8.クラリッサ・アーウェンの恋

「私とクラリッサ・アーウェンの関係は、王妃がこの国に来る前に、夜会で数回踊っただけだ。もちろん一度の夜会で一曲以上踊ったことはないし、他の令嬢達とも同じように踊った。むしろ他の令嬢達の方が多い。しかし私は若気の至りで思い上がっていたのだろう。婚約者が他国にいることにも甘えていた。令嬢達に美辞麗句を言ったこともある。他の令嬢達は隣国の王女が婚約者だと弁えていたが、クラリッサ・アーウェンだけは違っていたらしい」


 国王は若い時ははめをはずし過ぎない程度に、若者らしく楽しみを享受した。

 ゼラルド王国から来る婚約者の王女に背くことはしたことはない。

 若者らしく同じ年ごろの令嬢達と夜会で躍ったり、他愛のない話をしたり。


 しかしそれも、アリエノール王女がアバークロン王国に来る一年前には自粛した。

 二十歳になったレオンハルト王太子は立場を弁え、身を慎んだのだ。


 令嬢達はレオンハルト王子の結婚のことを知っているので、それは当然だと思った。もちろん中には、自分の娘を側室にしたいと願う親もいたが、結婚を控えたその時は動くべき時ではないので、誰もが王太子の結婚という国事に向けて準備をした。


 しかしクラリッサ・アーウェンだけは違った。


 それまでクラリッサ・アーウェンは王太子の数いる取り巻きの一人でしかなかったが、このころから自己主張を始めた。


「わたくし達、愛し合っていますのよ。今、レオンハルト様はわたくしを王太子妃に迎えるために奔走してくださっているの」

 と公言しだした。


 クラリッサ・アーウェンは男爵家の娘だった。資産家だが、王太子になるには身分が低い。クラリッサ・アーウェンは

「全ての障害を取り去って、わたくしを迎えてくださるの」

 と言いまわった。


 その言動は王室にも届き、レオンハルトは当時の国王と王妃に問いただされた。

「クラリッサ・アーウェン男爵令嬢?心当たりがありません。父上もご存じの通り、貴族令嬢とは一通り踊ったことはありますが、それ以上の関係の者はおりません」

 レオンハルトにとっては、クラリッサ・アーウェンは物事の背景にしか過ぎず、名前を出されても顔を思い出せないほどの認識だった。


 クラリッサ・アーウェンは宰相を通じて

「根も葉もないことを吹聴しないように」

 と注意を受けた。


 ところがクラリッサ・アーウェンはさらに強硬な態度に出たのだ。


「お可哀想なレオンハルト様。わたくしを愛しているのに国のために、意に添わぬ結婚を強要されていらっしゃる。わたくし達は運命の恋を貫き通します」

 その瞳は本気で、宰相はぞっとした。

 すぐにアーウェン男爵家に厳重注意がされた。


 ある夜、レオンハルトが居室にいるとメイドが入ってきた。メイドが王太子のいる居室へ入るなどないことなので、レオンハルトは驚いた。

 するとメイドは近寄ってきて

「愛しいレオンハルト様、クラリッサです」

 と言うのだ。


 クラリッサはメイドに金を掴ませて買収し、ここまで潜り込んできたのだ。

 驚くばかりのレオンハルトにクラリッサは

「お会いしとうございました。わたくしはレオンハルト様と添い遂げるためなら何でも致します」

 レオンハルトは人を呼んだ。

 クラリッサ・アーウェンは連行されながらも

「あの月夜の誓いは忘れません。いつまでもお待ちしています」

 と叫んだのだ。


 クラリッサ・アーウェンは気がふれている。

 それを見た者はそう思った。


 クラリッサ・アーウェンを手引きしたメイド達は

「あまりにお可哀想で」

 と涙したことはさらに驚きだった。


 クラリッサ・アーウェンは、王子の居室に侵入した罪で医療監獄に送られた。

 医師たちはクラリッサ・アーウェンを診察し、事情聴取をした。


 クラリッサ・アーウェンは、レオンハルトと自分は恋仲だと主張し、それを自分でも信じて疑っていなかった。

 医師たちは、若い娘によくあるヒステリーによる思いこみだと診断し、アーウェン男爵に療養させるように申し渡した。


 クラリッサ・アーウェンは、アーウェン男爵領へ送られた。


 王室ではクラリッサ・アーウェンを調査した。

 彼女に手を貸した者達は、不気味なほど彼女の言い分を信じ、同情していた。

 アーウェン男爵家や領地の使用人もクラリッサ・アーウェンを慕っており、彼女の「可哀想な身の上」を信じて疑っていなかった。


 クラリッサはあちらで少し、こちらで少しと言った感じで、金品とを撒き散らし、じわじわと味方を増やして、とうとう王宮にまで侵入したのだ。

 最もやっかいなのは彼女の言うが、彼女にとって真実であることだった。


 そして彼女の信奉者は、メイドや警備兵や出入りの商人と言った平民ばかりだった。


 クラリッサ・アーウェンは、自分よりも下の者を惹きつける不気味な魅力を持っていたのだ。

 まるで洗脳だった。


 クラリッサ・アーウェンは自分のいいように記憶や事実を捻じ曲げ、それを自分でも疑うことはなかった。

 クラリッサ・アーウェンにとって、彼女の都合のいい記憶は真実だったのだ。


 一年が経ち、ゼラルド王国からレオンハルトの婚約者のアリエノール王女がやってきた。

 王宮では歓迎の式典を始め、いくつもの催しが予定されていた。


 アーウェン男爵家が

「娘はすっかり反省し、落ち着きをとりもどしたので参加させたい」

 と申し出てきたので、

「治ったのならばよろしい」

 と王都への出入りと、行事への参加を認めた。


 クラリッサ・アーウェンは、表面上落ち着いていたが、その身の中にはさらに膨らんだ彼女だけのロマンスが渦巻いていた。

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