第1話 出会いはお部屋の間違いから。(後編)

記念すべき大学生の一人暮らしの初日に、僕の目の前に突然現れた美少女のエルフさんは、風のように去っていった。


そして隣のドアがガチャガチャと開く音がして、僕はさっきの美少女が、引っ越してきた隣人であることを確信する。


音が消えてからも、しばらくぼんやりと、さっきの光景を思い返していた。プラチナブロンドの髪に、長い耳。そして、何よりも彼女の可愛い笑顔が、頭から離れない。まるで漫画やゲームの中でしか見たことのないような……文字通り、異世界の住人のようだった。


「エルフとか……いや、実在するのは知ってたけど、実物を見るのは初めてなんだけど」


思わず口に出してしまう。「どうしてこんなアパートに、あんなに可愛いエルフさんがいるんだ?」という疑問が渦巻く。でも、あの子の無防備な笑顔を思い出すと、全てがどうでも良くなりそうになる。


自分自身を落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。落ち着け、ここは現代日本だ。僕は異世界転移なんてしていない。つまり、あれは現実であり、間違いなく生きている本物のエルフさんだ。


……いやしかし、まさか隣の部屋にエルフの女の子が引っ越してくるなんて、想像もしていなかった。ハーフエルフを含めても、日本に1,000人くらいしか居ないんじゃなかったっけ?


しかも、あの笑顔。無防備で、どこか天然な感じがして、僕の心を一瞬でかき乱してしまった。いや、健全な男子なら誰でも惚れちゃうって、あの笑顔。あんなに可愛い子が4年間も隣人とか、僕の青春ラブコメディは始まり過ぎじゃないか?


「いや、冷静になれ。ここは現実だぞ。本当にエルフか? 僕の『可愛い子が隣に住むと良いなぁ』願望が妄想を産み出したんじゃないか?」


いや、現実なんだよ。冷静になれてないぞ僕。引越し早々、こんな非現実的なことが起きるなんて思いもよらなかったけど、あのエルフさんは確かにこのアパートの住人だ。そして、隣の部屋に引っ越してきたのも間違いないと思う……あれ、そもそも何で僕の部屋をカギを持ってるんだ?


「隣の人なのは間違いないんだよな……とりあえずあいさつをしなきゃな。うん、これは興味本位とか下心とかじゃなくて、あくまでご近所付き合いだから」


そう自分に言い聞かせていると、また隣の部屋でドアの開閉音がして、今度は僕の部屋をノックする音が聞こえた。多分、あの子だ。また会えるんだと思うと、ドキドキしてしまう。心臓に手を当てて落ち着かせながら、返事をしてドアを開ける。


やっぱり、そこにいたのはさっきのエルフの女の子だった。可愛い。やっぱり、可愛い。プラチナブロンドの髪も、エメラルドグリーンの瞳も、さっきと一緒だ。そしてエルフさんは、はにかむような笑顔で謝ってきた。


「あのね、さっきはごめんなさい。カギが開いたから、部屋を間違えてるとは思わなくて……こんな予定じゃなかったんだけど」


その可愛い謝罪を聞いた瞬間、胸がぎゅっと締め付けられるような感じがする。最初からフレンドリーな口調に、キュンキュンしてしまう。


頭の中で「このエルフさんはどんな人で、どこの大学に通うんだろう?」「なんでエルフさんが隣の部屋に?」なんて疑問が次々と湧き上がってくるけど、そんなことはどうでも良い。エメラルドグリーンの瞳が僕を捉えて離さない。とにかく、気の利いた会話をしなければならない。頑張るんだ僕。第一印象が大事だぞ。


「え、いや。そんな、気にしてないです」


そして恋愛経験ゼロの僕は、自分でも赤点とか言いようのない間抜けな返事をしながら、その唇に見とれていた。何も塗ってなさそうなのに艶々として、柔らかそうな唇。キスをしてみたいけど、こんなに可愛かったらきっと、長身イケメンな彼氏がいるんだろうなぁ。くそっ、爆発しろ。


「私、中西チアリって言います。今度からそこの大学に通う予定で」


そんな僕の葛藤が聞こえていないエルフさんは、朗らかに自己紹介をしてくれた。中西さんって言うんだ。こうやって声を聴くだけでも、癒されてしまう。


「あ、僕もそうなんです。あっ、名前は川上哲郎って言います」

「哲郎くん? すごい、同級生がお隣さんで良かったぁ」


えっ、初手から名前で呼んでくれるの? 心臓がばっくんばっくんして、手汗がじんわりと広がってしまう。頭の中で、『哲郎くん』という破壊力満点のワードが反復横跳びをしている。こんなに自然に名前で呼んでくれるなんて、まさか想像もしていなかった。


「い、いや、そんな……」


動揺を隠しきれず、ぎこちない返事を返してしまう。でも内心では、このめちゃくちゃ可愛いエルフさんともっと話したいと思っていた。とりあえず挙動不審な怪しい奴だと思われないよう、手をズボンのポケットに押し込んで、必死で動揺を抑え込む。


「そんなことあるよ? だって、お隣が変な人だったら怖いもん。女性専用アパートがどこも満室で借りられなかったから、ちょっと不安だったの」

「あ、そうなんだ。とりあえず、変な人と認識されなくて安心したよ」

「うん。隣に住んでくれてありがとね、哲郎君」


僕こそありがとうございます。中西さんと名乗るエルフさんは、かなりコミュ力が高いようだ。あっという間に、彼女の魅力に引き込まれてしまう。軽く揺れるプラチナブロンドの髪が光を受けてまばゆく輝くたびに、ドキドキしてしまう。キレイな髪だねとか、そんな言葉をかけた方が良いんだろうか?


「そうだ。お母さんがね、良かったら飲み物を飲んで休憩しませんかって言ってるの」

「えっ、でも女の子の部屋に入るだなんて」

「大丈夫。お母さんもいるんだから。ほら、おいでよ」


中西さんが手招きするその仕草は、まるで僕を異世界へ誘うようだった。


心の中では「こんな美少女の部屋に入るなんて、僕でいいのか?」という不安が僕をぐるぐる巻きにする。


でもそれ以上に、「中西さんともっと話したい」「もっと中西さんのことを知りたい」と思ってしまう。そうだよ、要は一目惚れだよ。ごちゃごちゃ考えるのはやめだ。要するに、僕はこの目の前にいるとっても可愛い女の子と、もっとお喋りしたいんだ。


「うん、じゃあお願いします」

「やった。ねぇ、お昼も一緒に食べない? お蕎麦屋さんが出前をしてくれるんだって」


そして僕は自分自身の要求に抗えずに、お部屋へとご案内されていく。そしてこの『部屋を間違えて侵入しちゃいました事件』が中西さんと僕の、最初の思い出になるのだった。

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