9.クラリッサ・アーウェンの狂気

 さて、ゼラルド王国からアリエノール王女が到着した。

 アバークロン王国の宮廷では、アリエノール王女を歓迎する催しが目白押しだった。


 夜会にガーデン・パーティ、大小のお茶会。


 アリエノール王女は気さくな人柄で、誰とでも親し気な雰囲気で接した。


 ところが変事が起こる。

 侍女達は首を傾げた。


 アリエノール王女の持ち物が頻々となくなるのだ。

 たとえばヘアピンが数本、持っていたはずのハンカチ、洗濯に出したはずの小物類など。


 アリエノール王女は王族らしいおおらかさで、

「わたくしがはしゃぎすぎて振り落としてしまったのかしら?」

 と、おっとりとかまえていた。


 そしていくつかの事件が起こった。

 クラリッサ・アーウェンが何者かに害されたと言うのだ。


 ある夜会ではワインが酢に入れ替わっていた。

 誰かに階段から落とされた。

 池に突き落とされた。

 ドレスを破かれた。


 大事な時期の変事である。

 その上、クラリッサ・アーウェンはありもしない王子とのロマンスを吹聴して、療養に送られた娘だ。

 その時のことを知っている誰かが、手を下したのかもしれないと思われた。


 しかし調査を進めると、全てが自作自演だった。


 ワインが酢になっていた件は、厨房と給仕を買収していた。

「アーウェン令嬢があまりにもお可哀想で」

 手を下した者は言った。


 階段から落とされた件や、池に突き落とされた件や、ドレスを破かれた件は、目撃者に矛盾があった。


 アリエノール王女の歓迎式典であるので、どこにも警備は増員されていた。

 警備の目の届かない所はなかったはずなのに、警備の者の証言が食い違うのだ。

 ある者は

「少し目を離した隙に」

 と言い、ある者は

「不審な人影がアーウェン令嬢を突き飛ばした」

 と、クラリッサ・アーウェンの証言を支持したが、他の者の証言は違った。

 警備だけではなく、行事に参加していた者達が

「クラリッサ・アーウェンは、自分でやっていた」

 と証言したのだ。


 クラリッサ・アーウェンに再度話を聞くと、こんどはとんでもないことを言いだしたのだ。

「すべてアリエノール王女がやったことです」

 と。


 クラリッサ・アーウェンが、未だに自分の都合のいいロマンスの中にいることは明白だった。

 王室は、クラリッサ・アーウェンの王宮での催しの参加を禁止した。


 ところがあるお茶会の席で、アリエノール王女でさえも悲鳴をあげる事件が起きたのだ。


 その日、和やかな雰囲気の中はなしに興じていたアリエノール王女は異変を感じた。誰かが手を引っ張っている。そんな不躾をする者は誰かと見ると、王宮への出入りを禁じられたクラリッサ・アーウェンがアリエノール王女の手袋を引っ張って脱がせていたのだ。

 アリエノール王女は驚きのあまり固まってしまった。それに気づいた周囲の令嬢もご婦人も、驚きのあまり動きを止めた。


 クラリッサ・アーウェンは、アリエノール王女の手袋を脱がせると、満面の笑みで自分の手にはめたのだ。

 その笑顔を見てアリエノール王女は悲鳴を上げた。


 クラリッサ・アーウェンはすぐに取り押さえられたが、

「その女が盗んだのよ!レオンハルト様はわたくしにくださったはずなのに!!」

 と大声で言うのだ。


 クラリッサ・アーウェンを調べると、なくなったアリエノール王女のものが大量にみつかった。


 再びクラリッサ・アーウェンは、領地へ送られた。


 送られたはずだった。


 しかしクラリッサ・アーウェンは、その不気味な魅力で味方につけた者の手を借りて、王宮の近くの森に潜伏していた。アーウェン男爵家ではこの不祥事を隠した。


 遠乗りの日、クラリッサ・アーウェンが誑かした者達の手で、アリエノール王女を乗せたレオンハルトは供から離れさせられた。そこをクラリッサ・アーウェンが雇ったならずもの達が囲み、二人を馬からおろさせた。


「とうとうお会いできましたわ。レオンハルト様」

 クラリッサ・アーウェンは無邪気に笑った。その手には短剣が握られていた。

「この世で結ばれない運命ならば、来世で結ばれましょう」

 クラリッサ・アーウェンがそういった時、供と警備が追い付いた。


 クラリッサ・アーウェンは迷いもせずに短刀を構えて、レオンハルトに突進した。

 しかしそれをアリエノール王女が庇い、短剣は彼女の背に突き刺さった。

 その時、警備はクラリッサ・アーウェンを斬り伏せた。

 クラリッサ・アーウェンは一太刀で絶命した。


「このようにクラリッサ・アーウェンは思い込みが激しいと言うよりも、自分勝手に物事を自分の都合のいいように捻じ曲げて、自分さえも騙して正当化する娘だったのです。ロサリンド・ダンスベルに生まれ変わっても、前世の記憶をいかにも自分が悲劇のヒロインのように信じて疑っていないのです。今はすっかりクラリッサ・アーウェンに成り代わっています。ですから、今は療養ではなく幽閉を選んだのです」

 王妃が沈痛な面持ちで告げた。

「しかし、陽も射さない幽閉塔では悪化するばかりではないでしょうか?」

 ヘンリー・エルムフットが問うた。

「仕方がないのです。窓があればどのような手段をとっても、脱出するか外部と繋ぎをとるでしょう。幽閉塔ならば、どうやっても手が届かないところに明り取りと換気のための小さな穴がいくつかあるだけです。全くの暗闇ではなく、昼間は薄暗がりくらいになります。正気を取り戻さなければ、そこで生涯を終えるしかないのです」

 王妃の言葉に国王も言う。

「クラリッサ・アーウェンは自分勝手なだけではなく、邪悪な考え方をする娘なのだ。それでいて、いや邪悪だからこそ魅力的なのかもしれない。人を誑かし、自分のことを信じさせる能力に長けている。一切の他人との接触を断つしか、これ以上の被害を防ぐ手段を考えられないのだ」

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