイコン団だった少年達が、エリーズに直接謝罪と感謝を述べたいと言うのだ。

 エリーズは迷った。

 しかし根が優しいエリーズはエイコン団の少年たちに同情しており、またろくでもないとは言え親から引き離した罪悪感から、足を運ぶことにした。


 警備は万全に調えたはずだった。

 しかし、エリーズの馬車に下町の群衆が押し寄せて、馬を外して馬車ごとエリーズを攫って行った。

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